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最後のディナーで謎のお客さんが教えてくれたこと 

新型コロナ対策が緩和され、海外との行き来も戻りつつある中、私がアルバイトをしているイタリアンレストランにも、たまに外国人のお客さんが訪れる。

お客さんとのコミュニケーションを大事にしている店なので、「もっと語学をしっかりやっておけば良かった…」と毎回、痛感する。

それでも「相手を知りたい」「相手に伝えたい」という気持ちさえあれば、意外となんとかなるものなのかもしれない。

拙い語学力で注文取り

店に来るお客さんは、特定の国籍や地域が多いわけではない。中国、アメリカ、韓国、フランス、スペイン、台湾などなど、バリエーションに富んでいる。

接客担当の私は、お客さんの注文を聞きとらなくてはならないわけだが、どうしているのか。

たいていはグループの中の一人が日本語が堪能か、もしくは英語ができる。グランドメニューは写真付きなので、指で欲しいものをさす、という手もある。おかげでなんとか注文ぐらいは取ることができている。

困るのは、こちらがチラッと英語を使うと、「お、この人は英語が使えるらしい」と勘違いされ、細かい質問が飛び出すことだ。

恥ずかしながら、中学から大学まで何年間も英語を学んできたくせに、英会話の実力は中学生レベルの私。

「おすすめのメニューはどれですか?」と言われたことはわかるが、それに対して、こちらが勧めたい「低温調理のレバー」や「レンコンのスパイス煮込み」をどう言えばいいのか。なかなか出てこない。

れんこんのスパイス煮込みは英語でどう言うのか…

というわけで、うちのシェフが得意なカルボナーラや、ボロネーゼなどを勧めてしまうことが多くなる。そのまま言えば通じるからだ。

本当はメニューのやり取りだけでなく、相手がどこから来たのか、なぜ数ある中からこの店を見つけてくれたのか、日本では見たことのない個性的なアクセサリーについても聞いてみたいし、相手が普段何をやっているかも聞いてみたい。でも、それを聞く道具(語学)がない。

外国人のお客さんが来るたびに、日本人のお客さんでは発動される図々しさがどこかに行ってしまい、「ああ、もっと勉強しておけばよかったなあ」と常に後悔してしまうのだ。

スペイン語での敗北

先日は、スペイン人なのかラテンアメリカ系の人なのかはわからないが、スペイン語を話すカップルが訪れた。

実は私は大学時代の第二外国語選択はスペイン語。サッカーチームのFCバルセロナが好きで、スペインに2回ほど試合を観に行った時は、現地のバルで酒と肴の注文だけはスペイン語で言えるように練習していた。あのスペイン語を使うチャンスだ。

しかし、「こちらがcerveza(ビール)で、こちらがvino blanco(白ワイン)、こちらがvino tinto(赤ワイン)です」と、メニューを指しながら片言スペイン語で伝えてもさっぱり通じない。

それどころか、私がドリンクメニューを説明しているのを見て、「飲み物は要りません」と英語で返されてしまった。結局、英語でパスタを何種類か勧めたが、二人は私が勧めたのとは違うパスタ2品を注文し、スペイン語で談笑しながら食べていた。完全敗北である。

悔しい。こうなったら意地でもスペイン語を使いたい。会計する時に思い切って「Gracias!(ありがとう)」と言ってみた。すると、女性の顔が輝き、「Gracias!」と返ってきた。

ドアを開けて外にお見送りする時も「Adiós!(さようなら)」と言ってみた。挨拶、最強。二人とも「Adiós!」と笑顔で返してくれた。

この経験から、せめて店に来てくれそうな国の人の挨拶ぐらいは言えるようにしようと心に決めた。英語でも最低限の接客ができるよう、「飲食店の接客英語」のテキストも買って勉強を始めた。

自分も海外旅行をした時に、片言の日本語で「アリガトウ」「サヨナラ」「コンニチハ」だけでも言われると嬉しいものだ。接客係としてせめて相手の国の言葉での挨拶で「あなたがここを選んで来てくれて私は嬉しいですよ」という気持ちを伝えたい。英語でももう少し詳しく看板メニューを説明したい。

語学コンプレックスのある自分が踏み出した小さな一歩ではあったが、これはまだマニュアル的でお手軽な対処法だった。

その後、私は「大事なのは結局、語学ではないのだ」ということに気づくことになる。

うちに来てくれたのだから「しゃべれなくてもしゃべります」

私と同様、シェフも大学まで卒業したものの語学は堪能ではない。それでも常連さんから「雑談の鬼」と呼ばれるだけあって、相手が外国人であっても果敢にコミュニケーションを取りに行く。

先日、カリフォルニアから来たというアメリカ人の中年男女3人組が来店した時は、長々と笑顔でおしゃべりし、お客さんもシェフもやけに盛り上がっていた。

後でシェフに「英語、話せるんですか?」と聞くと、「義務教育で習った程度しか喋れないよ」と言う。

「でもうちの店に来てくれたからには、しゃべれなくてもしゃべりにいきますよ。あのお客さんたちは、僕に向かって親指を立てるジェスチャーで『美味しいよ』と伝えようとしてくれた。そりゃ喋りに行かないとダメでしょう」

会話に飛び込んでみると、幸い、3人のうちの一人の女性が日本語を話せたらしい。

3人のうちの一人の男性は、普段からなんでも粗探しをする人で、店に入った時は「日本のパスタなんて美味しくないだろう」とブツブツ文句を言っていたそうだ。

「そんな人が、あなたのパスタはとても美味しいと喜んでいるんですよ」と女性が伝えてくれたのだという。男女3人と英語と日本語ちゃんぽんで大盛り上がりしているシェフの姿は、いつもの日本のお客さんへの接客の態度とまるで変わらなかった。

数ある店の中から偶然この店を選んで来てくれたあなたと知り合いたい、一緒に楽しい時間を過ごしたい。そんな真っ直ぐな気持ちさえあれば、語学の壁は超えることができるのかもしれない。そう気付かされた。

前菜1品、パスタ2品をたいらげるごついマスクのお客さん

そんな意味で、私が初めて人間的なやり取りができた、忘れられない海外からのお客さんがいる。

11月に何度も一人で来店してくれた30歳前後の男性だ。東アジア系なのかしらと思う顔立ちで、眼鏡をかけた真面目そうな顔になぜかいつもN95のような性能の高そうなゴツいマスクをびっちり着けている。

紙に印刷した日本語の「本日のメニュー」をスマホで撮影して文字を読み込み、自分の国の言葉に変換してメニューを選んでいるようだ。

それでも毎回、英語で「今日のお勧めはなんですか?」と聞いてくる。カルボナーラのトリュフがけ、ポルチーニのリゾットなどを勧めると、高いメニューであってもそのまま注文してくれる。

しかも、毎回必ず一人で前菜1品、パスタ2品、オレンジジュースを頼み、美味しそうに全てたいらげてくれる。

まだ私はこの頃、海外からのお客さんに臆していて、このお客さんについて知りたいのに「美味しいですか?」ぐらいしか聞けなかった。

「とても美味しいです!」と笑顔で返してくれるのがせめてもの救いだったが、今思えば、「どこからいらしたんですか?」ぐらい、まずは質問してみれば良かったのだ。

最後のディナーでわかった職業

そのお客さんの正体は、最後のディナーの後で判明した。

私が3回目にその男性を接客したその日、男性は食べ終わった後もスマホを長々といじっていた。

会計の時、いつもと違って男性はスマホの画面を私に向けて差し出した。スマホのアプリの翻訳機能を使って、英語のメッセージを翻訳したらしい。そこには日本語でこう書かれていた。

「明日、アメリカの○○(都市の名前)に帰るので、ここに来るのはこれが最後になります。今まで食べたイタリアンの中で一番美味しかった。どのメニューも美味しかった。イタリアでも何度も食べたことがありますが、本場で食べたイタリアンよりも美味しいです」

え?アメリカの人だったのか。最後のチャンスだ。拙い英語で、私もこれまで胸に抑えてきた質問を必死に話しかける。以下は私の拙い英語と、相手の英語やスマホの翻訳機能を使っての会話の一部だ。

「どうもありがとうございました。すごく嬉しいです。あなたは研究者なのですか?」

「いや、ライターをしているんです」

なんと!同業者じゃないか!途端に気持ちがグッと近づく。

「新聞や雑誌に記事を書いているんですか?」

「以前は新聞社に勤めていたのですが、最近、解雇されました」

「それは残念ですね。今はどんなジャンルの記事を書いているのですか?」

「今はゴーストライターをしていて、別の人の名義で○○などの記事を書いています。メディアは苦しい時代です」

「おお〜そうですよね。実は私はバズフィードジャパンの記者なんですよ。医療を担当しているんです」

「Oh!So cool!」

いやいや、そんなにかっこいいもんじゃないんだよ。解雇されたあなたはもっと大変だったと思うけど、日本でもアメリカと同様、メディアはみんな苦しい思いをしているんだよ。

そう伝えたかったが、英語の表現が浮かばず、咄嗟に私はポケットに入っていたBuzzFeedのボールペンを彼に差し出した。

バズフィードのペンをあげた

ペンに託したのは、エールのような、「お互い大変だけどライターとして頑張ろうね」というような、苦しい状況に直面する同業者だから伝えたいそんな気持ち。ニコッと笑って受け取ってくれた。

言葉では伝えられなかったが、記者をしながら飲食店でバイトをしている姿を見て、私の置かれている状況も何か感じ取ってくれたかもしれない。

「どうもありがとう。元気でいてくださいね」

店の外まで見送ると、「こちらこそ良い時間をありがとう。この店のレビューを食べ物の写真付きで載せてもいい?」と聞かれた。どこに載せるかわからないけれど「もちろんですよ」と答えた。

もう二度と会えないかもしれないけれど、嬉しい時間だった。いつか彼が書いたうちの店のレビューを読むことができるだろうか。

一期一会の他者との出会いを人間的な関わりに

このお客さんが最後に思い切って話しかけてくれたおかげで、私は初めて海外のお客さんと「気持ちを分かち合う」経験ができた気がした。自分がやっていた機械的な接客では乗り越えられなかった壁を、お客さんの方が崩してくれたのだ。

相手の国の言葉が話せなくても、今の時代、翻訳アプリだってあるのだ。「あなたに伝えたい。知ってほしい」という気持ちさえあれば、便利な道具やジェスチャーを総動員して、心に触れることだってできる。そんなことを教えてもらった。

次に海外からのお客さんが来て、もしお話ができそうなら、もっと積極的に話しかけてみよう。恥ずかしがらずに、片言の言葉でもあなたのことを知りたいという気持ちをぶつけてみよう。

スマホに翻訳アプリもダウンロードした。

一期一会の飲食店での接客は、自分が意図しては知り合えない他者と、一瞬であっても人間的な関わりができるチャンスでもある。考えてみれば、普段の人との偶然の出会いもそんな気持ちで関われば、人生はもっと豊かになるのかもしれない。

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