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晴れた日にきみに会えてうれしい。

9月は落ち込む日々が続いた。

布団にくるまって、ひたすらに暗鬱な気分でいっぱいになっていた。

かと思えば少し元気が出てきて動き出し、しばらくしないうちにまた、ベッドにパタリと倒れてる。

ぐるぐると暗い気持ちが駆け巡る。

なにもしたくない。けれど何かをしなければいけない。ありのままでいいんだよといいつつ、結局”何者か”にならなければならない。”何者か”でない人は求められないし、何者でもない自分を求められても気を使われているようで苦しい。そんな”何者か”であることが大事である空気たっぷりのこの世界に辟易してくる。誰にも会いたくない。生きていくことが本当に辛い。

などなどと。

元から、気を抜くとこんな思考でいっぱいになる性格だ

前向きな言葉が苦しくて、ネガティブと言われようが、こうやって考えないと落ち着かなかった

時々泣きじゃくって、時々声を荒げて当たり散らして

山の天気のようにコロコロ変わる私の気分と相反するようにいつも通りの夫。

「考えすぎだよ」「大丈夫」と一言。

私のこの気持ちなんか知らずに、なんてまた怒ったりして

そんな日々が続いて。


そうしていく中でも時は過ぎていくもので、心のもやもやも少しずつ小さくなって消化されていって、わんわんとひたすら泣いてばかりいると、ふとした瞬間に冷静になることある。少しずつむくむく元気が出てきた。

「親より長生きはしたいし、いきなり魔法は使えないし、一歩ずつ進むしか、やっていくしかないかあ。」

ゆっくりと笑えるようになった。

はじめからわかっていたことだけど、自分の中で戦ったあとに見つけた答えであることは、とてもスッキリと清々しい。


そうして少しずつ歩き始めて、「これやってみるのはどうかな」「あれはこうしたほうが」「こんなことやりたいね」とぽんぽんとこれからのことを話しだす。

いつものようにのんびり本を読んでいた夫がそれを聞いて

「よしみから”やりたい”って言葉が出るなんて、元気になって、よかったねえ」

とにこりと笑った。


私が、憤ったり、悲しんだり、情けなくなったりする間

夫はずっとずっとそばにいた。

楽しくない、明るくない日々も、ずっと。


たいへん迷惑をかけたなと思いつつ、「家族」だなあと感じだ。


どんよりとした日々が続いた中で、結婚式を挙げた日からちょうど1年の日。

「これかも一緒に生きていこうね」

と手紙をくれた。


雨の日も一緒にいたね、風の日も一緒だったね。

だから、晴れた日に一緒にいれたら、すごく幸せだ。


なあんて思うと、ほろりと涙がこぼれた。

ありがとう。

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