親が子供に出来ることってなんだろう?
小学校3年生の娘は2学期から不登校になった。
現在は毎日行ける時間は学校に行くという登校リハビリスタイル。
しかし、現在感染対策で分散登校に突入し、娘は若干不安定になった。
一日おきに学校に通うリズム。
行って休んでなら、逆に負担は少ないと思ってしまうが、毎日行っていた時の方が、明らかに行きやすそうに見えた。
分散登校。
言ってみれば、頻繁に日曜日の夜と月曜日のメンタルを繰り返している状態なのだ。
今日は連休も挟んだこともあり、3日ぶりの学校。
娘は久しぶりに朝の準備に焦り、泣きながら準備をしていた。
さぁ私はどう対応しようか・・・
分散登校できついのもわかるから、休ませた方がいいかな・・
「いいんだよ。学校無理しなくて。」
前ならそう声をかけただろう。
でも、最近の娘のことをよくよく思い出して、そう言うのはやめた。
私から選択肢を与えることもないだろう。それを決めるのもまた娘だ。今の娘は決められる。
とはいえ、弟の幼稚園バスの到着時間もあり、私も予定があったため、
焦りから、涙の理由を「どうしたの?」と一言二言きいてしまう自分もいた。
こんなの焦らせるだけで意味はないのに。
まだまだ親として修行中のひよっこ人間の私はやってしまうのだ。。
涙の理由なんて、娘にもわかるはずがないのに。
深呼吸だ。
泣きながら準備する娘と目線をあわせ伝えた。
「娘の涙を落ち着かせようね。ゆっくりでいいんだよ。」
そう言って、娘を待つことにした。
自分にもそう言い聞かせる。
そして、娘は言った。
「学校に行ってみて、今日は行くか行かないか決める」
学校に到着するも、娘は泣いていた。
私は車の中で待った。
「着いたから、教室行くよ」とも言わずに待った。
ただ、この連休中の楽しかったことなんかを話してみたりした。
息子のバスの時間もあるため、私はここで娘に状況は伝えることにした。
「弟のバスがくるから、この時間になったら出発するね。ママはこの時間はお仕事が入っているからね」
娘に「行ってね」と圧をかけてるみたいかなと思って、
これまでは自分の予定や都合は後回しにしたきたが、今の娘には伝えても良いだろうと、そう信じた。
そして、再び待った。
ギリギリの時間になって、娘は車を降りて、教室に向かった。
娘は「1~4時間目うけてくるね」と私に手をふり、教室の中に入っていった。
娘のまだ赤い目を見て、私のこの対応は正解だったのかな・・
休ませた方が良かったのかな・・
私が予定があるから頑張らせてないかなあ・・
葛藤はいつだってある。。
正解がないのだから。
でも、今の娘をよくよく見つめて、そして信じる。
信じるのだ。
***
最近思う。
親として大切なことって「待つ」ことなのかも。
お母さんとして「待てる」自分になることなのかも。
せっかちな自分には本当に大変なことだし、まだまだ焦っているし焦らせてもいるけど。
まだまだ出来ないけど。
私のその揺らぎが娘を逆に戸惑わせているかもしれないけど。
それでも待つこと。待てること。を大切にしたい。
娘を見送り、自分の対応に猛省しながらそんなことを思った。
そして帰宅した娘が教えてくれた。
「朝、泣いている理由がかわったんだよ。行けなくて嫌で泣いてるんじゃなくて、行った後の忘れ物とかが心配で泣いたんだ。もう無理かもって思ったんだけど、行けたんだ」
待ってよかった。
娘が涙の理由に自分で気付いて、自信につながってよかった。
親が子供にできることってなんだろう?
効果的な声かけとか、やる気を引き出すとか、自己肯定感をあげるとか・・
勉強を見てあげるとか・・
沢山思いつくけど。
できることは、
自分が必要だと感じるもので、
間違いはないし、なんでも良いのかも。
むしろ
「待つ」とか「見守る」とか。
子供に対して、直接的には働きかけない、いっけん何もしてないように見えることの方が大切なのかもしれない。
こっちの方が難しいし、
親である前の「人間力」を試される気がする。
親は、黙って、子供を信じろ
ってことなのかも。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?