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広報において、個別具体な手法論が注目されすぎる理由

今月も相変わらずギリギリまでネタが出てこない。(最近本当に、毎月のネタ出しがしんどい…)
変わらず人事寄りの仕事が多く、すこし変化を仕掛けたことにより気持ちの負荷も大きくて、うんうんと考えてばかりの1ヶ月だった気がする。

1人広報で現場仕事もしているし、広報を抽象で語らないようにしたいんだけど(どうにもわかりにくいし伝わりにくい自覚があるから)、私の中で、広報はどこまでも抽象的になるなあと。


そしてふと思う。
先月書いたnoteの続きになるかもだが。


なんでこんなに広報の話は、手法論の話に終始してしまうのか、どうしても気になってしまう。

なぜ会社のことを知られたいんだっけ?
マスメディアに出たら何が嬉しいんだっけ?

「会社が知られたい」の先の目的が本当はあるのにもかかわらず、なぜ目がいかないんだっけ?

私も現場の仕事をしているので、うっすらとは気持ちはわかっているつもりだ。
もやもやといくつか考えてみて見えたものがあるので、簡単にまとめてみる。


必要となる知識や専門用語が多すぎる

広報業務の象徴として捉えられることも多い、メディアリレーション。そことも強く紐づくプレスリリース。これらの前提となるメディア側の知識は、相当な量だ。
他にも、オンライン発信におけるインターネットの知識、会社の行っている事業の知識、事業ターゲットや社会の関心ごとやトレンド。全てキャッチアップするとしたら相当大変だろう。
しかも、これら知識だけでは足りず、企画やファシリテーションに活かす必要がある。ここで必死になり、いっぱいいっぱいになってしまう気持ちはわかる。


個別スキルを磨くことに目がいく

先述した知識や情報を得るだけでも大変なのに、それらを活かして企画やファシリテーションを行うこと、さらには「メディアに載る」「バズらせる」まで持っていくことは相当に大変なことである。
それらが「できるようになった」と言えるまで、時間がかかりすぎるし、現場の業務やスキル習得に意識がいくのはもはや仕方がないとも言えるかもしれない。

他の分野でも、スキルがジュニアなうちは「つくる」「やる」などに必死で、大目的が疎かになる話はよくある。その中でも、必要知識等の範囲が相当広い職種だと思っていただければよい。


広報が経営を知らない、両者が分断されている

広報担当が経営のことを知らず、経営のための広報ができていない事例も多そうだ。「何のために広報を行うのか」について解像度が高くならないことで、経営から逆算した発想で広報施策を行いづらくなる。
会社員は経営の話を知らないのがある意味普通とはいえるので、なおのことここの壁を乗り越えるのは難しいであろう。

これらの差分を認識した上で、経営者と密に話をし、経営に対し広報は何をできるか考えることが必須となる。

また、広報が経営を知らないのとともに、経営者側も広報を知らない例が多いように見受けられる。
経営と切り離した手法論のオーダーを広報担当に行うことによって、さらに分断が進んでしまうだろう。
また、経営者がわかりやすい広報の手法論に注目しすぎているとしたら、その得手不得手で広報担当者はスキルを測られることになり、広報を経営視点で捉えている担当者ほどストレスを溜めるはず。

経営者の広報業務に対する理解については、以前、noteにまとめたので合わせてご参考いただきたい。


人間としてのスキル、ビジネススキルと多くが重複する

これも以前書いた。詳細は過去のnoteを参考にしていただきたい(ちなみに月1で書き始めた最初のnoteだったな…2018年5月、仕事の休憩中に書き上げた、懐かしい)

広報での文章で表現して伝えるスキル、コミュニケーションスキルなどにおいて、「そんなのできて当たり前」と特別なものと感じなかったり、できていないとできているの差がわかっていない・スキルレベルを見誤ったりするなどで、高いスキル、専門的スキルと思われにくい要素が大きいと感じている。


中長期課題の取り組み方(目標管理や進捗管理)に不得手な人が一定いる

これは最近の気づき。(気づいたのは、人事業務を頑張っているおかげかな)

広報戦略など、上流から手がける立場になると、中長期課題に対峙することになる。地道に積み重ねて取り組む姿勢が求められ、すぐに変わらない、すぐに解決しないことに対して粘り強くやり続けることが大事になってくる。
短時間で何かやって、すぐ解決するような、プレイヤー時代とは真逆ともいえる。

端的に言えば、「作業をやっている方が仕事をやった感は出る」「与えられた作業をこなしていき、完了したら褒められる」ようなプレイヤー時代のやり方が持ち込めないということ。
中長期課題では、どうにも「進んだ感が得られにくい」すっきりしないものと対峙することになる。

これら両者は取り組み方が全く違い、場合によっては中長期課題への取り組み方を教わることもないままレイヤーが上がっていくことも少なくない。

上流・中長期課題への取り組み方が肌に合わなくて、キャリアアップの方向として敬遠する人は一定いるのではないかと思っている。
そうなると短期課題の解決にしか取り組めず、現場仕事に従事し続けるキャリアとなり、広報業界において上流課題に取り組む事例は減ってしまうのだろう。


上流の仕事にステップアップした方は、広報を名乗らなくなっている

ここはまだ分解しきれてないが、観測の範囲内で。

私が注目している人で、上流から広報をやっていると思う方は起業したり、事業側に行ったり、割と多くのケースで広報という肩書きではなくなっているように思う。
そうなると、その人は広報ではないので「広報として上流の課題に取り組んではいない」。
私は広報の仕事の意義や拡張を考えて動いているので、その意味では少し悲しい傾向とも言える。

(広報ではなくてもそれぞれの場で活躍されているので、そこは引き続き注目しているし、広報時代に培ったスキルをどう活かしているのかをひっそり学ばせていただいている。広報職だからといって広報の範囲から学ぼうとしすぎているのかも、とも思わされる)

少なくとも、私の観測範囲では、上流の話をする広報に出会いにくい理由の一つではないかと考えさせられている。


相手の立場に立つことがそもそも難しい 

記者の立場に立って、経営者の立場に立って、読者の立場に立って。
相手の立場に立つことで進む仕事が多いのも広報の特徴だと思う。

知識がないと、その人のおかれている立場やその人の感情に寄り添えない。
そもそも自分とは違う人である相手に「なりかわるように」気持ちを想像する所作も、やろうと思わないとできないこと。

知識を学ぶこともそうだけど、立場に立って難しい仕事を進められるようになるからこそ、上流の仕事が回ってくるようになる。
そのことから考えると、「相手の立場に立つ」が難しいので、その時点で上流の課題を扱える広報担当者はそもそも少なくなっていそうと予測する。


伝える仕事の人における「責任」とは

「経営から見た広報」など上流の視点に至るまでがあまりに複雑すぎるし、そこに振り回されている人が多すぎる、と感じる要素を分解して書いてみた。

合わせて感じているのは、「伝える仕事」における担当者の在り方。広報だけでなく、情報の媒介を仕事にしている人全般にいえること。

伝える自分自身のポリシーを置いていくケース、所属先のブランドを変に使っているケース。そういうことをしていて、媒介者とは言えないのではないか、と。
これはテーマ違いなので詳細割愛するが、最近持っている違和感。これもひとつ、広報の「作業化」を招いている気がする。


今回は日々広報のことを考える中でかなり根深いなと感じることに言及することになった。
最近書きたいネタが同様の傾向にあるので、そろそろ書きおくところを変えるのか、このnote中身をもっとライトにして今回のような新規の気づきをクローズドに発信するのか、考えていってもよいのかもしれない。年内かけて考えていきたい。


#広報  #PublicRelations #PR

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