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気持ち心地

テレビを見ていたら「祖父母」からみた「孫」の存在、「父」からみた「子供」の存在について考えさせられた。

祖父からすれば僕の母親は我が子で期待に期待をしていた娘だった。僕から見た母の存在は、僕は尊敬畏怖していたが、今の自分から見たら「なんて今更無駄な争いをここまで」と気が抜けてしまい。
「愛情と憎しみが入り混じっている精神的に歪な親子」
と、地に少しだけ足をつけるのです。

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僕が物事に固執しなくなってから「死ぬなんてありえない(考えられない)」と「怖い怖い」と考えるのも悍ましい心境になった事。

僕の過感情、安定しない気持ちは「エンパスらしさ」で片付ければいい。
本当にこのまま生きていく気がして悲しい。

感情には人間は耐えられるように出来ていると思うけれど。
今さっきまで苦しくて傷ついていた所が癒される訳ではないから。

いつか自分の居場所や、安心できる存在や世界がいつか見つかると良いのにね。って。

こうして今日も一日が終わろうとしています。
そうしてこうしていた今も過去になっていますね。

やっぱり、やっぱりのやっぱり。
終わってしまうたびに記録も、全てを何かに刻むことなんて無理なのです。

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君がどんな人生を今まで歩いてきたのか興味があるのだ。
あの話について詳しく、どうしてそんな事になったのかとか、その時の気持ちから今に至るまでの出会いとか自分の中の変化とか、その話が聞きたくて友達になりたかった。

僕の大きな間違いは、まず「大人」になるにあたり、大きな節目や目標として自分を考えるべきだった。
人生なんてのはいつ何があるのかは分からない。けれどその「もし」や「万が一」に備えて自分の中に保険でもいいからプランをせめて3つは持って置けるように努力をしておけば、今回「夢」「生き甲斐」と自分語りして人騒がせな夢からいつ冷めても(覚めてしまっても)そこが最悪の事にならない為には、自分と自分以外の関係や生き方に対応できるようになっておくべきだった。

僕は「音楽」に自分を重ねる。
でもそれは極端な話ではないと僕は思う。
誰だって好きなことやモノがあれば応援するだろう、その作品やアーティストについて語りたくもなると思う。でも、画面や紙面の向こうで語られているその物語は完全な作り物ではないと思う。僕の中ではナンバーガールを聴いた日から僕の現実と日常は乖離していたのかもしれないけど、どちらも非日常的な、日常の世界と同じだと思っている。

生きているのが悲しい。悲しいというのか虚しい。
これからも考えれば考えるだけその虚しさみたいなものは強くなってくるのだと思う。

僕は僕ごとき人間で考えれる、日本で自分が本気でやりそうな願望は身の丈限界までやったのだと思う。
上を見たらきりがないし、下を見てもきりがないからね。


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10年前はそんな事言っていなかったのに。
20年前はそんな話しても来なかったくせに。


今を生きるって良くも悪くも自分の都合や勝手が良い事ばかりが後から出されてきて、生き残った者の中でも、その時点まで体力や精神を保っていないといけない、

〇〇に、人生の優先順位を聞いたら。

「一番は自分が健康でいて、生きることを諦めないことやこだわり(ポリシー?)みたいなものを優先していきたい」

人のために生きるより自分のために生きるのって楽しかったりするんですよね。海外に行っていた期間も含めてですが、そういう当たり前かもしれないことを最近になってよく感じます。
まだまだバランス良くは生きられないけど、少しずつ自分を信じられるようになってきた(他人を気にしすぎなくても息ができ)と思います。

思いやりは大事だけど、自分にとっての境界線は必要ですね。」

○○は、最後に友人(人に)甘えるときと、頼ること。
それと人に迷惑をかける事の違いを書いていました。僕もそう思う。

人間は生きていく為、誰しもが食っていく為にお金のやり取りを自然と社会でしています。
誰だって良い思いはしたいし、自分の欲やエゴに付き合えるだけの金が欲しい。楽して良い恰好したい。きりがないのも欲望所業。
でも、嫌われたって(嫌われた側、僕)は死んだりはしない。出来ない。
でも僕は好きな人に好きになってもらいたい。
大好きな人には大好きですと、大好き大好きだと伝えたい。
大切な人には全力で必死で死んじゃうくらい「愛してる」と今でも叫んでしまっているの。

だから、自分を守る防衛線として、精神衛生上。
ギバーマッチャーテイカー(貰うだけの者・間を繋ぐ者・与える者)がいるこの世の中、人間の諸行無常の性、社会さ。

僕は大好きな君とだけいられた世界を、まだ望む。



僕は仕事が出来たら、カメラが想うように撮影できたら、そこを人生の優先順位においている○○の答えに対して
「そこに多幸感や究極の愛や幸せはあるのかな」って。
少し先を歩いてる〇〇に聞いてみたかった。


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