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短篇集

10
創作をまとめておきます。
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#小説

『待合の丘にて虹を聞く』

『待合の丘にて虹を聞く』

プロローグ

 特別ピアノ曲が好きなわけでも、ピアノを弾くことに憧れがあったわけでもなかったと思う。ただある日を境に、それまでは多目的室の中の景色でしかなかったピアノが、幾度となく目に留まるようになったのだった。そこには似た者同士にしか分からない引力が働いていた。幼かった私の目にはそれが、誰かが弾いてくれるのをじっと一人で待っているかのように見えたのだ。
   私が初めてピアノの前に座り、人差し指

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『家族の灯』

『家族の灯』

夏の初めに書いた、ごくごく短かい小説です。少し手直ししたのでこちらにあげてみます。
どうしようもないままならない状況のなかで人は、自分の感情といかに折り合いをつけていくのだろうか。最近はずっと、そんなことを考えています。

 さてどうしたものか、と円(まどか)は思った。

 一歳の弟、陸は朝から機嫌が悪かった。一口サイズに握ったおにぎり、それの何が気に入らなかったのか、食べるでもなくべたべたとこね

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『波の行く末』

『波の行く末』

人物を見つめ、その思想を描き、物語をつづる

やりたかったことにようやく向き合えるようになりました。まだ、自分の中の様々な恐怖とともに、書いています。もしかしたら恐怖は恐怖のまま、このままなのかもしれません。5000字ほどのごく短い小説です。読んでくれる方がいれば、うれしい限りです。

冬の寒さは足元からやってくる。足先が冷えた感覚は、冷えと言うよりも麻痺に近い。肌に染み込んできた冷気が薄い膜

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『あの春に死に損ねたので』

『あの春に死に損ねたので』

急に春一番が吹いて春が来た。
間に合わせの薄手のセーター、履きなれたスニーカー。足は安心しきってスニーカーに身を委ねている。すこし汗ばみながら、歩く。
見上げると、青空にコーヒーフレッシュ1個分をこぼしたくらいの薄く霞んだ空だった。風の匂いは、おべんとうをリュックの底に大切に仕舞って出掛けた遠い昔の遠足の日の、埃っぽく汚れた手をお手拭きでぬぐう時のあの匂い。あどけない故の、凶暴な匂い。

1年ぶり

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