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手放したと思ったら欲しいものはもうあった。

奈良に越してから
月に1,2回は藤沢に帰る。
そんな
2拠点生活のような暮らしが日常になった。
実家に帰る場所もないので友達の家を転々と。
それが案外と心地よい。
課題は交通費のみ。

つい先日も
「フェス行かない?」
私が藤沢に住んでるかのような
ノリで誘う友達。
私も藤沢に住んでいるようなノリで
「行くー」と答える。

奈良にいる理由も、もうなくなり
これだけ頻回に藤沢に帰っていて
「藤沢に戻ってこないの?」
よくそう聞かれる。

「今日空いてる?」
そんなノリで会える友達も
どこに何があるかわかるストレスフリーな買い物も
心が落ち着いて髪を切ってもらえる美容院も
家族のような仲間も
心地よい気候も
全部あるのは藤沢。
帰りたくないといえば嘘になる。
戻ろうかなと思うことも多々ある。

「いつか戻ろうかな」とは思うけど
なんとなく「今」じゃない気がする。

「欲しいもののは、もうなにもない」。

結婚した目的も
1人でも生きていけるけど
2人ならさらにHAPPYな生活になるなら
そう思ってお互い結婚した。
自分の実家が落ち着ける場ではないから
自分にも安心できる帰る場所がほしい。
居場所が欲しい。
そう思っていたけれど
案外、近くにあった。
奈良に来てそれを感じた1年だった。

「藤沢を離れたら壊れる関係だろうな」
と思ったら意外と壊れない関係。

世間の目を1番
気にしていたのは自分で
「離婚しました」
その一言がなかなか言えずにいたけれど
いざ言っても何も変わらず
接してくれる仲間。
もはやお母さんのように
引っ越しはどうしたの?
食べるものは?困ってることない?
わざわざ奈良まで
駆けつけてくれる友達もいた。

遠くに暮らしても
「元気?」って生存確認の連絡が来たり
藤沢に戻れば「おかえりー」と
迎えてくれる仲間。

居場所も、帰る場所ももうあった。
それを疑っていたのは自分だった。

「こんなに両手を広げて待っているのに
のんちゃんって盛大にはねのける時あるよね」

たまに友人たち数人に言われる。
心のどこかで信頼してもいいかもと思っているけれど
いつか裏切られるかもと防御線を張っていたから。

もう少し信じても良いのかな
そう思う。

帰る場所、居場所をずっと探していたけれど
きっと、もうある。
あるのにいつか無くなるんじゃないかって
怖いからずっと探しているけれど
この繋がりさえあれば
「無敵」とさえ感じる仲間を、
「今」あるものを大事にしたい。

2人暮らしをして久々に自分の嫌な所や
譲れない核となるものを再認識した。
藤沢に暮らしても奈良に暮らしても
もっと別の場所で暮らしても
それは変わらない。

会いたい時だけ藤沢に帰って
こもりたいときは奈良で内省的になる。
自分勝手だけど
そんな関係が今はちょうどいい。

「奈良で暮らしたい!」とは思わない。
けど仕事は楽しいし
あまり辞める理由が見つからない。
奈良でも友達ができてきたし
新たなコミュニティは
疲れるけれど楽しくもある。

藤沢でしたいことがあるかというと
言葉が詰まる。
奈良じゃないとできないわけでもないし
藤沢でもやりたいことはできる。
むしろ奈良じゃなくても
藤沢じゃなくても
できるのかもしれない。

藤沢は今の私には
ただ楽しい町なだけ。
住みよい、心地よい町。
休息場所。
ちょっとわがまま言える場所。
甘えられる場所。
それは大事なことだけど。
戻ろうという原動力になるまでのものではない。
多分、奈良は奈良で住みよいのだと思う。

「もう少し奈良で頑張ってみたいな」
そう思うのも、いつでも心が帰れる藤沢があるから。
そう思う。
感謝。

読んでいただいて、ありがとうございます。 自分のために書いた文章が 誰かの心にも何か残ったら嬉しいです。