見出し画像

秋の夜長に想うこと

街を歩くと、通り抜ける風に金木犀の香りが感じられる。

電車は、一面にすすきが広がる野原の脇を走り抜ける。
たしか、英語で「すすき」は“silver grass”。銀色の草。
さらさらと銀色に揺れるすすきは、涼しげで、気持ちよさそうに見える。

最近は日が暮れるのが早くなった。

日が短くなっちゃったね、とみんな寂しそうに呟く。
そうだねと、私は相槌を打ちつつ、内心は夜が長くなるのを喜んでいる。
夜が好きだから、夜が長くなっていく今の季節が好きだ。

寒くなりはじめた頃にあたたかさを感じるのも好き。寒いのは苦手だけど。
マフラーや手袋をしたり、温かい飲み物を飲んだり、人の温もりに触れて、ほっとするしあわせ。

そして、寒くなって、空気が澄んでくると、星や月がきれいにみえる。

十五夜の夜、ばたばたと学会の最終確認をして、最終電車で帰宅した。
ちょうど電車が海の近くを通ったとき、満月が海の上に浮かんでいた。

一瞬車窓から美しい月が見えた。それだけのことだけど、私には誰かからごほうびをもらえたような気がした。

先週は、学会前で緊張していたのか、ずっと気分も体調もよくなかった。なんども自分に「大丈夫、なんとかなる」と言い聞かせていたけれど、そういうときって大丈夫じゃないときだ。

きれいな月がみえたとき、月が、大丈夫だよ、って言ってくれているように感じた。
…なんだか恥ずかしいこと書いているような気もするけれど、秋の夜長はセンチメンタルになってしまうものだと思う。たぶん。



日曜日の夜に発表が終わったとき、私は踊り出したいくらいの解放感があった。

でも、それ以上に支えてくれた人たちへの感謝の気持ちで心がいっぱいになった。
夜風は冷たかったけれど、心はじんわりとあたたかかった。

これまで、スポーツ選手や芸能人が、授賞式の記者会見で「自分ひとりでは、決して成し遂げることができなかったことです」と言っていても、もはやそういう台詞は常套句になっているから、特に感動しなかった。せいぜい、こんなに努力した人なのに、謙虚なこと言うんだな、と思うくらい。もっといえば、こんなふうに言うことを半ば強制されているんじゃないか、とさえ思っていた。

でも、無事に学会を終えた今、私はこころから「自分ひとりではできなかった」と思っている。

背中を押し続けてくれた先生たち、何度も練習に付き合ってくれた研究室の人たち、毎日働いてくれている両親、息抜きに付き合ってくれる友達がいなかったら、こんなふうに壁を越えられなかった。

今まで、仕事をしていない自分、勉強しかしていない自分をどこかで責めつづけていた。壁を越えた、と表現した今も、こんなことくらいで壁を越えたなんて大袈裟だと思われるかなとびくびくしている。

たしかに、今の自分は、「なりたかった自分」とは違う。

でも、こうやって支えてくれる人がいて、少しずつ進んでいる。


これまでは「夢を叶えるために頑張っている」と思っていたけれど、今は「少しずつ夢は叶っているんだ」と思う。


最近、手帳からずっと前に書いた「叶えたいことリスト」がでてきた。
物語を書くとか、エッセイを書く、誰かに書いた絵を喜んでもらう、友達に料理を振舞うとか、いつかやってみたいと思っていたことを書き連ねたものだ。
いつのまにかいくつもの夢を叶えていた。もちろんまだ叶えていないこともたくさんあるけれど、それは少しずつ叶えていけばいい。


こうやってnoteに書いている文章をどこかで読んでくれている人がいる。
コメントを読むと、読んでくださった方に、私の想いが伝わっているのがわかる。普段は自己満足のために書いているんだと思いながらも、やっぱり「伝わる」ってうれしいことだ。

コメントが届くたび、夢に近づいている、というよりも少しずつ夢が叶っている。
「記事を読んで救われた」というコメントに、私が救われている。


学会が終わったらやりたいとおもっていたことがいろいろある。
絵を描きたい。本を読みたい。絵本を作ってみたい。エッセイマンガも描いてみたい。


私にはたくさんの小さな夢がある。

そして、今日も私は少しずつ夢を叶えている。

この記事を読んでくださっている、あなたのおかげで。