本を読んだことが無い事を自覚していない人たち

よく「短い文章しか読めない人」という単語を見聞きしてきた。
僕はあまり実感が無かったので、自分は違うと思い込んでいた。

僕はよく
「短い動画しか楽しめない人、は嫌い」だと言っていた。

それに加えて
「好きな曲があったら、その曲しか聞かずに、そのアーティストの他の曲やその曲が収録されているアルバムまで聴こうとしない人が嫌い」
とも言っていた。

僕はこの3つは同じ意味だと思っている。
自分は3つとも出来ると思っていた。
けれど実際には下2つ、実際には一番下の音楽だけ僕は特に出来ていた。

出来たというより、していた、という方が合っているのかもしれない。

振り返れば僕は学校という所で勉強をまともにしていなかった。
国語、算数、理科、社会。僕の時代だと中学校から英語が入ってくる。
小学校の頃から僕は勉強が嫌いと言うよりか、物事に向き合って、時間をかけて取り組むことが出来ていなかった。

結果的に学生時代は「勉強が嫌い」という事になったけれど、僕は勉強と言うよりか、

好きな事以外(価値を見出していない)物事に対して、建設的に、忍耐強く取り組むことをあまりせずに大人になった。

これが日本語を正しく認識して、読み書きをする力を育てずに来たことになった。

まじめにというと違和感があるが、コツコツと嫌な事でも取り組むことで得られる知識や、努力して我慢する事、困難を乗り越えてその結果を受け止める強さを得ずに、弱い部分(足りない部分)は放置して生きてきた。

それがすべて間違っているとは思わない。
誰しも向き不向き、得意不得意がある。家庭環境や学校の環境、周りの大人や友人関係にも影響を受けると思う。

振り返れば、僕の多動性や衝動性、自己管理能力の低さは、嫌な事、したくない事から逃げる時に発揮されていたと思う。

親の感情的な言動や、ヒステリー(癇癪)、家族(家庭内)の偏った正義で成立していた価値観を、僕が嫌がったのだと思っている。

・・

反抗期に入り、自分の生きる道や世界を求めて勉強や地力をつける事方向に向かわなかった。

防衛本能として、その家族と共依存する関係でしか生きる道が見えていなかったのだと思う。
なぜなら、子供であり学生だったからだ。そして社会に出たばかりの頃、僕は一度実家に帰ってきて家業に就いている。

家業と言うのは母親が社長だ。

ここでまた自分の生活を、給料面でも、私生活とライフラインを自分の職場であり社長である母親に把握・掌握されてしまっているのだ。

僕は子供の頃から、外の世界と多く関わりを持っていた。
小学生の頃から、親に連れられ、多くの大人たちに囲まれて育った。

それは親戚付き合いや学校関係では無い。
社会活動、環境活動、市民運動、政治活動、自営業者・経営者の集まり。

そのような人たちや環境の中で育ったのが、それは僕は子供として親に連れられて参加し、その環境の中の価値観で育ち、成功体験を養った。

僕の中でカッコいい大人という像。正しい大人という像は確かにあった。

成功している経営者や若手の才能ある有能な方たちを見ていた。
憧れもあったし、その人たちの言葉に学ぶ事も多かった。
また、人が成功する反面、挫折や失敗する姿や過程も見てきた。
そこから学ぶ事もあったし、共感して悲しむことも僕にはあった。

ただ、そこで人に対する評価や社会に対する評価を自分で考えなかった。
自分の持っている情報や知識で考える事をしていなかった。

・・

僕の母親は悪口ばかりいう。
僕はそれを18歳の頃から叫んでいた(訴えていた)。


コウモリのような人間。
あっちでこういい、こっちでああいいする人間。
強い物に媚びを売り、弱い物は虐める人間。
相手によって態度をコロコロ変える人間。
相手を称賛していたと思えば、急に罵倒し、また卑下する人間。
それをまた感情的、ヒステリック(癇癪)に喋る人間。

これを連れられて行く子供は、行き帰りの道のりで散々聞かされてるのだ。

・・

価値観や評価と言うものは変動する。

僕も、相手の言動を見て評価を変える。

ただ行く道では、親が称賛(賛美)している人たち、またそのような場所に親と一緒に行くのだが、その帰り道では、その人たちや場所の悪口を散々親から聞かされて帰っているのだ。
それを幼少期から繰り返し見聞きし教えられる子供の思考や心境は、混乱と認知の歪みみたいなものを生み続ける事になる。
子供なのだから、親の言う事を疑うことなく信じるしかないのだ。

いくつまで子供と言うのかと言う問いもあるだろう。
僕は「物心ついた頃から」と指している。

・・

家の中の主は常に母親だった。
父親でもない。
母親の実家で育ったが祖父母でもなく、母親だ。

生きるも死ぬも、子供の僕には、母親がすべて握っている環境だった。

その母親が、いわゆる子供の僕から見れば「毒親」人間だった。
機能不全家族(機能不全家庭)と共依存関係。

それが僕の成長に偏りを生むきっかけになっていた。

・・

僕はそういう面で見れば素直で、いい子であろうとする人間だ。


ただ親から見れば
「まじめにしない」
「手のかかる(面倒が掛かる)」
子供だったと言うのだろう。

それも自己愛性パーソナリティー、境界性パーソナリティーという言葉の理解が出来る力が付くと、自分の家や家族に対しての理解が出来てくる。

自己理解をすることで、同時に人間として成長や変化をする。
僕は今その道を選んでいる。

・・・・・・・・

僕の家計は発達障害と言われやすい家系だろう。

家系(親族)を見てもそう思う。
強い個性が揃っている。そして自営業・経営者が多い。
雇われるよりも起業をしている人が多い。
僕の父方、母方、どちらの血筋を見てもそうだった。

それが正しいという訳でもない。
成功して幸せになっているという話でもない。

父親は僕が物心ついた頃には自営業をしていた。
失敗したり成功したり、続かなかったりしながら今でも会社員ではない。
母と離婚した後も自己破産をした訳でもない。
今は再婚をして、子供が大学生らしい。
再婚相手に関して色々あるのは知っているが、現時点ではまだ生きている。
殺された訳ではないから、それなりに何とか生きているのだろう。

叔父は若い頃からフランスに渡り、油絵画家として一生を終えようとしている。ただ、それが画家として成り立っているかの評価は別だ。
僕は大人になってから叔父と再会しているが
「この人はアーティストではない」
という判断を僕はしている。
叔父は言っている事はさもそれっぽいが、僕が知っているアーティストとはかけ離れていた。知識も技術も作品も少ない、自称アーティストだったと僕は30を過ぎてから知った。
実際にフランスでは有名な画家の方から支援を受けて、事実、フランスで活動していたのだろう。ただ売れないだけだ。

これは父親や叔父を否定している訳ではない。

ただ、商売の能力がなかっただけだ。
事業を成功させる力が無かっただけだ。
油絵画家として、能が無かったという僕の評価なだけだ。
日本で生きていくのには向いていなかっただけだ。

・・・・・・・

父方、母方、どちらの祖父母も本当にお人好しだった。

この話をしていくと、本当に僕が悪口を言っているように見えるのかもしれないが、それは大間違いだ。それだけは説明しておく。

本当に優しい。人の為に、と動く人たちだ。

それが正しかったのか間違っていたのかは分からないし、僕は言っていない。そして、今でも僕は人に対して優しくする事は変わりたくない。

祖父母を見ても、親を見ていても、動いてしまった事で損をした事も知っている。動いたから成功した事も知っている。
今に繋がっている事も理解している。

・・・・・・・・

デリカシーの話をします。

僕は「デリカシー」と言われても今でもしっくりこない。
「空気を読むという」言葉にも違和感がある。

ただ僕の母親は、相手が嫌がる事をするのが得意だ。

相手が一番嫌がる部分。
相手が触れられたくないところを狙って相手を攻撃していた。

例えば、父親が怒るまで口撃(攻撃)をし、父親が激高したら、僕の後ろに隠れる。
散々相手を挑発し、相手が反撃しないと思っているところまで攻めて、相手が反撃をしてきたら誰かの裏に隠れる。

「キャー!!」

と女性特有の悲鳴を上げ、逃げ隠れるのだ。

この姿が遠い記憶の中には、かなり多くある。

この相手が怒る事、相手が嫌がるような事をするのは
「デリカシーが無い」
「空気が読めない」
と言っても間違ってはいないと思う。

僕が考える優しさとは、人が気にしている事やコンプレックスなどがあれば、それを理解して、相手に対して言わないように考慮する事だ。

そこを相手を攻撃する弱点として認識はしない。
それを母親は意識して仕掛けるのだ。

・・

相手の傷つく事や、気にしている事を言わないようにする。


それは大切な相手、好きな相手ならそうするだろう。
とはいえ僕もここ数年、うっかり、と失言をしてしまっている。

僕に対して
「太った?太ったよね」
というのもデリカシーが無い言葉だろうと思う。

子供やいじめっ子が外見や人の悪口を言うようなものだと思う。
僕もそういう事を意図せず言ってしまった時は必死で謝る。

そういう事を言わないつもりでも言ってしまうのも家族だと思う。
だから言って、家族だから言って良い訳ではない。

親しき中にも礼儀ありだ。

あの優しい祖父ですらも、晩年、僕の母親(自分の娘)に対して
「お前それ以上言ったら殺し合いになるぞ」
と最後には言った。

・・

母親は僕らに対して
「あなたの為に言っている」
「あんたが外で恥かかないように教育している」
と言う。
それは母の友人に対しても同じことを言っている。
「友達だから言ってあげてるのよ」
「友達が恥をかかないように教えてあげてるの」

その恥をかくという価値観が、正しいか間違っているかは別として。
言って良いことと悪いことがある。
言えば嫌われることがある。それが理解できないから母は孤独なのだ。

そして本人は
「孤独だと思っていない」
と言う。

これは発達障害特有の、意外と本人は気が付いていないから困っているようで困っていないという奴だ。

これを考えられない人は
「デリカシーが無い」
「空気が読めない」
と言われ、それは他者に向けては毒でしかない。

・・

僕だって、今日も家族に対して言いたい事はある。

それでも言わない方が良いと思うから言わないのだ。

「内心思っている」
「腹の中では別の違う事や意見を持っている」
という訳ではない。

自分が言う事が間違っていると判断しているのだ。
自分が正しい事を言っているから正しい訳ではないのだ。


ここを間違えないで欲しい。
自分が正しいから、正しいと思っている事が正しい訳ではない。

そこを履き違えないで欲しい。

・・

この辺で朝の日記は終わりにします。

昨日寝る前に気が付いたこと。

僕は何もしていないとは言わない。言いたくない。

僕は僕がしたい事、やりたい夢。
なりたい大人像に向けて必死で生きてきた。

ただ、それに向かう道のり(過程)で
生き辛さを抱え
不安を抱え
死にたいとまで言い続けた。

自殺に至る過程も、僕は間違っていたとは言いたくない。
大人になれなかったと今は言っているが、それを正当化する訳でも、否定するだけの話にもしていない。

あとはこれから僕がどう生きるかだけだ。

これからも不安や息苦しさは続くと思う。

それでも僕らは生きていく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?