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水曜2限 地域基礎課題 アクティブラーニング

 私が今回見た映画はKrabat (Regie: Marco Kreuzpaintner) 「クラバート 闇の魔法学校」だ。去年の先輩方が語劇でやられていたので興味を持った。今回は、トンダの言葉「物事には犠牲がつきものだ」をテーマとして振り返ってみる。まず始め、舞台はペスト流行る17世紀。身寄りのない主人公は新たな生活を求め、カラスに導かれるまま、水車小屋へと進む。最初に主人公は「仲間との生活」を捨て、新しい居場所を手に入れたのだ。ここでは最初の親方との契約を結び、以後は完全に彼に従う形となる。他に存在する徒弟との間には仲間意識はないとされ、この場での契約が如何に堅いものかが示される。事実、初めはクラバートはトンダ以外には冷たくあしらわれる。トンダのみが心を許せる存在であり、彼もクラバートに目をかけていた。復活祭の日、二人は水車小屋から離れ、カントーカの住む村の近くへと移動する。ここで、クラバートは恋に落ちる。後に主人公は母親の形見である十字架のネックレスを親方に見つかり、埋めるよう指示される。主人公はこれを地面に埋めるが、引き換えに強大な魔力を手に入れることができたのだ。一方で、親方との契約は強まってしまう。クラバートはカントーカに会いに行こうと村を目指すが、これは契約の違反である。契約の違反を犠牲に、カントーカへの愛を勝ち取ろうとするが、うまくゆかない。契約内で立ち回るには、契約自体のルールで以て動かねばならない。しかし試み自体が契約の破棄を求めるものであるから、その対価は大きなものではならないだろう。それがクラバートとカントーカの命だ。命という犠牲を賭して手に入れなければならないもの。それがクラバートの自由、それに伴うカントーカへの愛である。元々親方への捧げものであったクラバートをそう簡単に彼が手放す筈が無い。故に、その試練は困難なものとなる。トンダも含め、先人は過去の試練で失敗し、命を落として親方の体内へ宿る。クラバートとカントーカは試練に合格する。これは二人だけの力では本来困難なものだ。12いるカラスの中から本物を見つけ出すことなど容易に出来るわけがないのだから。ここでは実際、多くの犠牲、献身が行われていた。まずはリシュコー。水車小屋の徒弟に協力を呼びかけた。そしてユーロー。彼は今まで拙く装ってきた身分を明かして、親方を倒そうという提案をした。魔法も十分に使えることもばらしてしまえば、次の大晦日に命が狙われることを承知してのことだ。このような犠牲が払われた上での試練であったのだ。これほどの犠牲を払って、最終的には水車小屋の徒弟は全て救われたのである。死神との契約や、粉運びの契約など、縛りが強いものであった故、行け出す道も穏やかなものではなかったが、それ相応の犠牲を試みればあとは為せばなる。である。勿論、トンダや先人の犠牲も含めて、である。先に親方と契約を交わした以上、本来ならばそう簡単に破られてはならないのだから。「物事には犠牲がつきものだ。」これは変化を求める上で欠かせない文言だが、この映画を通してよりその言葉の深みを感じることができた。語劇とも対比して、この作品の面白さを知った。しかし、脚本や、細かい演出が不明瞭であった(刀身が黒く光ることへの説明がない。等。)今度は、原本にて味わってみることとする。

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