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空欄の成績表

※今回の記事には、いじめなどのセンシティブな表現を含みます。


この前、NHKの朝の情報番組を見ていて、悲しい記憶がよみがえってきた。


その番組では、このご時世で、子どもたちの教育をどう守るかについて特集していた。

いろいろと思うところはあったけれど、なかでも、感情移入してしまうことがあった。


ある兄妹の話だった。
お兄ちゃんが心臓病を抱えているからこの状況では学校に行けず、妹もお兄ちゃんにうつしたくないからと、学校に行くことを諦めた。

学校には、オンラインでの授業の実施を訴えたが、とりあってもらえなかった。

その子たちの成績表には、いくつもの空欄があった。



その空欄を見つめていたら、どこにもぶつけられなかった思いが込み上げてきた。



私の妹も、小学生の頃、空欄のたくさんある成績表を受け取ったことがある。

妹は、小学6年生の頃、クラスに行くことができなかった。

妹はいじめに遭っていた。


発端は、修学旅行だった。
班行動をして食事の会計をしたとき、妹は五千円札しか持っていなかった。
妹は、ばらばらに会計をしてほしいと頼んだようだが、班のひとりがおつりはあとで返すからといって妹のお金を預かった。

でも、何度頼んでも、その子は妹にお金を返さなかった。

修学旅行から帰ってきた妹は、みんなにお土産を買えなかったと泣いていた。


その日の夜、親は担任の先生に相談した。


次の日から、いじめが始まったらしい。

仲間はずれにされたり、ものを隠されたり、トイレに入っていると誰かが上から覗いたりしていたという。

妹は、その頃、顔にニキビが出始めていた。
そのことで、からかわれもしたらしい。
家では、「私の顔は気持ち悪いんだ」と顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。

そんなことないよと私が言っても、妹は泣き止まなかった。

妹は、教室に行くのが怖くなって、保健室に通っていた。


私は、怒り狂っていた。
妹をいじめている奴らを、同じ目に遭わせてやりたかった。
いじめをやめさせられない担任の先生を恨んでいた。

でも、妹は、怒りを別のところにぶつけていた。
いじめている子なんかに負けたくないと勉強していた。

私は当時中学生で、部活も忙しかったし、妹に何もしてあげられなかった。
ただ、私は、妹とよく一緒に勉強した。
妹は、何かに取り憑かれたみたいに勉強していた。

保健室で受けた妹のテストは、いつもほとんど満点だった。


けれど、学期末。

妹の成績表は空欄だらけだった。

理由は、クラスで授業を受けられなかったから。


空欄の成績表を受け取った日、
同じ部屋で眠る妹が布団の中で泣いていた。

私も、泣いた。
たぶん、両親も泣いていた。


担任の先生は、仕方がないのだと口にしたらしい。

仕方がないってどういうことだろう。


いじめで自殺した生徒がいたら責任を問われるのは教育委員会なのに、いじめにあっている生徒が授業を受けられないのは、生徒のせいなのだろうか。


妹は、教室には行けなかったが、保健室に通うことだって相当怖かったはずだ。

それでも、勇気をふりしぼって、毎日学校に通っていたのだ。

妹は、教室で妹を虐めていた人たちより、がんばって勉強していたと思う。


学校の先生だって大変なことは、今の私にはわかる。

私自身は、すばらしい先生に恵まれてきたし、多くの先生たちは生徒一人一人のことを想っているだろう。

けれど、先生が余裕を失っているとしても、子どもたちはそのことに気づけない。

子どもたちにとって、家と学校が世界のほとんどを占めているから。

たとえ先生が間違っていても、自分が間違っているとしか思えない。


私も、かつて教育委員会にいた。

想定しつづけても、想定外のことは起きる。

でも、言い訳を考えられるのなら、対策を考えるべきだ。

何か起きてから謝っても、遅い。


妹は、小学校を卒業してから、隣町の中学校に通った。
その隣町は、私が絵画教室に通い、妹がピアノ教室に通っていた町だ。

その中学校に、妹は楽しく通った。

テストでは、妹はほぼ毎回1番だったし、バスケ部のキャプテンをして、駅伝や陸上の走者になり、合唱のピアノ伴奏もした。

妹の顔に明るさが戻った。


でも、それでめでたしではない。


妹は、今でもいじめられた頃のことを口にする。

そして、完璧さを追い求める。

それは、私にも似たところがあるから、いじめにあったせいだけではないだろう。遺伝かもしれない。

けれど、ときどき私が見ていても、怖くなるくらい、妹はいつも自分を責めている。
だれかの求めている声を聴く。誰かの欲しい言葉を伝える。
いつも誰かの顔色を気にしてしまう。
そして、ときどき、壊れそうになる。



そして、まだ日本の各地で妹のように苦しんでいる人がいる。



冒頭で紹介した兄妹も、私にはあの子達に非があるようには、思えない。

学校に行きたくても、行けない子たちがいて、
それを仕方がないで片付けていいのだろうか。

成績表なんて大人にとっては、たいしたものではないかもしれない。
でも、空欄の成績表は、子どもを傷つける凶器にだってなる。

私は、今大学でオンライン授業を受けているが、大学や先生の努力のおかげで、質の高い授業を受けられている。
義務教育と大学では、予算や制度も違うだろう。
でも、義務教育ならより一層のこと、大人は子どもの教育を守ってあげなければいけないのでは?


オンラインの授業だったら、かつての妹のように教室に行けない子供も通える可能性だってある。


以前、『ミステリと言う勿れ』という漫画を読んだ。
その漫画の主人公が、

欧米ではいじめる子の方を、いじめなきゃいられないほど病んでると判断し、カウンセリングを受けさせる。

日本はいじめられた方を逃がすけど、逃げることにはリスクも伴う。欧米の対応が日本でも当たり前になるといい。

という趣旨のことを言っていた。

私も、そう思う。

いじめられる方にも責任はあるとかいうけどさ、それっていじめている方の意見じゃない?

傷つくのが悪いっていう風潮、もうやめようよ。
だれかを傷つけなくてすむ方法を、大人も一緒に考えよう。

そんなに弱かったら、この厳しい世の中ではやっていけないよって、その言葉が厳しい世の中を作っているんだよ。


人一倍傷つきやすい私が言っても、あまり説得力がないかもしれない。
それでも、私は、叫びたい。


今、苦しむ子たちのために、私にできることはほとんどない。

でも、あのとき伝えられなかった苦しさを、私は精一杯叫んでいる。