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見直したい、「ボロ」のある日常

ある日畑で、いつものように作業していたときのこと。
泥を拭うために、持っていた少々汚れた手拭いを取り出すと、
60過ぎの先輩農民から「それボロ布?」と言われて、
なんだかモヤモヤしたことを思い出す。
確かに汚れてもいいものだし、「ボロ布」なのだけれども、
あまり「ボロ布」というワードに聞き馴染みがなかったせいか、
「人の持ち物に向かってボロって…」と、
そう言われた時の私は若干苛立っていたのが正直なところ。

ところが、家で古めの布を台拭きとして使っている時に、
先輩農民のワードチョイスが妙に腑に落ちる。
「あー、これが60のおじさんでいうところのボロ布か」
彼らの時代、「ボロ」は日常の風景の一部だったのだなぁ、と。

今となっては、台拭きもキッチンペーパーなどを使って、
なんでも使い捨てができるようになって。
私も面倒くさがりだから、最近まではキッチンペーパーを多用しちゃってました。
それが当たり前の生活だから
「ボロ」くなったものは捨てるもの、
「ボロ」という言葉には古くて汚いマイナスなもの、
というイメージを持ってしまいます。
でも、彼らにとってはその言葉にはマイナスもプラスもなく、
「ボロ」というのは単なる一つの状態。
しっかりボロボロになるまで使い切って、
(むしろボロボロにして分解されやすい状態にして)
土に還したのでしょう。


リサイクルやアップサイクルとはちょっと違う、
「ボロ」を悪としない、というそもそもの生活観。

そんなちょっとした回想から、
あらためて、なんでも使い捨てず、使い切る精神を
大切にしたいものだなぁと思いました。
そして、先輩農民が言う「ボロ」という言葉がちょっとだけ、
温かみを持って聞こえるようになりました。

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