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「まちづくり人材」とはそもそもなんであったか?

まちづくり人材を発掘したい支援者たち

 先日、とあるまちづくり活動支援者の研究会で、「まちづくり人材」をどう発掘していくのか、というお題で講演を依頼されまして。

 というのも、たとえば「まちづくり講座をやります!来てね!」という呼びかけで参加して来るような人って、やっぱりマイナー層で。ゼロではないだろうから、最初はある程度参加者が見込めるでしょうけど、やればやるほど伸び悩むわけです。

 それに対しその研究会では、マイナー層では満足していないわけですよ。メジャー層にまでまちづくりを広げることを期待しているんですね。だから、この問いは「まちづくり人材の原石の大鉱脈はどこにあるのか、どうすればその鉱脈を掘り出せるのか」っていう、なかなかゴールドラッシュめいた、今時ないゴキゲンなテーマなんだと理解しました。「一発当てたんぞ!」的な。

 その心意気やよし。しかし、果たしてそんな大鉱脈は存在しているのか。結論を先取れば、「僕らは2010年代に散々掘りつくされた後の時代を生きているんであり、もはや人を「鉱石」扱いすることの限界が見えるよ」という話だよなあと。

 これを考えるには、そもそもここ30年ほどのあいだに、私達まちづくり支援者に「まちづくり人材」と呼ばれてきた人々とは、何だったのか、ということから始める必要があります。このnoteでは何度か繰り返してきた話ですが、改めて確認しましょう。

そもそも「発掘」の対象ではなかった、20世紀型まちづくりプレイヤーの4分類

 私はまちづくりとは、「まち(の人なら誰でも使える財やサービス)づくり」の略だと常々説明していて。例えば、お金を払ってくれた人や、仲間しか使えない財やサービスを作る活動を、普通「まちづくりをしている」、つまり「まちを作っている」とは言わないんですよね。これらはビジネスとかサークル活動と呼ばれるわけです。

 それに対して、まちの人なら誰でも使える財やサービスを提供するなら、これがまちづくりだっていうわけです。具体例を挙げると、ハード面では、橋や道路、街路樹、集会施設などがまちの財であり、ソフト面では、これらハード財のメンテナンス、例えば道路や施設の清掃活動や、福祉活動、コミュニティサロンの運営などがまちのサービスですね。

 このような財やサービスは、経済学的には「公共財」の供給活動と説明できます。詳しい説明は省きますが、公共財には非排除性という性質が備わっており、利用者を選択的に排除できません。結果、利用にあたってフリーライダーを妨げられないんですね。そのため、ビジネスとして成り立ちにくく、プレイヤーのパターンは限られることになります。

 じゃあどんなプレイヤーならまちづくりができるのか。長年の間、まちづくりは以下のように大雑把にパターンわけできる人材によって担われてきました。

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