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はじめての母娘二人旅

「昨日の夜は、あまり眠れなかった」
と、新幹線の車内から、母がLINEをよこした。

LINEが来る前から、そうだろうと予想はしていた。

その日、母が私の住んでいる街に初めて遊びに来ることになっていた。

私の小さい頃から、ディズニーランドやキャンプに行く前の日、母は楽しみすぎて眠れなかったと嘆いていた。

遠足前の小学生みたいだ、と私は半ば呆れつつ、いつまでも子どもみたいな純粋さをもちつづけているところが、母らしいとも思う。


母は、朝早くに最寄り駅に到着することになっていた。

私は化粧や準備に時間がかかるだろうから、と夫・ぺこりんが朝ごはんの支度をしてくれる。

おたすけ妖精モードのぺこりんに甘え、私は化粧を済ませ、用意してもらったごはんをかき込み、ついでに片付けもお願いする。

そして、駅まで、車で母を迎えに行った。

前の晩眠れずに、朝早く出てきた母は少し疲れているようにも見えたが、いつもどおり大きな目をキラキラさせていた。

「朝ごはん食べた?」と、私は母に尋ねる。

母は、父に起こしてもらって、父のつくった朝ごはんを食べて、父に駅まで送ってもらってきたらしい。

甘やかされ放題である。

私も人のことは言えないが。


その日は、家でしばしお茶を飲んだあと、私たちのお気に入りのお店でランチを食べて、私が働くことになるだろう美術館(まだ配属通知が届かない)を案内して、ぺこりんのお気に入りのお店でアイスクリームを食べる、そして、次の日仕事があるためぺこりんは家に帰り、私と母は観光地で夕食をとり、泊まる、という盛りだくさんの予定でいた。

ところが、当日、私が時間配分を間違えたため、電車に乗り遅れ、お昼を大急ぎで食べることになってしまった。

ごめんなさい、と謝りながらアタフタする私。
「いいよ、いいよ」と笑う母。
駅で、電車の時間を一緒に調べながら「これで大丈夫だね」と安心させてくれる夫。

私はどこまでも情けなくて、二人はどこまでも優しくて。
私も、やっぱり甘やかされ放題だった。

街へと向かう電車は混んでいたから、私と母は隣に座れたが、ぺこりんは少し離れたところに座った。

母は、楽しそうに、そして、ものめずらしそうに窓の外を見ていた。

ふと、ぺこりんのほうを見ると、コクコクと頭を揺らして、眠っている。
「ぺこりん、寝ているね」と私が言うと、
「かわいいね。ちびっこちゃんみたいだね」と母も笑っている。 

ぺこりんの寝顔を、母と一緒に見守ったこの瞬間を、私はいつまでも覚えているような気がした。


駅に着いてから、私たちはバタバタと昼食をとる。
のんびり味わう時間をつくれなくてごめんなさい、と思いながら急いで食べる。
でも、母は、「おいしいね、おいしいね」と言いながら、にこにこしていた。


お昼を急いだため、どうにか予定どおりの時間に戻り、美術館での鑑賞時間はゆったりと取れた。


「この絵、好きだなぁ」
と母が言う絵は、私も好きな絵で。

「この絵、ももちゃんの絵みたい。ももちゃんにも描けそう」
という絵は、私もこんな絵を描いてみたいと思う絵だった。


「ここで働くことになるんだね、いい美術館だね」と安心したように母が言う。

私がかつて学芸員を辞めてから、母にはたくさん心配ばかりかけてきたから。
今度こそ、私は母を安心させたい。

美術館から、駅までのバスを待っている間、母は祖母に電話をかけていた。祖母は、今年84歳になるが、いまも小さな商店を営んでいて、電話をかけたとき、確定申告の書類を見直していたところだったらしい。

母は、「いまももちゃんとぺこりん君と美術館に来たんだよ」と嬉しそうに報告していた。

母は、以前だれかに「親離れも子離れもできていない」と言われたと話していた。私がそう言われたら、ムッとしてしまいそうだけど、母はそのとおりだよね〜と笑っていた。

「それって、すごくしあわせなことだよね。みんなが元気でいてくれて。お互いに頼れるんだから。ありがたいね。」と言いながら。


駅に着き、ぺこりんのおすすめのアイスクリーム屋さんに行くか、夕食の時間が迫っているからそのまま新幹線に乗ってレストランのある街に向かうか、母に希望を聞く。

母は、ほとんど迷わずに、アイスクリームを食べよう、と決める。

ぺこりんはうれしそうに、母をアイスクリーム屋さんに案内していた。

アイスクリームは、記憶していたよりもボリューミーで、私は注文したことを軽く後悔していたが、母は「おいし〜!」と目をまんまるにしていた。

食べ終えてからも、「あ〜、おいしかった〜」とほほえむ母を見て、ぺこりんも満足気だ。

アイスクリームを食べたあと、ぺこりんは一人家へと帰り、私と母は新幹線で観光地へと向かう。


ここからは、母娘二人旅。

母は、ぺこりん君に申し訳ないね、と言いつつも、ももちゃんと二人で泊まるの初めてだね、と楽しそうでもある。

母は、妹とは何度か二人で泊まりがけで出かけているが、私はいつも友人やぺこりんと出かけていたので、母と二人で旅行するのは初めてだった。

せっかくの母娘旅だから、と私はちょっと高級な夕食のお店と、かわいらしいホテルを予約した。

夕食の予約の時間に迫っていたので、ホテルには寄らず、そのままレストランへと向かう。

レストランは、森の中にあった。

窓からあたたかそうな灯りがもれていて、扉を開けると、部屋の中央に大きな暖炉がみえた。

そのレストランの名物は、暖炉料理。お店の中は、暖炉でじっくりと焼かれたお肉のいい香りが漂っている。

料理が出てくる前から、すてきなお店だね、予約してくれてありがとうね、と母は言う。

「お料理楽しみだね」「お肉のいい香りがする~」「楽しいね!なんだか夢を見ているみたいだね」と、はしゃいでいる母を見て、何も口にしていないうちから、満たされたきもちになる。

前菜のサーモンのマリネは、テーブルで切り分けて提供してもらう。
透きとおった薄紅色のサーモンにディルとレモンが添えられている。
脂がのっているけれど、さっぱりとした味付けだから、さらりと食べられる。

バーニャカウダは、地元でとれた野菜を使っているそうで、春の野菜のほろ苦さが身体にしみわたる気がした。

新たまねぎのポタージュは、淡雪のような美しい色。
とろりと甘いのに、不思議と重たくはない。

食べながら、味付けはなんだろうと二人で分析しはじめる。
マリネの葉っぱはディルだね、ポタージュに入っているのは牛乳かな豆乳かな、などと。私は、おいしい料理に出会うと、再現できないかと考えるのが癖になっている。それは、母がおいしいものに出会ったとき、いつも家で再現してくれていたからだ。

いよいよ、メイン料理が運ばれてくる。

古代豚のグリルだ。
表面はこんがりと焼かれ、中は淡いピンク色。
ナイフを入れると弾力があり、口の中に入れると、お肉のうまみがじゅわっと口に広がる。
香ばしく焼かれたお肉は、脂身までおいしい。

「こんなにおいしいお肉はじめて食べるね」と、母は興奮気味だ。

ここのところ私は肉を食べるのを控えていたが、肉好きの母のためにこの店を選んだ。母に何を食べたい?と尋ねると、母はだいたいいつも「焼肉!」と答えるから。


母と一緒に食べるときほど、食べ物がおいしく感じられることはない。

店員さんがお冷を注ぎに来てくれたとき、母は「こんなにおいしいお肉、はじめて食べました。脂身までおいしいです」と話していた。

こういうとき、気取らずに、素直に、ほがらかに話す母が好きだなぁと思う。


レストランを後にして、ホテルへと向かう。

夕食を食べる前よりも、気温は下がっていたが、夕食を食べて身体があたたまっていて、ほかほか、ほくほくの足取りだった。


ホテルの部屋で、母の肩をマッサージしてあげた。

母の肩はガチゴチに強張っていた。
寒かったのかもしれないし、荷物が重かったかも。
前夜ほとんど寝ていないのに、バタバタと動いたり、たくさん歩いたりして、きっと疲れたのだろう。
日頃の疲れも溜まっていたのかもしれない。

それなのに、母は、その日、何の文句も言わずに、ずっとにこにこしていて、ずっと「楽しいね」とか「おいしいね」と言っていた。

そういえば、母はいつもそうだ。
私は、母から不機嫌をぶつけられたり、怒鳴られたりした記憶がない。
母は、いつも穏やかににこにこしている。

自身のことも、ほかの誰かのことも悪者にしない母は、とても強い人だ。

そんな母の強さに私はいつも救われてきたけれど、私も少しずつ強くなって、母が安心して私に甘えたり、弱音を吐いたりできるようになれたらいいなと思う。


次の日は、ホテルで朝食をとった。

私はサラダがメインのメニュー、母はフレンチトーストがメインのメニューを選択する。
焼き立てのパンも、手作りのドレッシングやジャムも、デザートまでおいしくて、前の晩あんなに食べたのに、ぺろりと平らげてしまう。

午前中は、おしゃれな雑貨やお土産屋さんの並ぶ通りを散策した後、日帰り温泉で入浴した。

お昼に、中華料理屋さんで、私は担々麺、母は酢豚を注文して食べた。


温泉に入って、ごはんを食べ終えたら、私はちょっと眠たくなってきた。

電車で一眠りしながら帰ってもいいね、と母に話すと、母は「もう帰るの?寂しいね。」と渋りはじめる。

前の晩、私は、母も甘えてもいいのにと心の中で思ったわけだが、いざ甘えられると途端に面倒くさくなる。なんとも薄情な娘である。


「もうちょっとだけ、駅のむこう側も歩いてみよう」と母に引っ張られ、せっかく駅に着いたのにまた歩き出す。

私は、眠いな、歩き疲れたな、と思いながらも、おそらく母は遊び足りないというよりも、できるだけ長く私と一緒にいたいんだろうなと思うと、もう少し歩いてもいいか、という気になる。

少し歩いたら母は満足したようで、二人で温かい飲み物を飲んだ後、駅へと戻った。


新幹線の途中の駅で私は降り、母はそのまま新幹線で家へと帰って行った。

母と別れた後、私は「あー、疲れた、疲れた」と思いながら、駅の階段を降りていく。

まったく、お母さんは。とことん遊ばないと気が済まないなんて、子どもみたいだ。夕ごはん作る前に、ぺこりんが帰ってきちゃうよ。

心の中で、私は母にぶつくさ文句を言う。


前の日に母と一緒に通った道を、私は一人で通りながら、
私と母は、帰る家がちがうんだな、とふと思う。

お母さん、旅行中ずっと笑っていたなぁ。

ふんわりまんまるな母の笑顔が浮かぶ。


「旅行終わっちゃうの寂しいね。」と新幹線で母が言っていたとき、そんな感傷的にならなくとも、と私は思った。

でも、母が帰ってしまって、私は急に寂しくなった。


次に母に会えるのはいつだろう。

私は、これから何度母と旅行に行けるだろう。

母はいつまで元気でいてくれるだろう。


家に帰れば、ぺこりんも、きっともうすぐ帰ってくる。
そうわかっていても、母が帰ってしまった寂しさが埋まるわけではない。


駅からの帰り道、涙がボロボロ落ちてくる。

母が帰って泣くなんて、そんなのまるで子どもみたいだ。

母のことを子どもみたいだと笑っていたのに、私こそ、まだ子どもじゃないか。甘ったれにもほどがある。


家に帰ってから、母がお土産にもってきてくれたメカブを茹で、ぶつ切りにする。お味噌汁にも、宮城でとれたワカメをたくさん入れた。ワカメと豆腐とねぎとじゃがいもの味噌汁は、私の一番好きな味噌汁だ。

ごはんができる頃、ぺこりんが帰ってきた。

メカブは、宮城の春の味。
毎年、これを食べると、春が来たなぁと思う。

ごはんを食べたあと、
「楽しかったね。また遊ぼうね。」
と、母にLINEを送る。

私の愛用スタンプ「甘えん坊こねずみ」


母からLINEの返事が来る。

「甘ったれなももちゃんが大好きです」と。

せっかく引っ込んだ涙がまた出てきそうになる。

でも、「これからも、お互いに甘ったれでいようね」とメッセージがつづいていて、思わず笑ってしまう。

私がクスクス笑っていたら、ぺこりんが「どうしたの?」と聞いてくる。

「お母さんが、『これからもお互いに甘ったれでいようね』って言ってる』と伝えると、ぺこりんは「あややや?」と困惑しつつ笑っていた。


私は親離れできそうにないし、母も子離れできそうにない。

いつの日か、別れはやってくるだろうけれど、そのときまで、べつに自分たちから離れようとしなくてもいっか、と開き直っている。



母と過ごした2日間は、とても楽しい2日間だった。

人は、忘れたくない、特別な日をつくりたくて、旅に出るのかもしれない。

実家で暮らしていた頃のように、実家の家族と何気ない毎日を一緒に過ごすことはできないけれど、これから何度も特別な日をつくっていけたらいい。

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