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心がほどける、裏表のない瞳【インドからネパールへ】

あんなに沢山いた乗客は、みんなムンバイが最終地点らしい。
ここから乗り継ぎに向かうのはたったの5名ほどで、みんな、少し不安そうにお互いを確認し合いながら、長く真っ直ぐ伸びる道を進む。
その向こうに、簡素なパスポートチェックを見つけた。

わたしはチケットを差し出し「カトマンズ」と女性に告げると、
「カトマンドゥ?」と少し悩む様子を見せてから、言い直してくれた。
そうか。最後「ズ」ではないのか。
頷くと、通りなさい、とぶっきらぼうに親指を後ろに向けた。

長いエスカレーターの右横には、インドらしく、ブッダの彫刻や蓮の花の彫刻がずらりと並んでいる。
そのどれもが、磨き上げられていて、天井から差し込む陽の光に照らされて、ピカピカ光を放っていた。
左には、植物たちが行儀よく並んでいる。
もしかしたら、ここの空港は、新しくリニューアルされたばかりなのかもしれない。

エスカレーターを登りきると、気づけば口から「綺麗だな...」と独り言が漏れ出していた。

所狭しと並ぶ免税店に、ジュースやフードの小さな屋台。
見上げると首が痛くなるほどに、遠く伸びている天井。
道にはフリーで使えるパソコン達と、緑やオレンジの丸椅子が賑やかに陳列している。
その様子を見ながら、ホッと力が抜けていくのを感じた。

時刻は10時前。ネパールへの到着は14時頃の予定だけれど、定刻で到着する保証も、機内食が出るかどうかも、定かではない。

私は少し悩んでから、簡単な昼食をとることに決めた。

「カトマンドゥ行きQW127便の到着は、現在定刻から2時間ほど遅れる見込みです」
わたしの耳に、予想していた情報が飛び込んでくる。
胸の奥を不安がかすめる。とりあえず、彼に連絡をしなければ。
メッセージを開くと、既読された様子はなかったので、追って連絡をいれた。

"飛行機が遅れてるみたい。2時間くらい遅れちゃいそうなのだけど、また着いたら連絡するね"

予定通り、遅れて搭乗した機内は、褐色の肌のひとたちがごった返していた。香辛料のような、体臭のような、なにかツンとした匂いが充満している。いつだかのテレビで「日本の空港は醤油の匂いがする」としかめっ面でインタビューに答えていた、フランス人男性の映像が、脳内で再生された。

私は少し離れた場所に荷物を放り込むと、自分の席を探しながら、狭い通路を進んでいく。
やっと見つけた私の席には、くりっと大きな瞳と真っ黒の髪の、若めな男性がすわっていて、熱心に窓の外に熱い視線を送っていた。
「すみません」
私が声をかけると、窓際の青年の隣に座っていた、立派な口髭をこしらえた男性が彼の肩をトントンとリズミカルに叩く。
「何番ですか?多分そこ、わたしの席です」
チケットの番号を指差すと、口髭は困ったように、ここはどう?と言いたげな様子で、空いているシートをぽんぽん、と叩いた。

しかし、わざわざ取った窓際席だ。どうしてもそこに、座りたかったわたしは負けじと
「ううん、そこがわたしの席なの」と続ける。
そうすると窓際の彼は、少し名残惜しそうに窓の外を見つめると、しぶしぶ席を譲ってくれた。

離陸後、いつものようにPCを開く。
降りたらすぐに送れるように、仕事の連絡を、このフライトの間にメモ帳に作っておきたかった。
しばらくカタカタとキーボードを叩いていると、横目に誰かの顔がうつる。ふと右に顔を向けると、先ほど私の席に鎮座していた窓際の青年と、口髭の男性の大きく丸い瞳が、画面をまっすぐ凝視していた。

口髭の男性と視線が交差すると、突然指を刺され
「チャイニーズ?」
と聞かれた。
わたしは素早く
「ジャパニーズ」と答え、彼らが見つめていた画面を指さして「この画面の言葉も日本語だよ」と続ける。

すると、彼らはお互いで顔を見合わせながら、首をかしげている。
もしかしたら英語はあまり、通じないのかもしれない。
わたしも「ネパール人ですか?」と聞いてみる。返答がかえってこない。
少し悩んで「ユー、カトマンドゥ?」と、彼らとボーディングパスの文字を交互に指差しながら言いなおすと、それはそれは嬉しそうにうなずいてくれた。
その後も代わる代わる席に人がやってきては、わたしのPCを覗き込んで去っていく。
その度に口髭の男性は自慢げに「ジャパン、ジャパン」と紹介してくれた。

飛行機が飛び立って1時間ほどが経つと、機内はまるで、修学旅行の飛行機に乗り合わせたような賑やかさに包まれた。
席を立ち歩きながらお菓子を食べるひと、窓に張り付いて外を見るひと、トランプをはじめるひと。
少し飛行機が揺れるたびに、どこからかキャーっと嬉しそうな悲鳴があがる。機内全員が知り合いなのか、はたまたそういう文化なのか、みんな挨拶をし合い、ひとつのケータイをシェアしながら、ところかしこでゲームがはじまっている。
わたしは提供された生温い林檎ジュースを飲み干すと、なんだかここで、パソコンを開いていることがとてつもなく場違いなような気がして、そっと閉じた。

口髭の彼とは、片言の英語で、ポツリポツリ、すこし話をした。
口髭の彼の名前は「ダハニ」で、窓際の青年は「トニ」だということ。
ネパールと日本の時差が3時間15分あること。
カトマンドゥは本当に良いところだということ。
ダハニと、トニは仲の良い友達だということ。 
 

何かを話すたびに嬉しそうに笑顔を見せるトニは、無邪気でかわいい。
その様子を見ながら、体の緊張が溶けていくのを感じた。
私の国も、こうありたい。日本にきて、不安で仕方ないであろう外国人に
「ねえ元気?」と、片言の英語でも良いから、話しかけてあげられる人でありたい。
周りの目なんか、気にせずに。

そんな話を繰り広げている間も、トニは、熱心に首を伸ばして窓の外をみていた。途端、なんだか席を譲ってあげたらよかったな、と後悔する。
もしかしたらこのフライトは、彼の初飛行機だったのかもしれない。

「ルック!ルック!」
ダハニの言葉にハッとして、目を覚ます。知らないうちにどうやら、うとうと眠っていたらしい。
眠い目をこすりながら飛行機の下に目をやると、そびえる、山々が広がっていた。 


時計を見ると、15時半を指し示している。
予定より1時間半遅れて、飛行機はゆったりと着陸体制にはいった。

いよいよ、夢にまで見た、恋い焦がれたネパールにやってきた。


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