したがき やっぱり仕事どうする

昨日の疲れが取れず、風呂場で寝ていたら母親が発狂してた。
家の前にあるゴミを片付けろという。
台風が近い。よく考えれば1年前から置いてある物もある。
去年はシートを張って台風に備えた。

軽トラックの手配もあるので、どうしても後回しにしていたゴミ。
それについて怒っているのだが、トラックが使える時に、誰か手伝いがいる時にするつもりだった。けど、後回しにしていた。

そこまでは僕に原因があるのでわかる。

けれど、その後からがこの人の人格障害や成長障害。

大事な用事が僕に伝えられないと怒り。
そのまま勢いでテンションを上げて、一気に自分を圧倒的立場に置いて、言い込みにかかろうとする。

いつもの少女老婆になり、発狂して怒り始めるのだ。

今日は絶好調の母は、仕事前なのでいつものバタバタとして慌てている。

普通に台風が来るからゴミ捨てろと言えばいいのに、

あれもしなきゃ、これもしないと、あれもしてるのにあんたは、と話を色々と混ぜ込んで怒り攻め立ててくる。

これがこの人の少女老婆の時から変わらない部分。



この人の言い分(主張)言い回し(口車)に飲み込まれてしまうと死ぬまで付き合わされる。

巻き込まれて話を聞き入れてしまうと、完全に相手の言い分通りに良いも悪いも全部がこの人の想い通りにされる。

相手を自分の意のままに誘導して、言い込んで陽動して、自分(母)が正しくて相手が悪い、だから私が正しいのだから私の言う事を聞きなさい(言うとおりにしなさい)にしてきた人生がこの人。

それで上手くいけば
「私が正しいから成功した」

上手くいかなければ、昔のように人が憎い世の中が憎い。
誰も解ってくれないのは、あんたが(あんたら)が悪いからだ!
と叫び出す。

今日はこれに、僕がこの3年間で言い続けている事や、事実僕が1年間やっていないゴミの事の他に、も混載ゴミのようにグチャグチャに来たので、本当に分別していない生ごみと同じような存在だなと思った瞬間、どうでもいいわと思ってしまい、そこから少女老婆の劇場が数分続いていた。

結局は、あんたがいちいち喧嘩売ってくる制で仕事前に最悪な気分!
気分良く仕事行きたいのに!

と、いつもの台詞で終了。

マジで気持ち悪い。

一生誰からも愛されない女の末路の台詞。

・・

そういえば大事な仕事の話を少しだけ。

僕もお世話になっている不動産屋のある社長が引退をする話。

この話は大きい。
僕に不動産屋になれ(今ここで色々と継げば生活できる)と少し前から急に母が言っている話は、そこに一番の理由がある。

詳しくは言わない。
会社が事業を整理する時、綺麗に物事が進むときは、こういう事が業者間では起きる。綺麗な形で引き受ける時もあれば、問題になる事もあるけど、今回は前者。

だから、母は根拠の全くない理由で、また僕を不動産業に誘い込んでいる訳ではない。けど、僕はそれは見込みが甘い気がする。

それこそ僕と大叔父との関係みたい。
きっちり話が出来ていないと、それで物事が綺麗に進むのだろうか。

でも、やっぱり僕は甘いと思うから2つの選択肢を取る。

・不動産の仕事が増える可能性がある。
・よその会社の話。うちには関係ない可能性もある。

こういう選択肢を生活を掛けて選び続けている。
自営業や経営者は大変だと思う。
僕は勉強不足だった。

最後にここで勉強して、
もし出来ることがあるなら不動産の仕事もできるかもしれない事態に備えよう。

ここで思い出すべき事。

例えば今日もゴミの話の続き。

最初、ゴミを捨てる事も、僕がどこにいるのか分からないなら、いつも通り電話をしてくればいいといつも通り僕が言う。

そうすると母は、僕が気軽に電話を掛けてくると僕が怒るから電話も出来ない、と言い攻めてきた。
それで僕を待っていると時間が無くなり、そこで自分も忘れてしまうからイライラする。

「電話すればいいなら、これからは電話するわ!」
と怒っている。

僕は即答した。

「大事な用事や仕事の話はいつでもしてくればいいと言ってるだろ」

「あんたは、ご飯の事や、今から帰るだの、そんなどうでもいい事もイチイチ連絡してくる。そういうのを許すとすぐ調子に乗って連絡してくる」

「そんな事は自分の旦那か男に言え。そこを公私混同させてるから、話が分かりづらいし、こっちは聞いてられないんだわ」

これが基本的な僕の主張の問題部分だ。これを本人は分からない。

しかも今日に至っては、僕が発達障害や人間関係のやり方や物事の考え方について、今必死で考えて口にしながら自分でも修正しているところを馬鹿にし始めたから、

「もう、いっその事、ここで一思いに殺してやろうか」

と思ったが、今すぐ死ぬ必要も殺す必要も無いので止めた。

でも、これからの嫌な所は。

我が家に、僕の嫁の様にいた居候が案の定、ほらみたことか、と。
僕の生活している仕事をしている圏内では、僕がやらかした、みたいに見られるのが、つらいところ。

でも悲しいとか寂しいとか、じゃない。
苦しいとか恥ずかしいとか、もうそういう感情じゃないのよ。

意外と同情されるのも嫌いじゃないし、怒られるのも今は、何となく理解できた。
全員同じ経験をしているから僕にも同じように言えるのだろう。
そう思っている。

経験が無い人は、浅瀬の同情や講釈を垂れてくる。
僕の話に少しでも共感してる人は、僕と同じような過ちや、同じような感情になる失敗をしているのかなと思っている。

でも、こいつに、その痛い所を押さえられてしまうのが一番苦痛。

我が家の苦痛。

・・
・・

話を戻して。

僕の怒りを目の前の事や、
自分や親に対しての怒りや殺意の矛先を変える方法。

これって、僕が人に勧める禁煙や何かを止める方法に似てると思う。
僕は、煙草も酒もギャンブルも一生辞めないと宣言していて、辞めないから今すぐどうしてもしたい理由が無ければわざわざはしない、という理屈でそのどれとも距離を取っている。

今すぐする事か? 今すぐする必要があるか?

そう思えば、死ぬこともひぬ必要性も今すぐ至急の命題ではない。

境界線が無い自己愛性人格障害者の田中純子劇場が始まるのを生まれた時から延々と繰り返しているのが我が家だ。

洗脳、支配というと、

わかりやすい暴力や暴言などが問題視されやすいけど、違う。
それぞれ個人や家庭内で抱える問題は、そんなに綺麗に分かりやすくはない。

教科書やマンガの世界の様に、解りやすかったり、治せるような問題ばかりではないのだ。

・・

とりあえず僕はこう考えている。

不動産屋として、成り立って収入が増えるのであればいい事ではあるが

そうすることで、この家というより、この親から一生逃げられなくなる、ずっと関わり続けなければならない環境がまた確定して続く事になる。

これは

この議題の

不動産屋になれば良い。

この一言を真っ向から否定している事に気が付いていない。

俯瞰すれば一発で解かる事だ。

不動産業に対して、僕がしたくない仕事の様に捉えられるが、それは違う。
仕事と割り切ればできない仕事ではない。

この毒親と機能不全家庭で生まれ育った僕が、1日中体力も気力も、人生を諦めるくらい、不安や絶望や怒りの感情で1日中命を削られ続けている。
吸い取られ続けている事が致命的な問題なのだ。

我が家としては僕が稼ぎ、生活を安定させればいい、自立すればいいと正論を言いたいのだろうが、大きな間違いがそこなのだ。

諸悪の根源や全ての原因は多くは無い。一つや二つだ。

僕の安定や安心を壊し続けて、自殺するまで追い込んだのは母親。
お前だ。

それを、この期に及んで、発達障害、成長障がい者の親に、いいかげん僕も、よくわかっているので、不動産屋になる選択肢はほぼ無しで。

・・

僕が声かけてもらった仕事は、いつでもやる気があればできる、と言う話だった。

最近僕の周りや僕自身が転職したいと考えて、会いに行く人、聞こえてくる話は、どれも一癖も二癖もある。

年齢的に、その世界、一つの年代を経験して失敗や、再挑戦をしている人たち。雇用する側の人達も普通とは違う人も多い。

そこが若いとの違いなのだろうと思った。

年齢ではない。

経験してきた「いざ」の当事者にしか分からない、言えない事がある。

逃げてもいい、勝負して挑戦してもいい。
勝っても負けても、その更に次に、と解決策を考えれていれば。

同じ過ちを繰り返さない可能性は上がり、新しく理解できる範囲が増える。

人間として成長する。

それが極端に分かれてくる世代が僕らだ。悲しいけど現実だ。

さて、僕はどうしようか。

生きていく楽しみは今のところは見えていないけど、諦めてもいない。

精神的に良くないのは、この家にいて、この環境で生きていく事。
いや、この環境では生活は出来ても死んだも同じ事。

ここを出て行く当てもない訳じゃないなら行けばいい。
もう少し気楽に生きていける道がある。
仕事が大変でも、私生活さえ安心できればみんな人は頑張って生きている。
そこを間違えている。

家やプライベートが壊れている人間が、社会人や大人の一人前の人間として成り立っている訳ないだろ。
部屋が散らかっている人は心も散らかってる。

僕も、母も、いつもバタバタして、よくモノを忘れる。失くす。失敗する。
全部そうだ。

結局、自分だけが良ければいいというと違うと反論されるが。
結局は、自分の気に入るように、自分の意のままにあるいは思い描いている自分がいる世界にならなければ、人は気に入らないし怒るのだ。

自分だけしか見えていないから。
だから、自分がしている事が分らない。判断できない。

その周りで起きる、巻き込まれている人たちの事が一切見えていない。

自分以外の事や周りが見えていないから人から怒られたり嫌われたりもする。

でも、人の評価も白黒や0か100ではない。

仕事ができるも0か100ではない。
でも仕事ができるからと言って家事ができる訳ではない。

仕事が出来て家事が出来て、という人も絶対に全てが100点ではない。
そして、100点でなければ、0点でもない。

そもそも、そうだからと言って何に問題が起きるのだろうかと考えればいいだけ。

人それぞれには好みがある。
相性がある。

そこだけの話。

小さい世界を作るのが人間。
自分の安心できる居心地がいい環境や、家族や仲間を作りたがる。

だから、その世界の関係性を強くある為には信頼関係が必要なのだけど、人間関係やコミュニケーションに問題や課題がある人は、自己愛や境界線が無くて人間関係が上手く出来ない人は、結局は信頼されていないのよ。

信頼関係が無いのも、度合い。

仕事だけの関係なら仕事が、仕事さえできていればいい。
仕事関係でなければ、そこを無碍にされるなら
信頼しきれないところが出てくる。

相手やその関係によって、必要な信頼度は変わってくる。

僕の母は仕事や経営者の肩書としては成功できたのは、仕事でするべき事の努力は出来る人なのだ。

教科書や様式に則って、あるいは誰かに教えてもらいながらする事も出来る。

そういう事は特別な信頼関係や関係性がなければ出来ない、教えてもらえない特別な事では無い。

でも、友人関係になれば、仕事とは違う。

親しいが故に良くも悪くもいい加減になってしまったり、逆に気が緩んで、親しき中にも礼儀ありを間違えてしまう時もある。

喧嘩して仲直りする事もあれば、大人になれば出来ない事もある。

それを家族に当てはめて考えると、そこは人間性や人間関係というよりも、共同生活(共存生活)をする為の意識が必要になってくる。

その意識や考え方が間違えていると、人間関係、信頼関係は壊れて崩れる。

それを延々と繰り返せるのが親子間。
それが壊れて消えて無くなるのが夫婦間じゃないかな。って。

だからといって、何でも許さないけど、

僕はこうして朝の殺してやるよ激昂から、日記を書く事で気を少しだけ落ち着かせました。

これから、何もやる気が起きない問題と立ち向かいます。

一応、昨日で現場が終わって、必死に乗り越えたばかり。

遊んでるみたいに言われるのは本当に心外だし、何もしてないみたいに言われるのも心外。仕事もしている。家の事もしている。

金の事は言われたくないけど、僕なりに後片付けや生死をしていっている。

今年2度目の精密検査だって29日。
その次の日から、またあのお金の事でややこしい、神経を使うあの現場。
みんな、自分がしたいと思ったとおりにしたがるし、それが出来ないとすぐ怒るし機嫌が悪くなる。

本当に大嫌い。

でも、そう


そう、まで書いて、また電話がなって、またどうでもいい事で電話してきたから、忘れた。もういい。

本当に、自分がしている事で、自分で自分の人生を、首を絞めて、壊しているのが分からない人って、本当に不幸の末って感じがする。


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