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「やりたいことをやる」から「やりたくないことはやらない」、そして「やってみてもいいことをやる」へ、って話。

 僕はまちづくりを「まちの人なら誰でも使える公共財づくり」と定義しています。公共財は非排除性を帯びる場合があり、その場合、利用にあたって正当な対価を支払わないフリーライダーが出現しえます。その性質ゆえ、一般的なビジネスと異なり、利用者からの対価を得られないケースも多くなります。そのため、まちづくりはしばしばボランタリーな営みに依存しがちです。

 そういうまちづくりを、しかしどうにかやっていこうとすると、大雑把に2つの方法がありえます。第一に、対価支払を強制する方法です。しかしこれは他人に課税を強制する権限を持つ国家や自治体などの主体にしか使えない手です。第二に、利用者に対価を求めず、自己充足的にやっていく方法です。この場合、まちづくりは「誰かのためではなく、自分がやりたいことをやる」というものになります。

 しかし、「やりたいことをやる」型の動機は、時に「矮小な自己満足」の取り組みに落ち着いてしまう。ともすれば、「やりたいことしかしない」ということになって、いわば、あんまり「格好良くない」ものになりがちです。その辺は、こちらに詳しく書きました。

 しかし、かといって「じゃあ他人のためにがんばりましょうね」となると、今度は「安易な自己犠牲」を召喚しがちです。一般的なビジネスであれば、自己犠牲的に取り組んでも、対価支払いでその穴埋めができるかもしれませんが、ボランタリーなまちづくりでは先述の通り、構造上そうはなりませんから、損する一方になります。

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