見出し画像

ミニマリストではないけれど

私は、ミニマリストというほど徹底した、持たない主義者ではない。

私の理想は、極限までモノを減らす暮らしではなくて、「持ちすぎない暮らし」。

自分のお気に入りのモノ、大切なモノたちに囲まれた暮らしに憧れる。

実家にいるときは、そんな暮らしをしたいと思いながらも、家族と意見が合わないことも多くて、ただ夢見ているだけだった。

けれど、夫と二人で暮らすようになって、そんな思い描いていた暮らしを実現している。


夫は、モノを長くつかう。
靴や財布も、穴が開いても使っていたが、最近ようやく買い替えた。
夫は、自分のモノをほとんど持っていない。

私は、夫よりは持ち物が多いし、買い替えのサイクルも短いけれど、できるだけ長く使えるように、モノを慎重に選ぶ。

服は絶対に試着する。
ネットの画面だけを見て決めずに、できるだけ実物を見て、質感やサイズを確かめる。
本も図書館で借りて読んで、気に入ったものを買うことが多い。


私たち夫婦は、センスや好みが必ずしも一致するわけではないが、モノに対する考え方が似ている。

私が実家にいた頃、妹はいつも次々とモノを買い、買って満足して、あまり使わず捨ててしまうことを繰り返していた。それが妹のストレス解消になっているようだったから何も言えなかったけれど、ゴミ袋に詰め込まれた真新しいモノたちを見ていると私はちょっと気分が悪くなっていた。

私は、モノを、長く大切に使いたい。

私と夫が何かを買おうとするときは、買うまでにすごく時間がかかる。
いくつか候補を出して、どれがいいか話し合って、実物を見て、どこで買うのがいいのか考える。

そんな買い物の仕方を、ちょっと面倒だなと感じるときもある。

けれど、私たちの家にあるものを、私たちはどれも気に入っている。

新しく買ったモノを使うたび、いい買いものをしたね〜と言い合う。

それはとても心地よいことだ。

最近買った益子焼のティーポット。
使うたびに、かわいくて、うっとりする。


私たちの家は一見するとモノは少ないが、よく見れば「なくても困らないもの」がたくさんある。
たとえば、ドライフラワーとか、絵とか、家の置き物とか。

この小さな家たちは、
ある島の坂道にある途中のお店で買った。
ある島の坂道。


「なくても困らないもの」は、余計なものではない。
それは、「必要無駄」だ。必要な無駄。
なくても生活に支障はないが、あったら心がほっとするようなもの。

私にとって、大切なもののほとんどが、そう。

きっと、なくても生きていける。
でも、なかったら、きっと人生がつまらないものになってしまう。

私は、モノを大切に使いつつ、必要無駄も愛したい。

私の大切なものがならぶ棚。
アートは必要な無駄だと私は思う。





この記事が参加している募集