言葉なんて解らない方が良い事もある

朝起きて、ご飯を食べて、支度して、仕事に向かう。
昼食をして、時間が無ければそのまま仕事を続けて。
残業が無ければ次の日の準備と確認をしてタイムカードを切って帰る。
夜は帰り道で寄るところが無ければ自宅に帰り、遊び過ぎは良くない。
それぞれのルーティーンみたいな流れがあればそれをして。
22時くらいに眠れるような一日のスケジュールになれるなら
僕の生活も安定するのかもしれない。

外の世界で生きていけば人とぶつかる。生きるとは働く事でもあり、食う事であり、人間社会の中で人間関係を形成し、「自分を守らなければいけない」世界で僕らは生きているのです。

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僕は、名前やブランド、金持ち力持ちと、欲求欲望のままの言動をしていると感じた人に対して僕は揶揄しますが。

僕のお付き合いのある方で。

名のある方、成功されている経営者の方は安定して見えます。
それはそれまでに大変な苦労や僕らが想像がつかない事も経験として乗り越えて、今のその方や会社や存在があるのだと思います。

でも、その実体は解らないものだと思いませんか?

いくら稼いでいて、本当の懐事情。
本業や、儲けのしくみ。 

興味ありますか?

僕はありません。

そのすべてを鵜呑みにして、手放しで歓喜したり、愛想を振りまくのは馬鹿だと思う。その情報源の信憑性を信じるかどうかは自分の力次第です。

ただ、その有名で成功もされて、人徳者と尊敬される「その方」も家の中、プライベート(パーソナル)な部分に何があるのかは解かりません。

もしかしたら犯罪者かもしれないし、きっと変態性欲者だと思う。

そこで「良い悪い(善悪)」の判断をするのも、見方次第で。
法律を基準とするのか、人間としてを基準とするのか、その人の常識や良識と言うのも線引きが曖昧。

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あるタレントさんが、インターネットや自身のSNSへの悪口や誹謗中傷についてのコメントがニュースになっています。

この手の話題は「有名税」「嫌ならしなければいい」「わざわざしなければいい(気になるなら見なければ良い)」、「自分で発信しているのだから自分の都合のいいコメントやメッセージだけ受け取りたいというのは勝手」という人もいる。

僕もどっちもどっちだと思う。基本的にタレントや(芸能人)は、話題性と知名度で需要と供給が仕事として成り立っているので、カリスマビジネスや炎上商法と同じような物だと見ています。

でも悪口は書きません。

ここで「じゃあ、私は誹謗してません批評ですにはどう対応したらいいの?」、「犯罪を犯す人間を事前に止められないように、誹謗中傷をする人を事前に止めるのは難しい。誹謗中傷する人を0には出来ない事を理解してインターネットやSNSするしかない。」と、これが今の答えだと思います。

そうか。

世の中に何かを発信した時点で公人になって、、いや待てよ。

昨日スタンドエフエムで絡んで来た気持ち悪いオッサンは、
「私は本名を曝け出して発信しているけど、君は本名も明かさずにプライベートな事は言いたくないからといって話をしない、話にならない」と僕に言って絡んできたな。

あのオッサンは他のサイトも十何個していて、今はクラブハウスで議論してると最初に言っていたな。「たまに喧嘩みたいになるけど」と笑っていたけど、現実に対面していない相手に喧嘩なんていい歳してするなよと。
あれがこのオッサンの気持ち悪さの本性(実体)か。
名前も忘れたし、老害が発火してるな、、と思っていたけど。

その人も自称コンサルタント()自称インフルエンサー、自傷ビジネスパーソンみたいな(自称)人間だったから、見苦しく痛々しいのは分かっていたのだけど。

僕に関わらないでくれよと思うんだ。


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簡単な仕事で。

お客様Aから「今日から一週間以内に完了させてほしい仕事がある」と依頼の相談が来ました。

すぐに関連する業者に連絡をしてスケジュールや費用の見積もりを集めます。
そうすると、どの業者からも「その日程や期間のスケジュールでその業務を完了させるのは難しい」と返事が来ます。

お客様の希望を最優先する方法として。

業者もアルバイトも総動員して作業に取り掛かる方法があります。
うちで仕事を引き受けて監督し、全社でお客様の要望に添える形にするのです。

バラバラの会社から人が集まり、作業に入ります。
当然、その中に営業マンが途中で来て、お客様に直接営業をかけようとします。「今回はどれくらいの費用かかりましたか?うちならその半分くらいで勉強させてもらいますけど...」

こんな話をごちゃ混ぜにして、ご破算にしたりする業者がいるのも当たり前の社会です。でもそれは結果的にお客様も含めて、全員が嫌な思いや不信感を抱く結果になります。

業者の中でも「うちは何人でこれだけの仕事分を引き受けるから(請求は)いくらで」と、どの業者も自分たちが一番利益を稼ぎたいので、あの手この手で話を僕の所に言いに来ます。

けれど僕は公平に正当な報酬を支払います。
中にはグレーな提案をしてくる業者もいます。

グレーな持ちかけは、お客様も多少は費用が安くなることが多い反面。
違法行為が混じっている怪しいケースが多いです。
だからグレーなモノの言い方で説明してくるのでわかります。
でも、それは私は出来ません。

一円でも儲けたいからと言って、誰かが損をしたり。
傷を負うような仕事や、お客様への説明も僕はしません。

するのは、適当な横やりや、無責任な発言で営業をかけてきたり、嘘や違法な行為を持ち掛けてきた人間の事はこうして堂々とどこでも喋ります。
だから僕には関わらないでください。普通に生きていたいです。疲れる。

ワンストップサービスの形をとると、お客様の要望(日程や費用)、業者同士の話、スケジュール管理、(当日に休むことの多い日雇い労働者も含む)アルバイトの調整、書類や手続き、入金、先払い。

もうお客様も正当報酬を頂けるまで安心が出来ない。
僕の性格上、一緒に仕事をする業者と向き合う時ですらも、お客様も業者もアルバイトも全員が敵に僕は見えるのね。
それはとても疲れるし、精神衛生は良くないの。

キャッシュオンの商売は、その点だけは(間違った仕事や、正しくない事をしていない限りは、踏み倒されたり悪質なクレーマーの類さえ相手にしなければ)少しは気持ちは楽だったのかも。


お客様「一週間以内にこれを100万でお願い」
業者「これを今からスケジュールもセッティングも入れて一週間?無理無理」
業者「この仕事、うちに全部くれるなら多少の無理は聞くよ」
業者「お客様のところに挨拶に行っても良いですか?」
業者「訳あってどうしてもって言うなら、これくらいでウチが引き受けさせてもらうよ。その代わり、これお願いできない?」
業者「これをこうして、こっちはこうして、、これでもっと安く出来るから。お客さんに納期を遅らせれるように何とか交渉してくれん?」

業者「これここだけの話で、今後ともお付き合い宜しくお願いしますね」

これだけでも一瞬で話が集まってきて、お客さんに説明する時に間違いや誤解があってはいけないから、僕は必死。

そんな中で暗躍したり、怪しい動きや不義理をする人間もいる訳で。

業者に限らず。

お客様は、正当な報酬と契約書、すべてが揃って、完了して「お客様」。
それまでは話半分で聞いておく。
噓や冷やかしや、悪質なブラックリストな人もいるから。

「お客様はお客様で会ってお客様ではないのよ」


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結局、人間は一人だと。結局は人間、最後は死ぬ時は独りであると。

そうか。

これからはもっと、だから、冷たく生きよう。

淡々と、飄々とは出来ないけど。ドライに。

「出た、悪ちゃんの顔」
「その目」と言われる時の「気難しい僕」でいよう。

悪い人間では無いけど、君や人に対して優しくないだけだから、
僕の懐だけが痛むことは極力減らしたい。

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生きててそんな楽しいか?

僕は今の自分が解っている人生の中で僕が味わえる幸せや快楽というものは、瞬間最高到達地点というものを100%した訳ではないけど。

これから先、何となくの、僕が経験体験できそうなものや、未知との遭遇は確かにあるかもしれない。

まだ向井君に「ありがとうございます」と伝えられていないしさ。

でもやっぱさ、

みんなに聞いてる訳じゃないけどさ。

そんな生きていて楽しいか?

ツラい分、傷ついた分、幸せや未来はやってくるからなんて言わないでね。


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仕事で嫌な事で限界まで疲れ切ってしまった時もあって、帰り道に寄ったスーパーの総菜で美味しそうなものが半額で残っていて。半額の総菜と2リットル80円のお茶を買って帰る。

またそのスーパーのレジの店員さんの笑顔が初々しく、店を出たら野良猫が通り過ぎて可愛くて、「君はどこから来たの?君は可愛いねえ可愛いねえ、ねえねえみーちゃん。どこいくの?」って知らん顔のノラ猫に話しかけて。
部屋に帰ったら楽しみにしていたテレビ番組か動画を見る。

気がつくと新しいものが出てくるけど、実は新商品や流行りみたいなものはループしていて、コンビニの新商品も毎年同じ商品を棚で見るし、一年中売っている物も「さらに美味しくなって」「限定」「リニューアル」なんて名目でいつも売っていたりするんだよ。

自分も歳を取ったのだと感じるのだろうと思う。


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ドライブインカーは村上春樹の原作だが、僕は村上春樹のファンでは無い。

どこかでも話しているけど。

僕が大学生の頃、「村上春樹を読んだことある?(ありそう)」「村上春樹の小説の中に出てきそう」と言われたことがあって、本を全く読まない僕は急いでTSUTAYAに買いに行って読んだ。

僕は村上春樹の世界や空気の色は、今の時代背景にはシンクロするものが無いのだと思う。当時はあの主人公や登場人物や台詞ひとつに、背伸びして少し憧れるような。
本はちゃんと読めていないのかもしれないけど、理解していないのだろうけど、解ったような気になって歩いていたかったのだろう。歩きたかったのだろう。

僕は生きる事に疲れたとは言わない。

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僕が生きていると、僕がいて当然のような感覚がある。

言い換えれば、僕が生きていてもいなくても何も変わらないのだろう、が正解だと思う。

誰も悲しまなければ誰に影響を与える事も無い。

大学時代の、それもこの4ヶ月くらいの間で僕と電話をした、あいつら。

大人になって出逢った人たちも。
僕とここ最近に話をして僕の今を知っている人。


僕が消えても 僕らの精神だけは消えないのだよ。

だから他の奴が悲しまなかろうが僕の事なんて忘れようがどうでもいいわ。

僕は有名人でも無ければ、自称人間でも無いのだからさ。

僕がどうしようが、関係ない人にどうのこうのとやかく言われたくないわ。

それも人間の一部って事じゃないかな。

だから 別にもうどうでもよくない?


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