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死んでしまいたいと願った夜をこえて

今から話すのは、とても恥ずかしい話だ。

自分の大きな過ちをみとめることになる。


そして、タイトルから想像できるように、かなり個人的で感情的な話になる。だれかを傷つけてしまうかもしれない。

でも、矛盾するようだけど、私はこの記事を、私と同じように生きづらさを抱えている人を救いたいという気持ちで書く。 

傷ついたことのある人や、今傷ついている人の役に立てばいいと思いながら書く。

だから、この先を読むかどうかは、あなた自身に決めてほしい。


けれど、「死んでしまいたいと願った夜をこえて」以降に、私が伝えたいことを凝縮して書いている。目次から飛んでも構わないので、そこだけでもいいから、読んでもらえたらうれしい。(ちなみに、そこから先も結構長い)


絶望の淵で

私は、絶望の淵にいたことが二度ある。

前回の記事は、一度目の絶望の話。絶望の淵にいた私にどんな風に光が差し込んだのかも、前回の記事でお話しした。

でも、そこからすぐに立ち直れたわけではなかった。

そして、二度目の絶望がやってくる。

人生の中で、二度の絶望のほかにも、ショックを受けた出来事はいろいろあって、サークルの最後の演奏会でなぜか音が出なかったとか、働いているとき、ひとりのお客さんからブスだとかお前は結婚できないと言われたこともある。
でも、それらは、今思うと小さなショックだった。

私の人生で経験した、二度の絶望のうち、一度目は働けなくなったとき(前回のお話)、二度目が今日お話しすることだ。

最初に言っておくと、最近ようやく、その絶望の淵に光が差し込んだ。

どこからお話ししたら良いのかわからなくて、支離滅裂になってしまうかもしれないけれど、ただ書きたいから書く。


2016年8月のある日

私は、彼の実家のある町に彼と一緒に出かけた。

彼の実家は、湖と美しい渓流と、現代美術館のある、すてきな街にある。
彼から、両親に紹介したいから一緒に帰省してほしいと言われたとき、ずっと行ってみたいと思っていた場所だったから二つ返事で承諾した。

新幹線で、彼の実家の近くの駅に着くと、彼のお母さんが迎えにきてくださっていた。

彼のお母さんは、私と目が合うなり
「あなたが、ももちゃんね。わざわざ遠くまで来てくれてありがとうね。」
と笑いかけてくれた。
笑い方が、彼に似ていた。
わざわざ迎えにきてもらって、お礼を言うべきなのは私のほうだったけれど、お母さんの優しい言葉と雰囲気に、私は安堵した。

私がお礼を言うまもなく、彼のお母さんは、これから私をどこに連れて行ってくれる計画なのかを話してくれた。
話すスピードが速くて、声も大きいから、私が口を挟む隙はない。
でも、威圧感があるわけではなく、底抜けに明るくて、たとえるなら平野レミさんみたいな感じだ。

湖に行って、船に乗って、神社に行って、夜には浴衣を着せてもらって花火を見て、次の日は美術館に行った。

話を聞いてもらうことはあまりできなかったけれど、彼のお母さんは、私のことを心からもてなしてくれた。


2018年12月のある日

わたしは、彼氏のアパートに泊まっていた。

市役所を辞めて三ヶ月ほど経っていた。

その日は、ある企業の最終面接があった。
軸がぶれているんじゃないか、と面接官から言われた。
その帰り道、慰めてもらいたくて、彼の家に立ち寄ったのだ。

夜に、彼のスマホが鳴った。
彼のお母さんからだった。

彼の話していることから、私のことを話しているのだとわかる。
お母さんは声が大きいから、ところどころお母さんの声も聞こえた。

彼母「…別れたほうがいいんじゃないの。」
彼「そんなこと言わないで。いざとなったら、一緒に連れて行くからいいんだよ。」

彼は、卒業を控え、就職先も決まっていた。私は、地元で就職先を探していたが、彼は私を連れて行くことも考えているようだった。

彼母「だれがそんなこと許すと思っているの。…別れなさい。」
彼「…それ以上言うなら、縁切るよ。」
と彼は電話を切った。

気づくと私は泣いていた。

子を持つ親の意見として、仕事を短期間で辞めてしまったような、そしていつまでも仕事が決まらないような人間と付き合わせるのは嫌なのだろうと理解できた。

それなら、何が悲しかったのかと言えば、あの優しい言葉をかけてくれた彼のお母さんに、冷酷な言葉を吐かせてしまっていることが、どうしようもなく苦しかった。

あんなに優しい人でも、今の私には優しくはできないのだ。

私は、本当にダメな人間になってしまったのだと悟った。

誰に見放されても仕方がないと思った。

もうだれにも迷惑をかけることなく、死んでしまいたかった。


2018年12月〜2021年1月

この間の話は、他の記事で書いているからごく簡単に書く。

わたしは、2019年4月から、大学の研究員として、そして博物館の非常勤職員としての職を得た。

でも、私は、2020年4月から大学院に進学することに決めた。
それが、私の軸だと思ったからだ。
学び足りない、学びつづけたいと思った。

ずっと彼とは付き合っていた。
彼は、私を見放さなかった。

でも、私はずっと不安だった。

いつ彼のお母さんに別れなさいと言われるのかビクビクしていた。

彼が、私と結婚したいと、お母さんに話をしたことがあった。
二人で試しに同棲してからでなければダメだと言われたらしい。

私は、その意見に反発した。
「そんなことを言って、最初から結婚を許す気なんてないんでしょう。お母さんは、私のことが嫌いなの。働いていないから信用できないの。ずるずる先延ばしにして、私が耐えきれなくなるのを待っているんだよ。なぜそれがわからないの。」と。

でも、心の中では、お母さんが許せないのも当然だと思っていた。
私は、彼には相応しくないと思っていたから。

彼と話し合って、結婚前に同棲はするけど、たとえお母さんに反対されても、結婚しようと決めた。

でも、不安は消えなかった。

私は、彼の性格を知っている。

彼は、誰にだって優しくしたい人だから、お母さんの反対を押し切ることなど、おそらく不可能だ。

となると、私と彼が結婚するには、私が彼のお母さんに認めてもらうしかない。どうにか認めてもらえるように頑張ろう、そう思っていた。

でも、ある日不安が爆発してしまう。


2021年1月2日

彼から電話がかかってきた。彼は実家に帰省していた。

彼「今日おばあちゃんに、結婚したいって話したよ。おばあちゃんに、将来、家を継げるのかって聞かれたから、大丈夫だよって言ったよ。おばあちゃんこれから家建てたいんだって。将来、僕ともももこっちに住んでも大丈夫だよね?」

私「待って、待って。ちょっとついていけないんだけど。お仕事はどうするの?大好きな研究、そっちではできないよね?」

彼「僕は、10年以内にノーベル賞とるよ。その後の話だよ」

私「えっと、冗談の話だっけ。」

彼「冗談じゃないよ、本気だよ。」

私「ノーベル賞は取るのはいいけど、そっちに住むのは、無理だよ。お母さんに嫌われているし、絶対そっちには住みたくない。私、お母さんが怖いの。お母さんから電話かかってきた日、私は死んでしまいたいって思ったの。あんな思いをするのはもう嫌。私を信用できないのはわかるよ。でも、私が仕事辞めてから、態度が変わったのは、私の周りではお母さんだけなの。」

あの日の苦しさを思い出して、私は泣いていた。

彼は、泣き止むのをじっと待ってから、とんでもない提案をした。

彼「今、母さんと話をしてみない?今、僕は実家にいるし。二人きりで話さなくていい。スピーカーにして、僕も一緒に聞いているから。母さんが傷つけるようなこと言ったら、僕がなんとかするから。おねがい、一度話をしよう。」

私は、彼のお母さんと話をするつもりはなかった。
怖くて、怖くてしかたなかったから。

でも、その日はちょうどいろいろなことがあった日だった。
1月1日にnoteに投稿した記事に、結婚に対する不安を滲ませていた。
1月2日は、その部分に反応して、コメントをくださった方、メールで相談にのってくださった方がいた。
私は、ずっと一人で悩んでいたけれど、自分の幸せを願ってくれるひとがいることがとても心強かった。

そして、その日は、私の作った世界観で物語を書いてくれた人がいた。

彼女は、私が作ったArt saryoという架空のお店を、物語にしてくれた。
私がこのお店をはじめに提示したとき、それをこんなにも理解してくれる人が現れると思っていなかった。
この物語を読んで、何もできない、消えてしまいたいと思っていた私が、だれかの背中を押せたことを知れて、勇気が湧いた。

私には、私の幸せを望んでくれている人や、私を理解し支えてくれている人がいる。
ひとりじゃない。
いつまでも、ひとりで殻に閉じこもっているわけにはいかないんだ。

怖いけれど、前に進もう。
そう決めた。

私は、彼のお母さんと電話で話をすることにした。


2020年1月2日の電話

彼が、お母さんのいる部屋へいく。リビングで彼のお父さんとお母さんが会話しているところだった。

スピーカーで、話しはじめる。

彼「ももこちゃんと今電話で話をしていて。僕たちは今年結婚したいと思っているけど、そのことで、父さんや母さんとも、話しておきたいと思って。今、電話つながっているから、今ここで電話しようと思うんだけど」

彼のお母さんは、突然の電話にもかかわらず、すぐに対応してくれた。

彼母「ももちゃん、聞こえるかな?あけましておめでとう」

私「あけましておめでとうございます。突然お電話してしまい、申し訳ありません。」

彼母「いいの、いいの。大事なことだもの。結婚のことは、〇〇(=彼)から、聞いているよ。でも、まずは、ももちゃんが何を思っているのか聞いてもいいかな。」

私「私は、〇〇さんと結婚したいと思っています。私は、仕事を辞めて、まだ学生をしていて、不安に思われるだろうということは承知しております。結婚前に同棲すべきだというお母さまの意見も伺っております。私は、○○さんの結婚相手として相応しくはないと思われるかもしれませんが、結婚を認めていただきたくて…」

しどろもどろだったが、彼のお母さんは、うん、うんと聴いてくれていた。
そして、以前会ったときと同じようなマシンガントークで話し始めた。

彼母
「○○から聞いてはいるかもしれないけれど、私の意見を話させてね。今、私たち夫婦は、あまりうまくいっていないの。いまも、お父さんとどうやって関係を修復していこうかって話していたところなのね。

だから、自分たちの結婚がうまくいっていないのに、あなたたちの結婚についてあれこれ言う権限はもちろん、認める認めないということを決める権限はない。

でも、これだけは言えることがある。
結婚は、ゴールではない。スタートなの。
私たちも、関係を終わらせてしまうのは、すごく簡単。
でも、つづけていくのは簡単なことじゃないの。

○○は、そこを勘違いしている
ように、私には思える。
一緒に暮らすということは、ただ好きなときだけ会うのとは違う。
いいところも、悪いところもたくさん見える。
だから、とりあえず一緒に暮らしてみなさいと言ったの。
お試しと言ったのは、なにも私がももちゃんを試そうとしているんじゃない。

二人でうまくいかないところが出てきても、そのたびにどうやって修復していけるのか、ふたりで確かめあって、自分たちの自信にしてほしい。そう思って言っていることなの。わかるかな。

それに、わたしは、学生だから、だめだなんて思っていない。
学生だっていいじゃないの。学生しながら結婚したって、子供産んだって、いいじゃないの。

でも、結婚するからって、ももちゃんがやりたいと思っていることをあきらめてはだめ。それだけは、ゆるせない。
ももちゃんは、誰だってやれることを、やっているわけじゃないの。
いい大学入って、留学して、たくさんのこと成し遂げてきたんじゃないの。
その才能と努力を、私たちが台無しにするようなことがあってはいけないでしょう。

前に○○が、ももちゃんがやりたいことがきまっていないのに、無理に連れて行こうとしているように思えたから、そんな勝手なことをするなら別れなさいといったこともある。
ももちゃんの人生は○○の面倒をみるための人生じゃないの。
ももちゃんのやりたいことをやるための人生にしなさい。」

彼のお母さんに、ももちゃんも話していいのよと言われたけれど、話せる状態ではなかった。

涙が止まらなくて、ただ、お母さまの気持ちを知れて安心しましたとしか言えなかった。

私の状況を察した彼が、うまくその場をつないでくれた。



彼と二人での通話に戻ってから、
「ノーベル賞とるの楽しみにしているよ」
と私は、彼に伝えた。

湖と渓流と美術館のある街に、私もいつか住んでみたい。




死んでしまいたいと願った夜をこえて


私は、ずっと勘違いしていたのだ。

敵と味方を。


ずっと、私の生き方を否定していると思っていた人は、だれより私の生き方を肯定してくれている人だった。

私が悩みつづけた、苦しみつづけた2年間はなんだったのだろうと思った。



私は、あのとき死ななくてほんとうによかったと思っている。


話は、きちんと聞かないとだめだ。
ことばは、断片に過ぎないのだ。
(私がいつも言っていることだから、ブーメランみたいに刺さる)

その人の気持ちの断片だけ拾って、勝手に傷ついているだけかもしれない。

ちゃんとその人と向き合って真意を知ったら、ナイフのようなことばは、本当はあたたかな毛布のようなことばかもしれない。


でも、いま悩み苦しんでいる人が、私のように勘違いをしている人ばかりではないだろう。

本当の敵と対面している人もいると思う。

本当にナイフを向けてくる人の話はきかなくていい。
逃げていい。
というか、逃げて。


ただ、私のように、敵と味方を勘違いしてしまっているひともいるかもしれない。

私は、ずっと悩んで苦しんでいたけれど、この記事を読んでくれた人には、同じような苦しみを味わってほしくない。

向き合うのはいつだって怖いし、向き合っても、余計に苦しんでしまう可能性だってある。
だから、一概に向き合えとは言えない。

でも、あなたが見ている景色がすべてではない。

あなたが見えていない景色を見せてくれる人がきっといる。


前回の記事にも書いたけれど、世界は一つではない。
あなたが見ているのは、小さな世界だ。


私も、ずっと小さな世界を見ていた。
自分に自信がなくて、自分のことを応援してくれている可能性なんて思いつきもしなかったのだから。

私の友達は、優秀な人ばかりで、仕事を辞めた自分は、人間失格のように思いこんでいた。
いろんな記事で、正職員として働くことを「まっとうな道」それ以外の道はないように振舞っていた。

私は、自分自身を否定するつもりで、文章を書いてきたけれど、もしかしたら同じような境遇にある人もいっしょに否定したり傷つけたりしてしまっていた可能性もある。

私には、そういう意図はなかったし、これまで注意をうけたこともなかった。

けれど、先日知人が私の記事を読んでメールをくれたから気づけた。
ーそう、最近、私は何人かの知人にここで文章を書いていることを教えたのだ。


私の生き方はだめだと思い込んでいる間は、自分がnoteで記事を書いていることを誰かに教えようなんて思えなかった。

怖かったのだ。

そんなことに夢中になっているの
いつまで夢を追いかけているの
いいかげん現実見なよ
好きなことで食べていくなんて今の時代不可能だよ

と言われることが。

でも、自分自身に問うた。
そんなことを言うのは誰だ?と。

今までは、彼のお母さんを仮想敵に仕立てて、脳内で彼のお母さんがこういう言葉を発していた。でも、お母さんが敵ではなくて味方だとわかったら、そんなことを言う敵は、思いつかなかった。
ー自分のほかには。

自分が勝手に想像する「世間」だとか「一般の意見」は、自分自身の意見に過ぎなかった。

私の友達が、もし夢を追いかけているとしたら、私は、上記のような言葉を投げかけるだろうか。
絶対にそんなことはしない。
私だったら、全力で応援する。

私の友達は、私の夢を聞いたらどうするだろうか。
きっと応援してくれる。
だって、ここに文章を書き始めるずっと前から、応援し続けてくれているのだから。
ずっと前から私の文章や絵を好きだと言ってくれている人たちだ。
家に私の絵を飾ってくれている人たちだ。
そんな人たちが、私の生き方を否定するわけないじゃないか。

私は、本当にバカだ。
そんなことすらわからないなんて。

私は、何人かの知人にnoteのアカウントを教えた。
大親友二人と、恩師の一人、そして彼に。(彼は、noteをやっているのは知っていたけれど、アカウントは教えていなかった)

親友二人は、私のnoteを読んで、とても喜んでくれた。
そして、これからも応援しつづけるよと言ってくれた。

恩師の一人は、私が悩んでいることに寄り添って、「まっとうな道」という言葉に違和感を感じると伝えてくれた。そして、私の視座を高くしてくれた。


彼は、いるかのうたを読んでこう言った。
「ももはたくさんの人に必要とされているね。こんなにたくさんのひとに必要とされて、支えられている人が、死んでしまいたいなんて、もう冗談でも言っちゃだめだよ」と。

私は、もう死にたいとは言わないし、思ってもいない。

だって、やりたいことが山ほどある。

今だって、文章を書きたいし、絵を描きたいし、本を読みたいし、勉強したい。
手と目があと3セットくらいほしい。


まだ、noteを書いていると伝えた人は、ごく僅かだけれど、少しずつ伝える人を増やしたいと思っている。

夢は一人で見るより、大勢で見たほうがきっと楽しい。


死んでしまいたいと願っていた私は、今、全力で生きたいと思っている。