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20代はいますぐ、映画館で『もののけ姫』をみてくれ!だから映画は映画館でみたいんだ。

1997年公開の『もののけ姫』。

1993年生まれの私にとっては、親がTSUTAYAでVHSをレンタルして見せてくれたのが初めてだった。その当時に抱いた印象は「なんだカッコいいけど、話が難しくて首とか飛んで怖い」で、今でも変わらずこびりついている。

中高生になってからも、金曜ロードショーやレンタルDVDで何回か見た記憶があった。そんな作品が今回映画館の大スクリーンで今一度観れるという機会にいてもたってもいられず足を運んだのだ。

結果、私はこれまでの人生で『もののけ姫』という映画まともに観たことがなかったと気づかされた。

全シーンが“初見“に変わる迫力

まずは、言わずもがな大スクリーンと大音響の迫力である。

映画冒頭の、深い霧がかかる森のショットから圧倒された。これまでいく度となくテレビ画面で見ていたオープニングのシーンだが、その奥行きや質感が全く異なった印象で、木々の匂いまで香ってくる。

その後に映し出される櫓ですら、上から下へ、そして下から登る映像が大画面で映し出されると。

「高い!!櫓が高い!!」

といちいち感動を覚えていた。

そしてその後に登場する“祟り神“に至っては、茂みから大音量と共に飛び出してくるど迫力。ウニョウニョニョのスライミーな蠢きで草原を縦横無尽に駆け回る姿に、

「気持ち悪い!!」

と心の中で叫んでしまう鮮明さがある。

中でも、アクションシーンは映画館だからこその迫力に圧倒されてた。弓矢の軋み、つばぜり合いの火花、石火矢の火炎など、どの動作一つをとっても、迫力が段違い。

冒頭の、田舎侍との騎馬戦で弓矢が画面スレスレまで飛んできて、カットが変わり弓矢を放ったのちに、ロングショットから敵方の首を跳ね飛ばす一連のシーンなども、神がかった作画の緊迫感をぜひ堪能してほしい。

もちろん戦闘シーンだけではない。

先に挙げた自然描写の深淵さや、たたらばの大屋根の壮大さはテレビ画面とは比べ物にならないし、モロの君役の美輪明宏のセリフの大迫力も圧倒されるし、スクリーンに立ち上がった透き通る真っ青な色味の“でえたらぼっち”にはエクスタシーを感じるほどの神々しさがあった。

そのほかにも遠巻きのショットで何をしているかが初めてよく見えたり。。。

この調子でシーンごとに感想を述べるとほんとうにキリがなくなってしまうので割愛するが、とにかくそれぞれのシーンにおいて、名シーンに限らずとも、それまで知っていた「もののけ姫」が100万倍のエネルギーで迫ってくるのである。

大音響で聞き取れた超大切なセリフ

そしてあらためて、映画館で観て感じたことは、

「子供の頃、劇中のセリフ全然理解していなかったな」

ということ。

そもそも、猪たちのこごもった声や森の猩々たちのモゴモゴ声はテレビの音量だとよく分からなくて聞き流していた。

中でも、たたらばのハンセン病患者の長のセリフなどほとんど今まで聞こえていなかった。しかし、映画館で初めて聞き取れた時に、死ぬほど重要なワンシーンであることに気付かされた。

「どうか、その人を殺さんでくれ。。。」

サンから考えれば森を破壊する“悪”であるエボシの存在は、たたらばの村人からすれば暮らしを守り抜く強いリーダーであり“正義”である。単純な勧善懲悪の世界ではないキャラクターの2面性を改めて感じさせる。

そう考えると、アシタカが女たちの働く製鉄所に赴くシーンはそれまでとは全く別物として捉えられる。

「アシタカがチヤホヤされたくて、あえて力自慢してんのかな?」

と幼少期は考えていたが、むしろ絶対的ではない「正義」のあり方について苦悶するシーンに様変わりしていた。そんな初歩的な発見にも恥ずかしながら、今回初めて触れられたのである。

だから映画は映画館でみたいんだ!

そもそも、時代背景やテーマも子供には理解できない作品だ(その一方、それでも子供を惹きつける力があるのには驚かされる)。その後もなんとなく「観た気」でいて、テレビでも「すでに知っているから」と流し見をしていた。

これは、多くの日本人、特に私と同じ20~30代にはあてはまる人が多いのではないだろうか?

しかし、そんな人にこそ今一度ジブリを映画館で見て欲しい。大音響と大スクリーンと、暗闇が創り出す“映画館“という環境が、慣れ親しんだ作品に今一度向き合うきっかけを与えてくれるはずだ。

だからこそ私は映画館で観た『もののけ姫』が、本当に『もののけ姫』を観るという体験だったと確信できたし、「映画館で映画を観る」かけがえのない原体験を改めて鮮明にしてくれたのだ。

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