私なりの最善で

お休みしてよかった。

大学もバイトも行くのをやめてから、もうすぐ1ヶ月くらいになる。お休みをしてから、はじめて見えてきたものがあるように思う。

自分の人生に誠実でいたい。私は私に、できるだけ心地の良い場所にいてほしい。

私が私を生きること。
それが何より大切なことで、私が私でいられない場所も人も私からちゃんとお別れをすると決めた。ずいぶんと前からしていたような気もする。そしてそれを言葉にしていたような気もする。全く新しいものなんてなかなかないのだと頻繁に思うようになった。大切なものは近くにある。すでに見つけている。これからも、何度も見つけなおしたいと思う。

どれくらいお休みすればまた歩き出せるのかはよく分からないけれど、私が私を生きることは変わらないし、全部報われるからきっと大丈夫。

未来が怖い。でも、今の最善を尽くしていけばきっとどうにかなる。未来のことはそのときの私が考えてくれるから、私は私なりの最善で私を生きていればそれでいいよ。

たいせつな人との別れも、少しずつ飲み込めるようになってきた。今も傷は変わらずあるけれど、その傷に何もかもを飲み込まれてしまいそうな夜はずいぶんと減った。

私が私を愛おしく思えるようになったから、他人に愛を前よりも求めないようになったのかもしれない。愛されたい。私のことを分かってほしい。そんな欲望はもちろん今もあるけれど、そんなもの人間だからあってもおかしくないだろうよ、くらいに考えている。

分かってほしい。でも、私のことは私にしか分からないし、簡単に理解されるような薄っぺらさで生きているつもりもない。そんな矛盾を抱えることに、少しだけ慣れてきたのかもしれない。

私のことを分かってくれている、と思える人にも出会えた。いつのまにか出会っていた。愛されていた。そのこともすごく大きかった。

またどうせいなくなる。でも、それでいい。私はあなたのことを愛している。今、私たちは手を触れ合わせることができている。それだけでいい。関係をつなげることができても、急に明日にでも関係が終わってしまうかもしれなくても、今の愛は変わらず美しくて、もらったものもずっときらめいてくれるだろうから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?