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地域活動のICT化を完遂したとある町内会Aの話

 21世紀のはじめに発生し、非日常をもたらした疫病は、その後も変異を繰り返し、22世紀の現在ではすでに日常と化していた。

 疫病への感染リスクを避けるために、地域活動のICT化を完遂した町内会Aでは、誰も家を離れることなく、すべてのコミュニケーションがオンラインで完結する。

 回覧板は町内会のチャットルームで送受信される。ログが遡れて便利だと評判だ。

 地域の清掃活動は、町内会で保有するルンバが街に放たれて行われる。ルンバでは回収しきれない大型のゴミが発見された場合、位置情報を清掃業者に送って回収してもらう。

 同様に、地域の家庭ゴミも、各戸回って回収するよう事業者に委託しているので、ゴミステーションは存在しない。

 地域の運動会はバーチャルサイクリングなどのVRによって行われる。山下さんちのりょうすけくんが今この街で一番速い。運動会のあとの打ち上げもビデオ通話ごしに行われる。

 一方、ICT化のリテラシーが追いつかなかった町内会Bでは、地域活動の人手不足を解決するためにパワードスーツ化を完遂した。

 平均年齢が80歳にもなろうという人々だが、パワードスーツの着用によって身体能力はそのへんの軟弱な若者を遥かに凌ぐ。

 ゴミ拾い、回覧板を回す、町内会費を回収する。これまでなら腰や足が痛くてしんどかったこれらの作業は、パワードスーツのおかげで一瞬で終わっていく。

 目や耳が衰えても大丈夫だ。それらの衰えを補助する機能もパワードスーツに実装されている。

 地域の運動会は、全員がパワードスーツを着込んでいるため、あたかも攻殻機動隊のワンシーンのような様相を見せる。50メートル走を平均3.5秒で走り抜けるおじいさん、おばあさん達。

 困ったことが起きた。認知症によって徘徊する高齢者もまた、パワードスーツを装着しているのだ。家に帰そうと取り押さえようにもそのパワーは強靭だ。しかし、他のおじいさんおばあさんもみんなパワードスーツを着ている。鉄と鉄がぶつかり合う音がする。ガンダムで聞いたことがあるような音が、今日も街に鳴り響いている。

 ICT化もパワードスーツも採用しなかった町内会Cでは、IPS細胞をコントロールする技術の発展によって、人間の身体を「交換」することでこの問題を解決した。

 おじいさんおばあさんは、老いて体に不自由が出てきたら、自らの細胞から「パーツ」を培養し、交換する。そのため、事故などで即死しない限り、理論上は不死が実現している。吉田さんちのお父さんは、見た目は30代だが、実際は150歳くらいだそうだ。

 だが、脳神経の交換だけは簡単ではない。脳神経の交換とは、人格のリセットを意味するからだ。それを行った三浦さんは、過去の記憶の80%を失って、妻や子供の顔や名前も思い出せないそうだ。

 しかし心配はない。その三浦さんの妻も子供も、脳神経の交換を行っていたため、三浦さんのことを覚えていなかったからだ。誰も覚えていないなら、もはやその事実は存在していないも同じだ。

 町内会Cでは、時が一つの円環の中で循環するようだ。まるで終わりなくぐるぐる回り続ける回覧板のように、誰も死なず、誰も老いず、諍いごとや恨み言も長くは記憶されず、忘れられていく。

 やがて、遠くを見るような目線で生きる者が増えた。体育祭もあまり盛り上がらない。なんのために走るのか。なんのために競うのか。誰もが、生きるとはなんだろうか、ということを考えずにはいられない。しかし、誰も答えは出せない。身体交換は、ただ古くなった自分の体を新しい体に置き換えるだけで、脳機能を向上させるわけではないからだ。

 三度目の記憶消去にともなって自我を喪失し発狂した羽多野さんは、通り魔的な犯行に及んだが、被害者は全員身体交換で無傷に復活した。人がまだ死ぬ体しか持っていなかった21世紀頃には、そういった希少な生命を奪うという行為によって社会から解脱しようとする営みが意義を持ったのかもしれないが、もはや町内会Cでは、人は人をあやめることさえできなくなった。となると、防犯活動や見守り活動といったものも、意味をなさない。

 本来の活動の意義を失った町内会Cは、人の生命とはなにか、ということを哲学的に思考したい人々のマニアックなサロンとなり、しかし誰も答えを出せず、やがて解散したと聞く。

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