弱小ライターが、京都の魅力を発信するウェブマガジンを開設した理由
先日なし崩し的に宣言した「KYO NO KOTO」というウェブマガジンの開設を、しかし今なお迷っている。
弱小ウェブライターたる私が、なぜこのような大風呂敷を広げてしまったのだろう?
おそらく、はじまりは本当に小さな違和感だった。
「私は京都に住んでんのに、なんでクライアントは全部東京やねん」
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目次
・「書きたいもの」は身近にあった
・京都で暮らす、小さな人生を生きる、という姿勢
・今この瞬間の京都を生きる人やモノを発信するためのコンテンツ
(マガジンの内容が知りたい方は最後の項目のみ読んでいただければ嬉しいです)
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今年の頭にライターをはじめ、はや9ヶ月。その間にいくつかのクライアントとやりとりして、商品紹介から取材、レビューなど、様々な仕事に取り組んできた。
はじめは依頼を受け、見よう見まねでやっていた文章を書くという作業も、最近は徐々に「自分が書きたいもの」や「自分がとりたいスタンス」と向き合い、パソコンの前でウンウン唸りながら絞り出す作業へと変わりつつある。
すると、やってみたい仕事、というものが微かに像を結ぶようになってきた。そして、人間とは欲深い生き物で、たとえうつろな幻影でも、見えた先から掴み取ろうとしてしまうものだ(ひょっとすると私がとりわけ欲深い人間で大抵の人はそうした欲をきちんとコントロールできているのかもしれない)。
「書きたいもの」は身近にあった
琵琶湖疏水の桜
まず、「自分が書きたいもの」を考えた時、予想に反して様々なものが思い浮かんだ。
想像力に乏しい私だから、思いついたものほとんどは、一緒に酒を酌み交わした人や行ってみた場所、目をつけていたお店、など、よく見知った--要するに京都にあるものばかりだった。
幸いなことに大学が寄せ集まり、強固な景観保護条例によって守りぬかれたこの街は、コンテンツで溢れていた。
研究に打ち込む人、絵を描く人、物語を書く人、誰かを演じる人、音楽を演奏する人、そうした人たちが自分たちの成果を発表するアトリエ、ライブハウス、行き場のない若者たちが集まる歴史ある、というよりは老朽化した町家、何をやってるかよくわからない変なおじさん、心落ち着くカフェ、バターの香りが湧き立つ香ばしいパン、木屋町の路地裏の薄暗いバー…。
なかなかどうして、魅力的なものばかりだ。
書きたいものが決まったら、次に考えるべきはそれをどう書くか、ということだ。
京都で暮らす、小さな人生を生きる、という姿勢
真如堂の紫陽花
WEBライティングの仕事をはじめて、嫌が応にも見聞きするのは、東京を中心に活動するインフルエンサーたちの姿だ。インタビューや新規事業立ち上げのニュース、若者を奮い立たせる力のあるツイートなど彼らの活躍は枚挙にいとまがない。
そうした彼らに、時に憧憬を時に疑念を抱きながら、私はついこう思ってしまう。
私はこんな風に生きられないな。
彼らの多くは人に、環境によって促された自身の圧倒的な変化を自覚し、それをアウトプットすることで、変化という恩恵を他者に与えてくれる。
けれど、私は、誰かの意見を変えたいわけじゃない、誰かの意見に飲み込まれたいわけじゃない、ただ、京都で暮らすこの小さな私という人生を確固として生きていきたい。ただそれだけだ。
不思議なことに京都という街で、私と似たような考えを持った人と行き合うことができた(だからこそ、私は京都に居着いたのかもしれない)。
そんな私や私が出会ってきた人々が望む記事を想像する。それは普通に京都を生きる人々が、当たり前に生活する中で身につけたキラリと光る、小さな宝石のような輝きを拾い集めるようなものなのではないだろうか?
今この瞬間の京都を生きる人やモノを発信するためのコンテンツ
煙立つ大文字
記事の対象もどう書くかも考えて、最後に行き着くのは、どこで書くか、ということだった。前述の通り、私の取引先は全て東京のメディアだ。情報溢れかえるインターネット上で、京都のメディアを探してみるも、めぼしいところが見つからなかった。
「そもそも書く場所がない!」
そうして、試行錯誤の末、考えついたのが私の好きな、ささやかな京都を発信するマガジン「KYO NO KOTO」だった。
私は京都が好きだ。 この街に積み重なった歴史はもちろん、何より、今日、今この瞬間のこの街が好きだ。 この街の今が歴史に埋もれてしまわないように、今日のコトを伝えていきます。
現時点で考えているコンテンツは以下の二つ
・キョウのホン
京都に住む人にオススメの書籍を紹介してもらいつつインタビューをおこない人となりを発信する
・キョウのトコ
京都にある変な場所、面白い空間、おしゃれなお店を紹介する
コンテンツを続ける中で、しばらくは、人と場所という二軸で記事制作する予定だ。
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冒頭の通り、家族や友人に協力を仰ぎ、マガジンを作り、記事を作り、開設を公に宣言してなお、私は迷っている。
この選択が本当に正しいのか、この記事を書くことにきちんと意味が生まれるのか、怖くて怖くてたまらない。
私は弱い、小さな存在だ。そんな人間のやる気、といういつなくなるかわからないリソースでもって成立するこの小さな媒体を世に出すことの正当性を未だに見出せない。
でも、それでも私は願う、ほとんど祈りながら。
私の大好きなものたちが、ちゃんと見つけてもらえますように。
少しでも興味を持っていただけた方、マガジンの趣旨にご賛同いただけた方は記事をシェアしていただけると大変嬉しく思います!どうかよろしくお願いいたします。
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