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自己理解 日記 母親と僕

今日は動画をリンクして、家族、親を理解することで自己理解もした日記を書きます。

今更のような改めてになるのか、また自分の中でざわざわしてしまいますが、そんなことは今は距離を取れるようになってきているので、ここで書いておくことで連鎖や癖を直して生きたいと思います。

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僕は自分の家族、親に対して、今はどうのこうのそこまで言いません。
人間ですので、瞬間的に、あるいは一定の時間は感情的になったり、最悪なことはないとは思いますが負の連鎖に陥ってしまう時もあります。

ここだけを切り取って、変わらない、や、お前はこうだ、みたいな矛先を僕に向けないでくださいね。

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まず最初に、パーソナリティー障害についても、病気と断言して悪いとは言いません。個性と言い何でもそういう人もいるよね、と誰か特定の人にしか当てはまらない訳ではありません。

みんな誰しも何かしらの個性や癖があります。
病気や特定の何か名称を付けて、悪い人間や問題を持っている人間のように言う人は僕は嫌いです。

「自分は発達障害だから」
「俺は病気だから」
というように、①自分が特定の何かである、だから他人には分らない②普通とは違う、普通の人は○○だけど自分は○○だから、という言い訳ではないのだろうけど自己分析が出来ているようで視点が自己本位(視野が狭い)の物の言い方でしかできない人も嫌いです。

今日は自己愛性パーソナリティー障害について書いていきますが、これもすべてが当てはまる人もいれば、当てはまるところもあれば当てはまらないところもあるのが当然です。

「夜に眠れないから不眠症」
これは間違いです。言い方の問題ですが、間違いと僕は言います。
① 日中に寝ている。 仮眠や昼寝などをどこかでしている。
② 朝起きる時間が遅ければ、トータルの睡眠時間は3時間以内しか毎日寝ていない訳ではない。
③ 肉体労働などだけに限らず、仕事や勉強などのエネルギーを使っていない。何もしていないとは言っていません。摂取エネルギーや体力の回復に要する時間が必要ではないくらいしか活動していないという事です。
④ その習慣が身についてしまっている。

このような場合で、仕事や私生活に問題が生じているのに、治そうと治療や努力を実行していない人もいると思います。
僕の中では、引きこもりやニートみたいな人も、生活保護や親の財産で一生を終えるような考え方で生活をしてきている人も論外です。

働かなければ生活できない。生きていけない。
やらなければいけない事をやらなくても生きていける人以外で、どうしても、どう頑張っても辛い、苦しい、助けて欲しいと必死で暗中模索の先に病気になってしまう人は僕は一緒に頑張ろうとメッセージを送ります。


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僕の母親は自己愛性パーソナリティーが強い人です。
境界性パーソナリティーも強いのですが、それは僕も受け継いでいました。
これは遺伝とはいえ、病気とは違い、本人の考え方や言動次第、環境的要因で変われることなので、そこを理解してください。

先に言いたことを書きます。

僕は18歳から親や家族(祖父母)に対して
「自分が元気なうちは散々、言う事を聞けと洗脳して、自分が弱くなったら(歳老いたら)都合よく手のひら返すんじゃねえ!」

これは、僕が大学生になり、親元を離れた頃に僕の中に芽生えた事です。

僕の中では、それまでの強引、傲慢、高圧的な親が、僕が大阪と言う場所に離れた事で親心として見守ると言うよりも、まだ元気で、歳も若く、過干渉で追いかけてくる人間だった母親が、少し弱弱しい姿や、こちらに理解を示すような言動を見せ始めたことに対して僕が発した言葉です。

これは共依存関係を維持するための、演技性も含む、
「私がこれをしてあげたのに」
「私がこれだけしであげたのに!」
という自己犠牲を押し付けて、こちらが離れないように仕掛けているのです。
また、ある時はこういうような事も言っていました。
「私は頑張ってあんたを育てたけど、母親として間違っていたのかなあ…」
これは、私はあなたの為に尽くたのに、私を裏切るのね?という暗黙にこちら側に罪悪感を与えるような行動に出まていました。

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自己愛性パーソナリティーで、母親が当てはまらないように見えてしまう部分は、鬱にならない事です。人から見て、精神的な病気になって動かないという状態にならない部分です。
それは生活する為に、生きていく為には働かなくてはならない。
そして自分を評価させる(承認欲求・自己顕示欲)の為には、勉強や努力など、したくないような事や作業をする苦痛を乗り越える力は相当強いのです。
それは幼少期の勉強をする事、相手に知識でマウントを取れる事を成功体験で得てしまい其のままで成長(発達)をしてしまった事が要因になっています。

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回避性と言う部分は、分かりやすく最近の例で言うと。以下になります。

人といる時に、自分が知らない地名の漢字があった。
それを一緒に見ている。
地名を言葉にするが、その地名の読み方が間違っていた。
人がそれを否定したわけでも指摘したわけでも非難した訳でも無い。
けれど
「ごめんなさい!」
と、てへぺろ、みたいな仕草をしながら即言う。

相手は、地名の正しい言い方以外は何も言っていない。

ここで母親は、
①間違ったことを指摘される
②指摘(非難・批判)されたくない
③可愛らしく誤魔化しながら自分が否定されることを回避する

この流れを踏みます。

逆に、相手が漢字を間違った場合
「これは○○という読み方をするの!○○はこういう場所でね、歴史的には○○でね」
と、自分が知っている分野の情報を相手に伝えます。
この伝える行為が、押し付け、強引、一方的に喋る、などになります。

また相手が自分とは違う意見や情報を持っていた場合は、それを敵対視して、自分が持っている情報の正当性を訴え、それを相手が受け入れるまで強引に押し付けようとします。これが攻撃になります。

自分が出来ていない事、わからない事、苦手な事に対しての自覚は多少なりともあるのです。
そして、自分が間違っている事に対しては、間違ってしまったと思えば、相手を見て、どう回避するかを考え、可愛らしく(女の子のような)立ち回りで回避する。

また相手やその場が、仕事上の付き合い、または社会的に対等な場面、パブリックな場であれば冷静に判断し、冷静に謝罪できます。

これが私生活などのプライベートエリア。家族や、親密な関係の相手になると、自分を否定されないように相手を否定したり、自分が攻撃されないように相手を攻撃するのです。

ここで誤解しやすいのは、攻撃されないように、という部分です。
攻撃されたのか、ただ間違っているよと、言われただけなのかも論点になります。
間違っているよと言うのが、自分を否定されたと捉えると攻撃になります。
間違っているよと、優しく、あるいは、穏便にやんわりと説明してくれる人と出逢わなかったのか、出逢ったとしても、そこに他者のとコミュニケーションは、優しさや多い槍のある言動で良好で円滑なコミュニケーションをしなければ関係性は崩れてしまうという事を理解せずに大人になっているのです。

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人に対しての妬み、嫉妬はコンプレックスからも来ます。
そしてそれは自分の自己理解が足りていない事も原因になります。
自己評価が高すぎると言うのは、理想と現実が見えていないという事です。

僕がここ数年で言い始めた、自分の姿が見えていない、俯瞰する力の無さから生じます。

母は、他人が憎いとよく言っていました。
自分の事が理解されない
自分は間違っていないのに
自分はこれだけ頑張っているのに
自分はこれだけ凄いのに
というような部分を強く持ち、なのに人は評価してくれない、という言い分に持っていっていました。
自分を見て、自分を受け入れて、という内面(心)の叫びです。

これが少女老婆の深層心理です。

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自分を大きくみせる事の対象として、権力者や名のある人に寄っていく。
そして、その人の陰に隠れて、自分の欲求を満たしてくれる支配下を広げようとします。

これがスネ夫タイプと僕が呼んでいる部分です。

トップに立たず、二番手にいたい。
目立ちたいけれど、完全な頂点になろうとしている訳ではない。
なぜなら、自分の不得意な部分や、苦手な事。
至らない、足りていな部分を知っているからです。

人間は誰しも特異不得意があり、向き不向きがあります。
ここでは、それを否定している訳ではありません。
誰しも苦手な部分はあるのですが、それを補い、助け合うのが人間であったり社会であったりするのです。

それが損得や駆け引きなどで攻めるや守るなどの行動に出てしまうのが問題であり、難があると言われる部分です。


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今日も、親しい人が、母の愚痴や人の非難を聞いた結果、それを改善あるいは、その愚痴や不平不満を聞くのが疲れるので対応した事実がありました。

僕はそれに関しては、「僕は純子さん、○○さん、○○、○○という物事の流れや言い分を、俯瞰して見ているから心配しなくていいよ」と伝えた。

結果的にその輪の中がどう動くのかは分からないし、言ってしまえば、関係ないで切り捨てれば良い。

母の悪い癖や言動は知っています。
もし、このことが理由で何かが起き、問題や軋轢が生じたとしても、
「私は知らないけど」
「私は関係ないけど」
というスタンスを取り、そう言うでしょう。

とはいえ、僕は母の子です。
最終的にどういう判断を下すかは別ですが。
母親の事を今の僕が客観的に見て、母が悪くない事を悪く言われるのは心外ですし怒ります。

「自分の親の事だから言ったら気を悪くするかもしれないけど」
と言われたが、僕は即答した
「いや、それは違う」

この件に関して、その人が「心の中では(心の声として)」として教えてくれたのが
「お前が炊きつけたんだろが!!」
です。
笑ってしまいましたが、僕は
「そう!!!!!!」
そう全開で頷きました。

この人は、母から散々ある人たちの話題や団体の不満や愚痴や世間話を聞かされて、もう仕方がなく、自分もその事について、決して良いとは思っていなかったから、行動に出たのです。

母は、こうして人を陽動させます。
本人は
「違う」
「そんな事してない。それは勝手にその人がやった事よ!」
と言いますが。

僕の母は、人をコントロールするように仕向けるのです。


人をそういう流れに持っていくような話の仕方や組み立て方を、無意識か、意図してかは別としてするのです。

周りや近い人に何か、誰かの悪口や愚痴を言い、その誰かの中から善意や少しでも母と親しい中の人に母の気に入らない人や対象物に指摘や攻撃をさせる流れにするのです。

これがあっちでこういい、こっちでああいいなのです。

実際には悪口を言われている人やその周りに母はいます。
そして、その対象者たちを悪者にするか排除する流れにし、自分の気持ちが良い環境や人たちだけのコミュニティを形成しようとするのです。

僕が散々振り回されたり、動けずに、どんどん精神的に成長できずに、結果的に歳とともに衰弱して言ったのは、このやり方で何をしても上手くいかないような環境や言葉を受け続けた結果です。

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散々、僕は母の毒を受け続けて生きてきました。
母だけを悪者にはしたくありません。
けれど、そうやって人に影響を与え、左右させる言動をする力が人より悪い意味で強いのが母であり、そういう人間の事を2024年では「毒親」と呼びます。

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人が集まり、何か問題が起きれば、その関係者は全員が悪人のようになる。

この事を知っていて欲しいです。

何か事件や問題が起きた時。

その説明や反論や声明を出している人たちは、全員が、それぞれの想いや、立場、状況に左右されながら言葉を発しているという事。

それぞれが自分は悪くない、自分には非は無い。
自分は何も間違っていない、という声明を出します。

それは仕方が無い事です。
それに便乗して、意見や態度を変えるのも人間です。
それによって更に傷つく人もいれば、それによって被害や影響を回避、あるいは少なく抑えられる人もいます。

誰が悪いかと言えば、全員が悪いのです。


それを踏まえた上で、日常生活を送ると、人と人とが憎しみ争い殺し合う社会と言うのは、自分からは遠い所に距離を取れると思います。

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ちなみに上の事は現時点の話をしている訳ではありません。
過去、僕が自殺企図になってしまうまで。
僕が、自己理解や、認知の歪みなどを治していく過程で、さらに年老いた母親なので、多少の変化や現在との違いはあります。

これを書いている今、さきほどは。

仕事の話、業務連絡をしている最中に、いきなり
「○○さんが○○のカギを渡してくれたんだけど、後から電話がかかってきて鍵が違うって言ってきたんだよねー。もう、ありえない」
と言い始めました。

僕はそれに対して、多少は刺があったかもしれませんが

「それで何か問題があったの?僕がどうかしなければならないことがあるの?」
と聞き返しました。

「いや、ないけど」
と母は返してきます。

これは社長と部下と言う面、業務連絡、報告、連絡、相談と。
私生活の中の雑談のような会話との線引きが出来ていないのです。

こちらは
「じゃあ何をしたらいい?」
「どうしたらいいですか?」
という質問に対して
「いや、別に何もそういう事は言っていない」
という返しになっているのです。

だったら何なの!?

と、こちら側は混乱します。

このような人に生活を管轄され、教育され育った僕です。

自分も同じような事をしていると思います。
それは鏡のようにして、自分に置き換えて考えます。

今日のひとこと

「サイケデリック自己理解」

これの深い意味は無いです。
ただ、語呂が良いから口にしているだけです。

僕の思ったままを口にしてしまう、遊びや、癖です。

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