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第六十八段~ELLEの風の日を久しぶりに聞いたら歌詞に脱帽~

ELLEGARDEN。それは、2000年代に爆発的な人気を誇った4人組ロックバンドである。今日のONE OK ROCKやVaundyにも多大な影響を与えたという点で日本ロックバンドの傑物であることは、誰しも納得する所だろう。そんなELLEGARDENが生きる伝説となったのは、人気絶頂の2008年に活動を休止して突如、表舞台から去ってしまったこととは無関係ではない。しかし、2018年に10年ぶりに活動再開を発表した。かつて有象無象の若者だったファンも今ではしっかりと社会の中核を担う年齢となりつつあるが、その楽曲は今聞いても、青い心を揺さぶってくる。

私は、活動休止後にその存在を知った程度のにわか中のにわかファンである。その伝説的な人気っぷりを知った私は、楽曲に興味を持ち、当時有名だった曲をリピートしたものだ。ELLEGARDENの大きな特徴と言えば、英語楽曲と日本語楽曲が混在する点だ。しかも英語楽曲の数が圧倒的に多い。ところが、にわか中のにわかの私は当時、日本語詞の有名曲ばかりを聞いていた。「Missing]、「風の日」、「ジターバグ」、「高架線」などなど。社会人となった私はいつしか、そんな楽曲たちを聞くこともなくなっていた。

時は、2022年の年末。世間が師走を極めるころ、NHKでELLEGARDENのインタビューが放送されていた。ELLEがテレビに出ていることに驚きを禁じ得なかったが、彼らも丸くなったのだろう。丁度同じころ、アマゾンミュージックでELLEGARDENのトリビュートアルバムが配信されているのを知った。カバーされた楽曲たちは若かりし私が繰り返し聞いた曲たちだった。10年ぶりに味わうELLEGARDEN。年を重ねた私は、「風の日」を聞いていて、たった一音の助詞を使い分ける細美武士のセンスに脱帽した。前置きが長くなったが、それを語らせてほしい。なお、風の日の歌詞は下記のページから参照した。https://www.uta-net.com/song/45937/

もちろん曲の解釈は人それぞれだから、私とは異なる解釈をした方がいることは承知している。できれば読者のみなさまも寛容な気持ちで私の解釈を楽しんでほしい。


「風の日」は”僕”が、”いつだってピエロみたいに笑えない”と言いながら、自分が本当は見せたくない顔をしていると語る状況から始まる。元気が無くて落ち込んでいるのだ。そんな”僕”は続くサビで、”寒い日には 震えているの当たり前だろう”と聞き手に語る。その後に続く歌詞に私は多いに励まされてきたのだが、ここでは、震えているのに「」が使われており、気落ちした”僕”が淡々と語る様子が目に浮かぶ。

一方、二番は、”泣いたことのない君は本当に弱い人だから”から始まる。”僕”以外のもう一人の人物が登場し、恐らく泣いている”僕”に語りかけている。そんな二番のサビはたった一音を除いて、一番の歌詞と全く同じだ。そのたった一音とは”寒い日には 震えているの当たり前だろう”の「」である。ここで使われている「が」には、強調的なニュアンスを感じる。寒い日=震えているという構図は、めちゃくちゃ当たり前なことなんだよという強調だ。つまり、二番は落ち込んで泣いている”僕”を励まそうとする人物がAメロからサビの終わりまで”僕”に向かって励ましの言葉を述べているのだろう。その人物は自分もかつて”泣いたこと”があり、それを経験して強くなったと感じていることがわかる。

以上が久しぶりに風の日を聞いて私が感じた内容だ。たった一音の違いで、語り手の視点の違いが浮き彫りになるなんて、何回もかみしめたい歌詞である。英語の歌詞が多いELLEだが、日本語の歌詞にも繊細さがあふれている。しかし、実のところ「風の日」は暑苦しく励ます曲ではない。背中をそっと押してくれるような、寄り添ってくれるような、そんな楽曲だ。かつて聞いていた方も、この記事で知ってくれた方も、是非聞いてみてほしい。


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