潮音

一度だけ、祖父の操縦する船に乗ったことがある。

祖父は、漁師だった。


操縦すると言っても、大きな船ではない。細長いボートのような船の船外機を操作するのだ。



その日は、バーベキューをしながら海水浴をするよと言われていた。

祖父の家から車で少し走らせたところにある、海水浴場に行くのだと思っていた。

だが、祖父の家に着くと、父はバーベキューの道具を降ろし始める。


祖父の家は、海から数メートルしか離れていないけれど、その海というのは漁港で、砂浜はない、四角い海だった。

みんなが四角い海の方へと歩くので、私は不思議に思いながらもついていったら、祖父が船の上で待っていたのだ。

船で行くんだ!、という高揚感が私を包む。

と同時に、この小さな船に、私の母を含めて数名のぽっちゃりさんたちが乗るんだと思うと、小心者の私はたちまち不安になる。

「この小さな船に、みんな乗れるの?沈まない?」と父に尋ねながら、私はおっかなびっくり船に乗り込む。

「これは、おじいちゃんがの船だから大丈夫。絶対沈まないよ。」と言って、父は祖父のほうを誇らしげに見る。


あのとき、祖父は80歳くらいだったと思う。

祖父は、もう毎日船に乗っていたわけではなかったようだけど、現役で漁師をしている叔父たちを差し置いて、当然のように船外機の一番近くに座った。

「浜じっちが運転するからな」と祖父はにかっと笑う。

祖父は、私や妹に語りかけるとき、自身のことを浜じっちと呼んだ。浜の近くに住むおじいちゃんだから、浜じっち。



祖父がエンジンを入れると、船はブルルと震えた。

船はゆっくりと港を出ると、湾の中を静かに進んでゆく。


港に停泊している間は、波の上の感覚が慣れなくて、船酔いしそうだなと思った。

でも、走り出した舟は、どこまでも滑らか。


細かな水飛沫を散らしながら、船は来た路に、波を残していく。

僕のあとに、道はできる。ならぬ、僕のあとに、波はできる状態。


鏡面のように凪いだコバルトブルーの水の上に、祖父の走らせる舟だけが水紋を描いていた。

後ろを振り返ると港の祖父の家はもう遥か遠くにある。


海原へと漕ぎ出していくのは、なんて爽快なんだろう。


潮風を全身に浴びながら、私はいつになく真剣な表情の祖父を見る。

祖父は、海の男なんだなぁ、と思う。

それまでは、ハーモニカを吹いたり、庭に集まるねこに餌をやったりしている祖父の姿しか見たことがなかった。


海の上での祖父は、燦々と照らしつける太陽と、水面の反射の効果もあって、陸の上での何倍も輝いて見えた。



20分ほどの船旅を終えて、祖父が連れて行ってくれたのは、陸からは来られない、絶壁に囲まれた砂浜だった。

紅の豚のアジトを縮小したような場所。

私たちのほかには、だれも来ることのできない場所。


大人たちがバーベキューの準備をする中で、私たちは砂浜で泳いでいた。


ぷかぷかと水に浮かぶだけで楽しかった。

祖父の連れていってくれた砂浜は、木の生い茂る崖に囲まれていて、日蔭もあった。

日焼けを気にせずに、私と妹はぷかぷかと海に浮かんでいられた。

そんな、海の上でぷかぷかと浮かぶ私たちを見て、近くにいた祖母は、泳げねえのか、と笑う。

祖母は、祖父とちがい、ちょっと口の悪い人だった。

でも、私たちが行くときには、いつもテーブルに並びきらないほどのご馳走を作って待ってくれていた。めんどくせえなあ、と言いながら。

祖母は、水着の上に着ていた服を脱ぐと、水の中をズンズンと歩いて行き、そのまま潜ってしまう。

祖母は、海女さんだった。


潜っては、水面にひょっこりと顔を出して、また潜る。

こんなに長い間潜っていて大丈夫なのか、と心配になるほど祖母は水の中にいた。

「海に来たら、ばっぱ(おばあちゃんの意)はじっとはしていられないんだ」と祖父は呆れるような声で言っていたけれど、表情はにこやかだった。


祖母は、しばらくすると、わさわさとウニをとってきた。

「それで焼いて、食ってみろ」と、バーベキューセットを指差す。

えっ、せっかくのウニを焼いちゃうの?と思ったけれど、おっかない祖母には逆らえないので、祖母が剥いてくれたとれたてのウニをバーベキューコンロの網にのせる。

数分経ち、薄い黄色から、濃いオレンジ色へと変わったウニを、はふはふしながら食べた。


衝撃的なおいしさ、だった。


なんというか、罪深いような甘美な味。


とろりと滑らかな舌触りと、濃厚な磯の香り。

口に含んだ途端に、甘く溶けてゆく。



私たちがおいしいおいしいと食べていると、祖母は「密漁だからな。コソッと隠れて食べろ。」と真顔で言う。

本当に罪の味だったのか、と驚いてポカンとしていると、

「ジョークだ。漁業権あるから、安心していっぱい食え。」と祖母は笑う。

祖母流のブラック・ジョークだった。


本当の罪の味ではなかったけれど、たぶんあれほどおいしいものに、私は出会える気がしない。


あの日、バーベキューで焼いたのはウニだけではなかったはずなのだが、私はウニのことしか覚えていない。


バーベキューを終えた頃、砂浜は小さくなっていた。

大きな砂浜だと塩の満ち引きをそれほど意識しないが、この小さなアジトは、わずかな潮の満ち引きによって、姿を大きく変える。

もう少し経てば、砂浜は海の中に沈んでしまう。

名残惜しい気もしたが、私たちは舟に乗り込んだ。


帰りも、祖父が船を運転した。


もう10年以上前のことなのに、私はあのときの風を、波の音を、祖父の表情を、昨日のことのように思い出せる。

泳ぎ疲れた気怠さを振り払うように、潮風が頬に触れる。


緑の山に囲まれた、浅葱色の海。

その海を撫でるように進む船。

最初に乗り込んだ瞬間は不安だったけれど、帰りの船で不安は微塵もなかった。


帰りの船の上では、陸を離れる高揚感の代わりに、陸へと向かう安心感が私を包む。

水の上に浮かぶ祖父母の家の集落を、美しいと思った。


船が港に入るとき、ただいまと言いたくなった。



舟を降りたあとも、しばらく水の上にいる感覚があった。


その夜、眠るときも、潮音が聴こえていた。




毎年、夏になるとこの美しい海の光景を想う。


あの宮城の漁村の光景は、もう見ることのできないものになってしまったけれど。

私の記憶の中に、あの美しい光景はいまも焼きついている。

建物はなくなっても、美しく凪いだ海はいまもそこにある。


この記憶の中にある、美しい光景を、私はいつか絵にしたいなと思っている。







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