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ハレの日の美術館

よく晴れた5月のある日、私たちは美術館で結婚式を挙げた。

結婚式といっても、参加者は私と夫の二人きり。
挙式も、披露宴もない、写真だけのフォトウェディング。

これを、結婚式とは、ふつうは呼ばないかもしれない。

でも、この日は、私たちにとってのハレの日となった。



ほんとうの結婚式をするかしないか、私たちはまだはっきりと結論を出していない。
たぶん、しないんじゃないかなと、私は思っている。

懐に余裕のない私たちの強がりかもしれないけれど、結婚式をしなくても、私たちはずっと仲良く暮らせるような気がしているから。


結婚式への憧れは薄いが、私はある光景に憧れていた。

それは、留学中に訪れたドゥブロヴニクの街中で目にした光景だ。

世界一美しいともいわれるその街で、私は、ウェディング衣装に身を包んだカップルたちを幾組も見かけた。

ウェディングドレス姿の花嫁たちは、海風にドレスをはためかせながら、地中海の陽射しを受けて煌めいていて、まるで映画から抜け出してきたようだった。

アドリア海の真珠ともいわれるドゥブロヴニク(筆者撮影)


彼らの周りにゲストはいなかった。

彼らは、ハネムーンのついでに、ウエディング姿の写真を撮ってもらっていたのかもしれないし、教会の中から出てきたようだったから、二人だけの挙式をしていたのかもしれない。

キラキラと輝く海と白亜の街並みを背景に、二人きりで愛を誓う、その美しい光景が目に焼きついていた。

そして、いつか自分が結婚するときには、美しい場所で、二人だけの結婚式をするのもいいなと夢想していたのだ。


結婚してから、私はそんな夢を夫に話した。

夫は、私の夢を一緒に叶えようと約束してくれた。

どこでその夢を叶えようか、と夫は私に尋ねる。


私が夫に告げた場所は、ドゥブロヴニクの街ではない。

それは、日本の、とある美術館だった。


私が、ひとりで雨宿りをした美術館。

いつか晴れた日にまた行きたいと思っていた美術館。

この場所を想うとき、いつもそこは、しとしと雨が降っている。

けれど、その場所は、ドゥブロヴニクにも匹敵するといったら言い過ぎかもしれないが、美しいイメージとして、私の中に記憶されている。

私は、上の記事を書くために美術館のホームページをみていたとき、この場所でフォトウェディングができることを知った。

ここでなら、美しい場所でふたりで愛を誓うという夢が叶うし、自分で言うのもなんだが、美術館でフォトウェディングをするというのは、とても私らしい選択のような気がしたのだ。

この美術館は二人の思い出の場所、というわけではないけれど、この美しい場所を二人にとっての特別な場所にできたらいいな、と私は思った。


フォトウェディングには、家族も呼ぼうということになった。
きっと家族も晴れ姿を見たいだろう、と夫が提案してくれたから。

はじめは二人きりがいいと思っていたけれど、夫に提案されてから、この美術館に私の家族も案内したい、と思った。

けれど、フォトウェディングの数週間前、私の父が、膝の手術で入院することになった。

父は、しばらく歩けない、ということだった。

それでも、母は撮影の前日まで、フォトウェディングに来るか悩んでくれていた。

「無理しなくていいよ」と電話で、私は言った。
そう言ったあとで、少し胸がギュッとなって、本当は来て欲しかったんだな、と自分の気持ちを知る。

私が、実家から離れた地で写真を撮りたいなんてわがままを言ったから、母は娘の晴れ姿を見られないんだな、と思って少し悲しくなった。

「当日ビデオ通話できるかな?」と母が提案してくれた。

撮影してもらいながら、同時にビデオ通話なんてできるだろうか、と思案していると、

「ビデオ通話、いいですね。絶対しましょう」と隣で聞いていた夫が、力強く言ってくれた。


そして、迎えた撮影当日。
よく晴れて、暑いくらいの日だった。


この日のために伸ばしていた髪を、ゆるりと編み上げてもらう。
はじめて、自分以外の人にメイクをしてもらった。

たくさんの美しいドレスの中から、夫と二人で選んだものに袖を通す。
やわらかなシルクの生地のドレス。

その日の朝ごはんとお昼ごはんを食べすぎたせいで、ドレスが少しキツく、急遽スタイリストさんにドレスを仕立て直してもらう。
(この日のために、夫婦で毎日ヨガをして引き締めていたのに、最後に気を抜いてしまった…)

美術館では、カメラマンさんと、美術館のスタッフの方々が迎えてくれた。

にこやかで明るいカメラマンさんは、走り回ったり、芝生に這いつくばったりしながら撮影してくれた。
撮り終わった後に、「もう二周か三周したい」と言っていた。
写真を撮るのが楽しくてたまらない、というのがこちらに伝わってきて、撮影されているこちらも自然と笑顔になる。

私が希望したブーケの花が萎れやすいから、とフローリストさんは、ブーケを2つ用意してくれた。

ひとつめのブーケ
ふたつめのブーケ

私だけが撮影される時間もあり、その間、夫はビデオ通話で、私の晴れ姿を映してくれていた。

たった数時間のフォトウェディングだったが、たくさんの方々の力添えがあって、叶えられたことだった。フォトウェディングに携わってくださったみなさんに感謝の気持ちでいっぱいだ。

そして、二人きりのフォトウェディングだったけれど、美術館を歩いている間、私は、自分を育ててくれた両親はもちろん、私に関わってくれた人みんなへの感謝のきもちに、ひたひたと満たされていた。


家族には、晴れ姿を直接見せることはないかもしれない。
でも、私はこれからも何度も、お土産を持って家族に顔を見せに行くつもりだ。いつかこの美術館にも、家族みんなで訪れたい。


友人たちには、披露宴のようなフレンチコースをご馳走することはできないかもしれない。
だけど、私が最高においしい料理をつくるから、心ゆくまでお話しできたらいいなと思っている。

そして、夫とふたり、ハレの日を迎えられたしあわせを噛みしめる。


私たちは、みんなの前で、永遠の愛を誓うことはないかもしれない。

けれど、きっと二人でなら、これまで二人で積み上げてきた時間のように、これから積み上げていく時間も、宝物のような時間にできると思う。

私たちは、特別なハレの日も、ありふれたケの日も、きっと大事にできるはずだ。


かつて雨が降っていた場所にも、やがて光が差すように。

かつて絶望の淵で泣いていた私は、いま花の咲き乱れる美しい場所で笑っている。

これから、私たちに雨が降りかかることだってあるかもしれない。

そのときは、雨の音に耳を澄ましながら、そっと傘を差し出し合って、虹が出るのを待てたらいい。

晴れの日も、雨の日も、ずっと夫のそばにいられますように、と私は祈っている。


  



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