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産後ケアセンターで確信したこと

約2年前、私は息子を出産したのですが、出産自体も難産だったうえに退院した次の日に縫った傷が開いてしまい、また再入院となってしまうのでした。

本当なら出産後すぐに産後ケアセンターにお世話になる予定だったのですが、再入院のせいで予定がずれてしまい、産後1ヶ月後にケアセンターに入ることになりました。

そこでの出来事は一生忘れないだろうな、と思います。

1ヶ月の赤ちゃんのママはみんなそうだと思いますが、出産の疲れとひどい貧血と睡眠不足で、体は本当にボロボロ、再手術した傷跡はいつまでもズキズキと痛いし、精神的にもかなり辛い時期でした。

それでも息子が無事に産まれてきてくれたことは何よりの幸せだし、苦戦していた授乳にもようやく慣れてきて、母親としての自覚も本格的に湧いてきた時期で、息子と二人でケアセンターにお世話になるのは楽しみでもありました。

そのケアセンターのホームページは、お母さんに寄り添ってサポートしてくれることや産後の体をゆっくりと休ませることができることが書かれてあり、とても優しい雰囲気で作られてありました。

私はようやく少しの間ゆっくり休めて睡眠不足も解消できるかな、と期待していました。

けれど、実際にケアセンターに入って私が感じた印象は違ったものでした。

わりと年配の助産師さんが多く、ちゃきちゃきとしていて、日本の古き良き母親像というのを教えてくれる、というか押し付けられているような感じで。。

体を休めるというよりも、これから赤ちゃんを育てていく覚悟をしっかりしなさいね、という雰囲気だったのです。

私は寝不足でフラフラだったので初日は子どもを預かってもらったのですが、次の日の夜も預けようとすると、「また預けるの?母親なんだから頑張らないとダメでしょう」と言われてしまいました。

この1ヶ月ずっと頑張ってきて、これから先ももちろん頑張るつもりだけれど、ほんの少しだけ自分の体を休めるためにここにきたのに。。?と思ったけれど、なんだか、ごめんなさい、、という気持ちになってしまいました。

今思うと、普段元気に仕事をしている自分なら、きちんと自分の状況や、求めているサービスを相手に分かるように説明できたと思うのですが、そのときはとにかく寝てなくてボロボロで思考もまとまらず、そんなときに怒られてしまうと100%自分が悪いような気持ちになってしまったのです。

それでもなんとか施設で休息して、子どものためにもしっかり体力を回復しようと思っていたのですが、糸がぷつんと切れてしまうことがありました。

その施設では決まった時間に母親全員で食堂でご飯を食べるのですが、食事中は赤ちゃんを専用の部屋で預かってもらえます。

そして食事が終わり赤ちゃんを迎えに行くと、私の息子はバウンサーに乗ってスヤスヤ眠っていました。

そのまま寝かせておこうか迷ったのですが、昨夜に長時間預けることを怒られたことを思い出し、このままにしておいたらまた怒られてしまうと思い、眠っている間に部屋に連れて行こうと思って息子を抱き上げました。

そしたら息子は目を覚ましてしまい「おぎゃ〜」と泣いてしまって、それに気づいた息子の担当の助産師さんがやってきて、「寝ている赤ちゃんを起こしたらダメでしょう!」と私を厳しく叱りました。

「ごめんなさい、でも預けっぱなしにしているのは良くない思って、寝ている間に連れて行こうと。。」

「預けっぱなしがダメなのは当たり前でしょう、だけど母親なんだから赤ちゃんの様子をきちんと見て判断しないとダメでしょう」

「はい。。ごめんなさい、気をつけます。子どもが起きてしまったのでもう部屋に行きます」

そう言って赤ちゃんを預ける部屋を出たのですが、もうそこから涙が止まらなくなってしまい、今すぐに息子とここから出たい、と強く感じました。

涙をボロボロ流しながら赤ちゃんを連れて廊下を歩く私を若い助産師さんが見つけて「どうしました!?大丈夫?」と慌てて声をかけてくれました。

「大丈夫です。ごめんなさい。。担当の助産師さんを変えてください。。」

なんとかそれだけ伝えて部屋に行き、扉を閉じて息子と二人きりになった途端、私は糸がぷつっと切れてしまい、枕につっぷして声を押し殺して泣きました。

産後一番悲しく、辛かった瞬間です。

今冷静に思い返すと、他人から理不尽に怒られることなんて人生でよくあることで、普段の私なら冷静に話し合えたはずです。

だけど、その時は母親である私を全否定されたような、どこにも居場所がないような、強い孤独感でいっぱいでした。

その後すぐにケアセンターの責任者が来てくれて、これまでの経緯や私の気持ちも聞いてもらい、担当の助産師さんを変えてもらって、私はカウンセリングも受け、予定通り5日間をケアセンターで過ごすことができました。

私が枕につっぷして泣いたあの瞬間、きっとホルモンバランスも大きく乱れていて、極限状態だったと思います。

とにかくここから逃げたかった。そして、当たり前に、息子とふたりで逃げ出したいと思っていました。当然だけど、息子を置いて行くなんてことは考えられなかった。

私の母親は私が小学校低学年のころに、突然、誰にも言わず、私と妹を連れて家を出て東北の実家に帰りました。

たぶん、あの頃の母親は父親の宗教やDVに疲れ果て、孤独で、極限状態だったはずです。

それでも子どもたちを置いていくことはしなかった。そして私もまた、極限状態でも子どもを置いて行くことだけは考えられなかった。

なんだかあの瞬間のことを思い返すと、この先どんなに辛いことがあって判断力がなくなったとしても、息子を置いて行くようなことだけはできないんだろうな、と思い、母親の本能のような、母性ってこういうことなのかな、というのを初めて感じた瞬間だな、と思います。

人は極限状態のときに本性が出ると思っているけれど、私の極限状態のときに、息子から離れることはありえないと自然に思えたこと、産後ケアセンターでの辛い経験を得て揺るぎない確信ができて良かったな、と今では思えます。

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