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コンプレックスがもたらす悪口

マウンティングしたり悪口を言っても仕方ない。いい事は何も生まない事は、頭では、わかっている人がほとんどです。また、幼い頃から、悪口を言って人を傷つけてはいけません、と習っています。

悪口の本当の弊害は、人を傷つけるだけでなく、自分を傷つけている事にあります。それは自分のコンプレックスはここです、と手をあげているようなものだからです。

時には、黒い気持ちと戦い、誰かに共有してもらいたい時もあると思います。それに、そもそも感情に蓋をする方がよくないのでは、と思う時だってあるかもしれません。

爆発してスカッとしたり、気分転換するのもありなのですが、不思議な事にそれはある一定の期間をおいて、型違いでまた起こってしまいます。

では、そんな時は、どうするのがいいか。

それは、その背景と、そう言いたい自分について、ゆっくりと内観し、そしてそれを俯瞰してみる事です。

自分の中の何がそれを言わせたいのか、そして、不快や悲しみの根源を知る。

瞬間的にはできなくても、そうしていれば、それは自らを成長させる生産性のあるものに変わっていきます。

時にそれは、泣きそうなぐらい苦しく辛い事であるかもしれません。しかし、自分をみつめ、許し、心の声をきいてみる事は、大きな気づきをもたらしてくれます。

一方で、感情を言葉にされずとも、悪口に匹敵するものもあります。

それは、気持ちをコントロールしようとする際に、大人の対応と評して、無理やり消化しようとすることです。

本当は不消化である時、心の奥底では、悪口を叫んでいます。

無意識下で相手を馬鹿にしたり、人を下げる事で自分の自己肯定感を保とうとしていたならば、表出する以上の影響があります。

それは、不消化を不消化でないものにし、自分の中で見えないもの、見なくていいものとして定義してしまうからです。

もっともっと自分に優しく、丁寧に、デリケートな心の声をきき、内観する事が自分を楽にしてくれます。

俯瞰のようにみえる型式に化して心に蓋をしていないか、本当の意味で俯瞰して見ることができているか、見失わないことが大切です。

自分の中に湧いてきた良くないなと思える感情も、成長過程の人間だものと許し、そして、許されるべきことにするために、しっかり内観する。

そうすれば、相手に対しても、一体何がそう言わせるのかを読み解ける事により優しさを持って許せるようになっていきます。

そして、それが出来るようになった大人が子育てをするという事は、色々な人を認め合える愛を伝えるのと同じだと考えています。


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