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私の名前は、すきまだらけだった。 - 漢字の名前がほしかった15年前の自分へ

「私も、漢字の名前がほしかった」

15年前の記憶が、鮮やかに蘇った。
小学3年生だった私は、「自分の名前の由来を調べてみよう」というお題が出された授業で、自分の名前は他の人と違うと気づいた。

「なんで私の名前は、ひらがななの?」
と家に帰って聞いた覚えがある。

15年を経て、全く同じお題が、言葉の企画で出された。
第3回。「名付け」がテーマだった。自分の名前について、もう一度調べてみる、それを100人の企画生に1枚で伝える、というとてもシンプルなもの。

15年前と違うのは、なんだろう。
伝える手段が、少し増えたことかな。
紙じゃなくてパワポになったみたいに。
あとは、伝える上での語彙が増えた、とか。
そう思っていた。

講義を受け、他の100人の企画生の企画を見て、
ひとつ、とっても大きなことを学ばせてもらった。
伝える手段が増えたとか、そういうのよりもっと本質的なもの。

今回はそれについて書いてみようと思う。

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ひらがな3つ。音だけの、名前

自分の名前の由来を、自信を持って話すクラスメイト。

「この漢字には、こういう意味があって」
画数が多く、かっこいい漢字。

「まだ学校で習ってない字だ」
8歳の私の中で、「なんで私はひらがななんだろうなぁ」という疑問は、次第に「漢字の名前っていいなぁ」という小さな羨望になった。

漢字には、ひとつの文字なのに色んな読み方や意味が含まれていて、成り立ちやストーリーがあって。
名前が漢字二つで成り立っていようものなら、名前からのびのびと多くの枝葉がのびているように感じた。

「ひらがななんですね」

今まで、何万回と言われてきた言葉だ。
かのん、という名前はひらがなで書く。一筆書きできるくらい、秒でさらっと書ける。

当時小学3年生の時のクラスの中で、ひらがなの名前の子は、たしか私だけだったと思う。
名簿を見た時は、自分だけ名前がスカスカ。
探しやすいけど。
でも、すきまだらけに感じた。

「かのん」。K-A-N-O-N。
漢字とは違い、音しか残されていないと、思ってしまった。

ちなみに由来は、パッヘルベルのカノンという音楽だ。
音楽好きな親が気に入っている曲で、結婚式でも流したらしい。

「なんで私の名前は、ひらがななの?」
「優しいから。」

母は、自慢げに答えた。

「音を大切にしたいと思ったの。他の言語でも、発音しやすいのがいいと思って。
英語、中国語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、イタリア語…でKANONって音が変な意味にならないかどうか、聞いて回ったよ。
やっぱり、漢字で読むよりも、呼んだり聞いたりする時の方が多いし、音とか響きが大事だからね」

父も母も、世界のいろんなところをバックパックで回るような旅好きだったから、私にも将来世界でたくさんの友達を作ってほしいと思っていたようだ。

親らしいと言えば、親らしい。

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そして、キャノンになる。

「キャノンって呼んで下さい。もちろん持ってるカメラも、キャノンです」

これを自己紹介で言うと、どの国でもウケた。
海外に行くと、実際「KA」は発音しにくいようで、私はいつもキャノンで通していた。首から下げているキャノンのカメラを見せると、おお!ほんとにキャノンだ!というリアクションが帰ってくる。

イタリア人には「オッケーNikon!これからもよろしくね!」とさっそくボケをかまされ、
フランス人には「分かった、妹は fujifilm でしょ?」と聞かれた。

「おお、大砲!」と言われることも多く、「BOOOM!」とかまされた。

Google先生も、学生に大砲と教えてたみたい。

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本当に世界のどこでも覚えてもらいやすい名前だなと感じた。

世界でも通じる名前をつけてくれた親の想いが、20年越しに重なったような気がした。

(キヤノン株式会社さん、本物のグローバル企業だ…タンザニアの奥の方でも分かってくれた。すごい)

学生時代に1年間住んでいたスウェーデンでは、現地の人に自己紹介した時
「KANONはスウェーデン語で、goodって意味なんだよ」
と言われた。

きっと母は、スウェーデン語での意味は知らなかっただろう。
ここで、自分の名前がこんな意味を持っていたんだと知ったとき、初めて、自分の名前から枝が伸びていったような気がしたのだ。

嬉しくて、嬉しくて。
母にラインをした。

「変な意味どころか、地球の裏側ではめちゃいい意味を持ってたよ」

KANON という音が、違う国で意味を持つ。
自分の名前を好きになった瞬間だった。


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名前は、一生解釈し続けるもの

講義を受ける前、企画生全員の名付けを見た時に、いくつも目頭が熱くなったものがあった。

なんで心に響いたんだろう?と思いながら講義に臨んだ。

はじめましての100人の名前は、最初はいわば「記号」のようなものだった。
呼ぶための「音」として名前を知り、そして少しずつ、自己紹介を通してその人らしさを表す「意味」が含まれていく、という感覚があった。

この企画で、一気に名前の裏にある大きくてあたたかい、世界にひとつしかないストーリーを垣間見れた。
知れて、嬉しかった。

それに加えて、講義中に阿部さんがおっしゃっていた「受け取った名前✕見出した意志」、この掛け算がある企画にぐっと心が掴まれたのだ、と解明できてハッとしたし、スッキリした。

意志を見出す。それは、自分の名前をどう解釈し、今までの人生に重ねながら、どうこれから生きていくかを言葉で表すこと。
私の企画に足りてなかったものだと思った。自分の名前の由来を知って、満足していた。

名前は、人生で一番最初にもらうプレゼントだとよく言われる。
かのん、という名前をもらって23年。
親の想いも受け取りつつ、これから先の人生、その名前を自分なりに解釈し続けたいなと思った。

15年前の「自分の名前の由来を調べる授業」を受けた時の自分と違ったのは、
自分の名前に自分と他者との間で生まれた経験を重ねながら、自分の名前を“解釈”できる年齢になった、ということだった。

そして、かのんという言葉、canonという音には、けっこういろんな意味があることを追加で調べながら知った。

"a rule or law," Old English canon "rule, law, or decree of the Church," from Old French canon or directly from Late Latin canon "Church law, a rule or doctrine enacted by ecclesiastical authority," in classical Latin, "measuring line, rule," from Greek kanon "any straight rod or bar; rule; standard of excellence," perhaps from kanna "reed" (see cane (n.)).

色々書いているが、意訳すると「ものごとをはかる基準になるもの」と捉えられる。

講義は終わってしまったし自分の企画も出し終わってしまったけど、今解釈し直した今、
自分の中にものさしを持った人になりたいなぁと思っている。

ずっと自分の名前と生きてきたはずなのに、まだ新しい解釈ができる。余白がある。
すきまだらけだなぁ、と思いながら、このnoteを締めくります。

明日もみなさんにとって、いい1日になりますように!


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