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私とピンクの距離

せっかくnoteを再開したので
2日続けて書いてみよう。

今年はいつも以上にたくさん桜を眺めた。
環境の変化に弱い私は
学生時代はなんだかざわざわして
桜の季節を
あまり好きになれなかったけど
今年は
「きれいだな。」
素直にそう思える自分がいる。
そして
ピンク色を
「可愛い」
と素直に思えている自分がいる。

小さい頃からピンク色に抵抗があった。

毎日働き、家事もこなす
お一人様も全然へっちゃらで
料理もお菓子作りもいとも簡単にこなし
車も運転できて
私からみたら
なんでも簡単にこなす母親のような
自立した女性への憧れなのか
それに対し
「女は家でこどもの面倒を見てればいい」
と言い放ち、
ほぼ仕事と釣りに生活を費やす
父親への反発なのか
他にも理由はあるのかもしれないけれど
なんとなく
「可愛らしい」とか「女性らしさ」
を連想させる
ピンクを身につけることに
抵抗があった。

自分が女の子らしくすることが
恥ずかしかった。
「ピンクは可愛い女子だけが身にまとえるもの」
そんなふうに思っていた。
だからピンク色だけじゃなくて
服装はジーパン。
ワンピースやスカートは履かない。
友人は男友達ばかり。
赤いランドセルは半年も
経たないうちにほっぽり
大好きな水色のリュック
で通いはじめた。
入部した吹奏楽でも
最初から女の子に人気な
「フルート」の選択肢は
私にはなかった。

男子がピンクを着ようが
誰がどんな格好をしようが
何も思わないのに
いざ自分になると
そうやって自分でレッテルを貼って
自分を苦しめた。
たまにワンピースやスカート
を身にまとうと
「珍しいね!」とか
「今日なにかあるの?」
とか言われて
余計に身にまとうのが億劫になった。

けれどそもそも調べてみると
「ピンク=女の子」
というようなイメージができた一説は
1953年に
ドワイト・D・アイゼンハワーが
米国大統領に就任した際、
ファーストレディーである
大統領の奥さんのお気に入りの色がピンクで
彼女が就任式典の舞踏会に
無数のラインストーンが散りばめられた
ピンクのボールガウンを着て登場し、
その後も様々な場面で
ピンクを着続けたのが始まりらしい。
そこからメディアなどがピンクを
「女の子らしい色」へと押し上げ、
いつしかピンクが
女性の権利を訴える
様々な場面で用いられる
キーカラーとなったそうだ。

考えてみると西洋絵画の
女性が着ているドレスは
水色が多い気がする。

「ピンク」に
「女性らしさ」や「可愛らしさ」
が象徴されるようになって
まだ70年も経っていないことに驚いた。

子供の頃
好きな色は?と聞かれると
機械的に「水色」と答えていたけれど
本当はどの色も好きだと思った。
服装だって
ワンピースもスカートもデニムも
全部好きだった。

約1年前、
友人の家に泊まりに行った際
淡いピンクのTシャツを
部屋着で貸してくれた。
それすら抵抗があったけど
いざ着てみると意外と
どうってことなかった。
友達も「普通に似合うけどね」
とさらっと。
今では普通に
そのTシャツを借り着ている。

青空と桜色のコントラストが好き
山に散りばめられた桜の淡い色がすき
マスクは白よりピンクベージュが好き
髪色にインナーでピンクを入れると
少し気分が上がる。
大好きなデニムと淡いピンクの相性も好き。
夏にはふわっとマキシスカートを履きたい。

キレイなものはきれいと言いたいし
かわいいも、かっこいいも
素直に受け止めたい。

大統領の奥さんが
単にピンクが好きだったように
私も好きな色、
自分に似合う色を身にまとおう。


読んでいただいて、ありがとうございます。 自分のために書いた文章が 誰かの心にも何か残ったら嬉しいです。