見出し画像

理論篇1:恋愛がゲームであるとはいかなる意味においてか

Q1:恋愛がゲームであるとはどういう意味か?

主張1:恋愛は社会的構築物である

《目的》

 人は社会生活の中で後天的に恋愛を学習していくのであって、内なる自然に従って恋愛をマスターするのではないことを示す。

《原理》

 人はデートコースの計画の立て方を生まれつき覚えているわけではない。
 人は一人のパートナーの他にもう一人と付き合うことが不倫行為であると生まれつき知っているわけではない。
 人は結婚届の出し方を母親のお腹にいるときからマスターしているわけではない。
 恋愛に関する行為のすべては後天的に学習するものであり、その人が恋愛に関してどのような行動様式を持つかも、その人が生まれた社会の状況や、制度、文化、周囲の人間の価値観によって大きく左右される。当然、恋愛に関する意思決定もかなり環境に左右される。
 以上述べたような意味で、私は「恋愛は社会的構築物である」という主張をしたい。

《効果》

 恋愛はそもそも社会の中で人の手を加えつつ改良を重ねられた人工的に構築されたあるものであって、自然に用意されたものでもなければ、いわゆる「大自然の法則」にのっとったものでも、もはやない、と人々は理解するだろう。

主張2:恋愛はプレーヤー間で利得を争う戦略的状況の一種である

《目的》

 恋愛がゲーム理論的に記述可能な対象であることを確認する。

《原理》

 恋愛には明らかに利得がある。性的興奮や愛情を感じるときに脳内に流れるドーパミンやオキシトシンといった化学物質の流れから、キスの時に交わされる唾液に含まれる微生物の流れ、食べ物の流れ、情報の流れ、お金の流れ、ステータス(社会的信用)の流れ……。様々な種類の流れがあり、そこでは様々な利得がやり取りされ、一つ一つの利得のやり取りにおいては必ず何かしらの意思決定があり、合意形成が目指される。
 その意味で、恋愛は経済学的あるいは数理的なモデルとしてのゲーム理論の文法によって記述可能な戦略的状況の一つと呼んでいい。つまり、恋愛における行為と利得分配の一連の流れをさして、私は「ゲーム」と呼べるはずだ、と主張しているのである。
 なお、恋愛の場面場面を切り取って、具体的にどのようにゲーム理論的に記述できるかについては、私は関心がない。

《効果》

 恋愛はそもそも極めて合理的なゲームであり、恋愛感情だけで成り立つものでもなければ、いわゆる「本能」で行う行為でもないことを、人々は理解するだろう。

主張3:恋愛には規則がある

《目的》

 恋愛は特定の秩序に従って運用されているゲームであることを確認する。

《原理》

 恋愛というゲームは社会的構築物である。社会的構築物であり、かつゲームである以上、恋愛関係を構築したり維持したりするための基本ルールと、利得分配に関する公平性のためのルールの2種類がある。
 あなたは、道端で一瞬すれ違っただけの見ず知らずの人間から挨拶もなくいきなり「好きです!」と告白されて、そのままデートに付き合えるだろうか。
 ましてや、性的同意もなく襲い掛かって来た野蛮人に対しては、暴力を感じないだろうか。
 デートではどっちが「おごる」か、もしくは「ワリカン」にするかで、誰かが議論を白熱させている光景を、全く見かけなかったということがあなたの人生にあっただろうか(人によってはあるかもしれない)。
 このように、秩序から外れた行為は暴力ですらある。また、関係性についても利得についても、お互いが納得するまで、何重にもルールを設定あるいは確認し、合意を重ねる必要がある。それは、恋人関係をより良好に保つためというより、そもそも恋愛というゲームのルール上、関係と利得の秩序を保つために仕方なくそうせざるを得ないのである。

《効果》

 恋愛は無秩序に行われているわけではなく、記述可能なある特定の規則によって運用された秩序のあるゲームである、と人々は確認するだろう。

主張4:恋愛には参加条件がある

《目的》

 恋愛というゲームが秩序ある運用をしていく上で、ゲームの参加者に参加資格を付けていることを確認する。

《原理》

 参加資格は恋愛においても定められたルールの一つとして存在する。
 つまり、サッカーをやったことがない素人がワールドカップのピッチに立てないのと同じように、人が恋愛というゲームに参加し恋愛関係を結ぶには、一定の参加条件と選抜条件を満たす必要がある。

参加条件:恋愛をしたいかどうか、人に頼れるかどうか、安全な場所で生活しているかどうか、等々
選抜条件:(参加条件を満たしたうえで)お互いに性的指向の対象になっているかどうか、相手が好みのタイプや年齢層かどうか、合法な関係かアブノーマルか、等々

 多くの人にとっては、選抜条件に適っているかどうかだけが注目の的になっており、参加条件はそもそも既に満たしているものと思って顧みない。しかし、実態として参加条件を満たしたくても満たせないことで悩んでいる人は世の中に多く、また満たしていないことを本人は自覚しているにもかかわらず尚も周囲から同調圧力として恋愛するよう強いられている人も少なくない。これは、恋愛がゲームである以上、特殊なルールがあり、限られた人だけしか参加できないという性質が忘却されているゆえの悲劇である。

《効果》

 秩序を維持していくために参加不適格な人間を排除するということは恋愛というゲームでも起こっており、その意味で他者排除・差別の現場でもある、と人々は確認するだろう。

主張の総合

 恋愛は明らかに社会の中で作られた特殊なゲームの一形態に過ぎない。にもかかわらず、「世の大多数の人は恋愛をしたい/している/したことがある」と誤って社会から思わされている。それ故、人々は「恋愛することは人として自然」という誤った観念を抱いてしまい、自覚的であれ無自覚的であれ、恋愛しない人や恋愛に困難を抱えている人を差別し排除してしまう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?