見出し画像

吾輩は未婚である。

吾輩は未婚である。名前はまだ変わらない。生まれてこのかた、恋愛をしたこともなければ、手すら繋いだこともない。私がぎゅっと握るのは電車のつり革くらいだ。何せ高卒から働き、ほぼ毎日仕事漬け。始発に乗り込み、終電に滑り込む。ちゃんとした休みは四年に一度と言っても過言ではない。もはやオリンピックである。

ただ時々思う。このままでいいのかなって。
でも日々思う。このままでもいいんじゃないかって。

なぜかって。その理由は意外と身近なところにあった。実は私は母の連れ子。現在の父とは血がつながっておらず、母に限っては四度目の結婚だ。いやはや、恋多き女と言いますか子どもにとってはちょっと迷惑な人だった。この前まで「オジサン」と呼んでいた人がいきなり「おとうさん」になる。それだけじゃなく、自分の苗字まである日変わってしまう。昨日まで「小山」。それが今日から「大田」。その変化についていけず、名前が「小」から「大」になろうともおおらかでいられなかった。

私の母はとにかく一人では生きられない人だった。自分は定職に就かず、何から何まですべて男性に依存した。そんな母を嫌いになれたらどんなに楽だっただろう。だけど私にはできなかった。母を失ったら棲家まで失うことになる。だからどんな人であろうと「おとうさん」と呼ぶしかなかった。おとうさんじゃないし、おとうさんだと思ってもないのに。

その後、私は高校卒業を機に上京した。
これが親からの自立。依存からの卒業だった。

現在、職場で未婚は私だけである。「いい人いないの?」と言われることは多く、「いい人いるよ」とお見合い写真を持ってこられることだってある。上司に限っては飲み会でお説教を始めてしまう。お節介はよくてもお説教は勘弁だ。飲み会も行きにくいが、何より独身は生きにくいものである。

ある時上司が結婚について面白いことを言った。「恋は盲目だけど、結婚は視力を戻してくれるぜ。」上司は奥さんと大恋愛の末にゴールインを果たした。しかし結婚後、私生活において主導権はすべて奥さんにあり、度々不満を漏らしていた。「結婚はゴールじゃなくてスタートだから。無限地獄のね。」

それを聞いて新婚の同期は青ざめた。やっと結婚できたのに、って。結婚の先にあるものはバラ色の未来なのか。暗黒の、もしかしたら永遠に光のない未来なのか。今も昔も結婚はそこまでいいものではなかったのかもしれない。結婚の窮屈さを聞くと少しほっとしている自分が、どこかに、確かにいる。

先日実家に帰ると、案の定、母が見合い話を持ってきた。もちろん断った。なんだか居心地が悪くなりすぐに実家をあとにした。帰り道「本当にいいの?一回くらい」と眉にシワを寄せる母を思い浮かべ、なぜだろう、ちょっとだけ泣いた。結婚はしなくてもいい。でもしたっていい。そこに正解はないし、あってはならない。だけど思う。心の底から思う。結婚はいいものだって本当は思いたかった。結婚でうまくいかない母親を見ているからこそ、その思いは誰よりも強い。私は結婚に憧れていた。きっと、今だって、本当は。

今日も仕事を終え、身体ごとソファにもたれる。
ソファが男性になる日は、まだまだ遠い先のような気がする。

文:りん

第1回「わたしのノンマリライフ」エッセイ募集コンテストにご応募いただいた方々の中から、りんさんのエッセイをご紹介しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?