つぐみ
うつろいゆく、でもずっと進んでいく私の今の立っている愛おしい場所について
ZOCについて触れている記事を、なんとなく。ZOCに、family nameに救われてきた人生
書き散らしたもの。詩のようなもの。基本的に何も考えずに勢いに任せて書いているものたち〜
snsで弱音はこれからも吐いちゃうけど、助けてほしいとか可哀想って思ってほしいとかじゃなくてなんか、snsに私の苦しさを載せることで、誰か1人でいいし誰でもいいけど「私が今日苦しんだことを知ってくれた人がいる」という可能性が生まれるのが重要なんですよね、その可能性を信じて救われたというか報われた気になるためにsnsに弱音吐いてる 助けてほしいとかじゃないんだよな〜 ほんとに戒めとして描いてるんですけど。金銭的、物質的、あとはどうしたって他人からしかえられないもの(なにか情報
人はいつか死ぬね。 死ぬからこそなんてことはたぶんそうそうなくて、死ぬというただそれだけの事実が、私をぎりぎり殺さないくらいのつめたさとやさしさで待ち構えているという、ほんとうにただそれだけなのだ。 人はいつか死ぬね、でもそれは決してかなしいことではないね。死ぬからこそ抱えていけるものがあり、死ぬからこそ消し去ることができ、死ぬからこそ愛せる何かも誰かもきっときっとあるね。 意味なんてないと言うのはかんたんで、でもそのかんたんに甘えてはいけないとおもった、おもって、話し
心身の健康は生活からだと実感している。早めに、たくさん、ぐっすり寝る。朝早めに起きる。朝昼晩ごはんを欠かさずバランスよく食べる。体を動かす。部屋の掃除をする。人と話す。本を読む。文章を書く。 私にとっての生活を大切にしていくことが何より大切なこと。
他人のことをほとんど信用していない。 そんなことを言うとあまりよくないかもしれないけど、信用していないことを変にぼかして、このことについて語ることはしたくない。 好きな他人はそれなりにいる。素敵だと思う。でも、その人たちに言われたその人たちの感情やそのひとたちにとっての事実を信じているかと言われたら別にそんなことはない。その人たちの悪意のなさしか信じていない。その人たちなりの配慮や優しさを私に与えてくれていると思っている。その配慮や優しさが私の基準では少し不適切なもののよ
最近思っていること。たくさん時間があるから、たくさんたくさんいろんなことを考えている。自分の人生を見つめることができている。分かりやすく立ち止まることを許されている。誰にというより、環境に許されているという感覚。ありがたい。感謝を忘れずに、でも他人のためには生きることがないように、ほどよい場所で生きていく。笑顔すぎず真顔すぎず歩いていく。 私にとっての人生は、何かやりたいことや目標とかなんでもいいけど、ひとつでも100個でもいくつあってもいいけど、何かを実現させるために生き
別に誰かに伝えたいわけじゃないけれど、いやでも伝えたい気もするけど、私がこれまでどれだけ闘ってきたかを知ってほしい気持ちももちろんあるけれど。誰かに宛てて書かないと書けない言葉、語らないと乗り越えていけない感情、そういうものを書くよ!書いていくよ!! 過去について、この半年くらいは語ることを避けていた。過去って向き合うのに体力がいるし、なによりこの半年はそのときどきでそれぞれの苦しさがあったからそれどころじゃなかった。過去について考えることを諦めたとか、もうしない!とかじゃ
こんばんは。 最近の話を、少しだけ。具体的なことはあまり話したくないので、私の気持ちだけ。今、会おうと思えば会える人にあまり近況を事細かに知られたくない。そういうことは会ってから言いたい。 SNSについて。ログアウトするんだかしないんだか、よく分からないことになってしまったけれど、多くの人とつながるのはやめた。Instagramは、これまで使っていたアカウントのフォロワーとフォロー中のアカウントをすべてひとつずつ削除した。Twitterはこれまで使っていたアカウントを削除
久しぶりに、誰かに向けた文章を書いてみるのも悪くないように思った。 前を向くと決めた。笑いすぎず、真顔すぎず、ちょうどいいバランスでいろんなものを過ぎ去っていくと決めた。全部、私のため。 怖さも苦しさもあるけれど、引き受けたり手放したりして、できるだけ私の心が傷つかないようなかたちでくぐり抜けていけたらいいな。私は私にとっての最善を選び続けているつもりだから、ひとつひとつ丁寧に見つめて選び取ってきたから、このまま進んでいけば大丈夫。 そういう生き方を、自分自身の救い方を
不特定の誰かに言葉を投げたり渡したりすることが怖い。わたしの柔らかな感情を、傷つけてしまいたくない。分からない今を、分からないままでいいと言いたい。泣くことしかできない心細い夜に、それでも前を向く強さを持っていたい。
文通したい。実際にしようとしたことがあって(送ったけど住所が間違っていたか何かで返送されてしまったような気がする、その人とは結局いろいろあり関係が切れてしまった)、したいなあと思いつつ、相手もいないしなあとぼんやり考えている。 手紙を書きたい。誰かから手紙を受け取りたい。
これから、いろんなことをまた書いていけたらいいな。
言葉を書くことについて話しますね。 なんか、これは私が思ったことのアーカイブとして少し書いておきたいくらいのものです。今と未来の私への言葉、戒めみたいな部分があるので、少し上から目線になってしまうかもしれません。謝る必要はないと思うけれど、書いておく。そういうスタンス。 その事柄について何かしら考えているのであれば、そのことについて語ること、言葉を書くことは可能であると思います。ただ、この表現はふさわしくないという感覚であったり、自分がどう思っているのかうまく掴めないとか、
今の私を覆っている薄暗い感情の理由が分からない。この薄暗い感情について見つめすぎてしまったら、見つけてはいけない何かを掴んでしまう気がする。でも、その「何か」から目を背けることが正しいことだとも思わない。どうしたって苦しいのだろうと思う。でも、逃げる覚悟はない。私は、私が選んだ苦しみを、うまく引き受けられずにいる。選んだつもりはなかったけれど、逃げないという選択肢を取り続けた結果が、今の苦しさなのだろう。 学校を辞めたい。高2から変わらず思っている。高校に入っても大学に入っ
お休みしてよかった。 大学もバイトも行くのをやめてから、もうすぐ1ヶ月くらいになる。お休みをしてから、はじめて見えてきたものがあるように思う。 自分の人生に誠実でいたい。私は私に、できるだけ心地の良い場所にいてほしい。 私が私を生きること。 それが何より大切なことで、私が私でいられない場所も人も私からちゃんとお別れをすると決めた。ずいぶんと前からしていたような気もする。そしてそれを言葉にしていたような気もする。全く新しいものなんてなかなかないのだと頻繁に思うようになった
他人をうまく愛せなくなったから、お休みして自分の声を聴く準備をしなければ、と思ってお休みを始めたら、もうどうしたらいいか分からなくなってしまった。 麻痺することで即席の強さを手に入れて突き進んでいけるのに、それができなかった。壊れる瞬間ひとつひとつを言葉にしてしまう癖がついてしまった。泣き方が分からないだけで傷ついてないわけではなかった。 私のまましあわせになるって決めた。お手軽なしあわせで満足できる私ではなかった。そういう生き方をいつのまにかなぞっていた。いつのまにか背
以下、昔の日記です。 少し書かせて、まあいつもなんだけど。 みんなのこと好きだよ、愛したいよ、しあわせになってほしいよ、でもそれ以上に羨ましいしめちゃくちゃ妬ましいよ、どうして私だけがこんな目に合わないといけないんだろう、みんな私くらい壊れたらいいのにっていつも思ってるよ、朝は布団から全然動けなくて生活に支障出まくって、夜は眠れなくてきつくていざ眠れても悪夢だらけでどこにも平穏な場所なんてないって思い知らされて寝るのすら怖くなったり、急にパニックみたいになって動けなくなって