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「人間集団の自動運転化」について考える

 人間の集団は、しばしば乗り物に例えられる。組織を一つの船に例えてみたりして、出港したとか沈没寸前だとか、飛行機に例えて離陸した、とか、自動車に例えて急カーブに差し掛かっている、とか。

 人間の集団が乗り物であるとすると、その乗り物を運転する人間というのがいる。ハンドルを握り、アクセルとブレーキを踏み分け、事故らないように目的地まで走らせる人間だ。

 世の中、「人間集団の操作スキル」というのがあって。僕らの社会には、たくさんの他人の協力を調達しないとできないことっていうのが結構あって、そういう場面で、「人間集団の操作スキル」を持つ人に「巻き込まれる」形で、僕らの社会はなんとか協力を調達できているんよね。

 ちなみにこの「巻き込む」っていう表現、英語の市民参加まちづくりの論文なんか読んでても、同じような言葉が使われていて笑った。「involvement」っていう。

 で、しばしばまちづくりの講座なんかで「市民を巻き込む方法」みたいなタイトルがついたりするのは、このスキルをみんなが求めているけど、得られていない、希少なものだっていうことを意味していよう。

 で、このスキルが低い状態で巻き込もうとするときに生じるのが、いわゆる「巻き込み事故」で。巻き込みたい人は多いけど、巻き込む高いスキルは希少なので、結果、巻き込み事故は多発する。すると、「もう他人と一緒にやるのが懲り懲りだ」という学習をする人が増える。

 逆に、巻き込もうとした側は「なんでこいつらは私がこんなに熱心に段取りしてやってんのに、非協力的なんだ」と憤る。なので「もう他人の面倒を見るのなんて懲り懲りだ」となる。

 で、これはどっちも犯人を取り違えていて、悪いのはそこにいる人ではなく、「集団操作スキルの貧困」なんだね。

 例えば、お金がなくて困っている人がいるとして、お前が努力不足だから貧しいんだ、と考えるか、お金がないから努力したくてもできないんだ、と考えるかの違い。障害の病気モデルと環境モデルの違いと同じ。僕は後者寄りの立場をとっているわけだ。

 僕の敬愛するまちづくりの先輩がいて、その人のライフヒストリーを聞いたことがあるんだけど、小学生の時に、先生がムカついたから、クラス全員を巻き込んで授業をボイコットしたりとかしていたみたい。すごない?もうね、小学生の時点でその才の片鱗が見えとるわけです。

 他にも、僕が知っているのがまちづくり界隈に限られているというのもあるけど、まちづくり界隈には、そういう人間集団の操作スキルに長けた人っていうのが一定の確率でいる。

 そういう「プロサッカー選手級」の人たちを見てこれたおかげで、僕らが普段いかに「草サッカー」でひいひい言っているか、ということを判ることができたのはラッキーだった。もうね、ちょっと走っただけで足がもつれるやん。

 逆に言えば、僕らがやっているのは、いうても草サッカーであり、お楽しみとしてやる分には楽しいよね、っていうことでもあって。草サッカーレベルのスキルなのに、プロ級のプレイをしようとする、あるいはそれを求めるから、苦しいというか、怪我の原因になるんであって。

 自分の身の丈にあったプレイをしている分には、大事故にはならないし、「まあ草サッカーやしな」と寛容でいられるんじゃないかと。そのことの効用は小さくないと思うんよね。

 ところで、この「巻き込む」スキルと、「正解を出すスキル」は必ずしもイコールではないっていうのも重要で。つまり、なんか知らんけど巻き込まれているうちに、酷い目に遭う、っていうことはしばしばあって。僕はこれを「ハーメルンの笛吹男現象」って呼んでいるんだけど。人を束ねるのが上手である人が、みんなが幸せになるゴールに連れて行ってくれるとは限らない。それを、1995年を通過した僕ら日本人は身にしみて知っているはずだ。

 あと「人を束ねるのが上手な人」は「人徳者で誰から文句を言われない人」というわけでもない。暴君でも上手に束ねている人はいる。

 ただ、ついていく側は、この人についていけば、悪くはならないはずだ、と思っていると思うんよね。いわば、都市バスに乗ったら、まあ多少運転が下手でも、時間がずれようとも、いずれは目的地には着くだろうと思うじゃん。そう思っていたら、崖に突っ込んだ、なんてことにはならないと思ってるじゃない。

 だから、この集団運営スキルに巻き込まれる側としては,そのスキル保持者に一種の「職能倫理」を持っていてほしいと願うばかりなんだね。

 集団運営には、いわゆる資格や免許が必要とされていない。ていうか、そういう制度が確立されていない。だから、誰でもできるもんだ、簡単なもんだ、としばしば人は思い込んじゃう。

 しかし、そうではない。スキルがない状態で大型車を乗り回せばそりゃ事故るだろう。

 で、そこで大事なのは、そこで運転手を責める、乗組員を責める、乗り物を責める、っていうのを、まあ人はするだろうけど、本質はそこじゃないですよね、っていうことで。

 ほとんどの人が集団運営のスキルをまともに持っていないんです。それでもなお、ハンドルを握ってくれた人というのがいて、その人が下手くそながらにもどうにか事故らず運転してくれているとするならば、それは素晴らしいことなんじゃないかと思うわけです。

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