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講義篇4:「恋愛自体に意味はない」と考えすぎる理由

この記事は、2022/06/22にRadiotalkで収録したものを文字起こしして、さらに修正を加えた内容です。
元音声が聞きたい方は以下のリンクからどうぞ↓
#Radiotalk
#Non Shikaneの考え過ぎRadio

 《恋愛の話をしよう》っていうふうにね、言いながら、これまで言ってきたようなことを考えすぎている恋愛トークっていうのは、なかなか私はお目にかかるというか、お耳にかかるというか、そういうことはなかなかないかなぁ、とは思うんですけれども。

「恋愛自体に意味はない」理由

 とりわけ、私が話してるコンテンツの中で皆さんに違和感を持たせやすい所っていうのは、恋愛をゲームだと考える時に「ゲームなのだから恋愛自体には意味はないよ」っていうふうに私は考えて、考えて、考えすぎているわけなんですが、そういう発想っていうのは、なかなか素直に受け付けられる人ってあんまり多くないと感じておりまして。なので、「恋愛自体に意味はない」と考えすぎてるその理由をですね、お話ししようというふうに思っております。

 恋愛自体に意味はないっていうふうに考えすぎている理由は大きく3つありまして。
 まず第一に、

①恋愛に依存しないため

です。恋愛に依存している方が世の中にはいらっしゃいます。で、恋愛に依存するあまり、人間関係をこじらせちゃったりとか、あるいは生活に困ってらっしゃったりとか、あとはメンタルヘルスの面でトラブルを抱えてるっていうのももちろんなんですけれども、また精神的な自立っていうところで言えば、なかなかね、そういうふうなところで不安を抱えながら恋愛をし続けていらっしゃっていて、それで実際傷つきも深い、みたいなね、そういうことが現象として今世の中で起こってます。恋愛に依存してる方、少なくない数いらっしゃると。この日本の中でも、あるいは世界の中でもそうですね。
 そういう方の依存症の克服の仕方っていうのは、ここでは殊更取り上げるつもりはございません。ただ、恋愛に依存しないための予防の考え方として、実は恋愛自体には意味はなんにもないんだっていうふうに考えるっていうことは、恋愛に依存しないための保険、ワクチンになるのではないかなっていうふうに、私は考えすぎております。
 実際、恋愛をしているとですね、いろんな副産物が出ます。で、その副産物の中に、ワクワクするとか、興奮するとか、すごくドーパミンが出るとか、そういうことがあるんですけれども、大体ドーパミンが出たりとかね、脳に報酬が与えられた時に反応する回路が働く系のものは、依存を引き起こしやすいですね。タバコとか、あとはアルコール・お酒とかね、あとはギャンブルとか、そういうものと似てます。そういう感じに近い要素がやっぱり恋愛にはあって、結果恋愛に依存してしまって、さらに悪いことにそれを周りはあんまり問題と感じにくいっていうこともあったりとかします。「この人めっちゃいろんな人の恋バナしてるんだけれども、大丈夫かな?」っていうふうに心配になる人は心ある人っていう感じがするんですけど。だいたいは「この人とお話ししてるといろんな恋バナが聞けてたのしー」とかね、「お茶しててたのしー」とか、そういうふうに受け止める人が恋愛に関してはね、生じてしまいやすい。やっぱり、恋バナをしてる、っていうところでもやっぱりドーパミン出ますからね。
 そういうところで、割と恋愛って依存症になりやすいんだよ、っていうことを問題に感じたりとか、あるいは怖いものだ、リスクがあるものだ、っていうふうに考えてらっしゃらない方が、やはり大勢いらっしゃる。けれども、やはり「ゲーム」っていうところで考えると、依存を引き起こすトリガーみたいな装置もゲームの性質によってはやっぱりあったりとかするので。で、恋愛に関しては間違いなく依存症を引き起こしやすいタイプのゲームですね。
 そういうことで、一旦「意味はない」っていうふうにフラットな立場に立ってみると、依存をした時に回復と言うか……回復するのに有効かどうか私も言っててよくわからないんですけども……少なくとも何か「特別なもの」っていうふうに考えなくて済むかなっていうふうに思って、「特別なもの」って考えなくて済むと、依存もしにくいかなって。

 で、早速2番目の理由が出てきたんですけども、

②恋愛を「特別」なものではなく「特殊」なものと考える

ってことですね。「特別」っていうことと「特殊」っていうことでは意味合いが違うっていうことは伝わりますでしょうかね。何か「特別」っていうふうに考えると、「他にはない」っていうふうなところでね、そこに価値を見出して、「素晴らしいものだ」「皆にも当てはまるものだ」「皆も体験する価値のあるものだ」「自然なことだ」みたいな感じのニュアンスに流れてしまいやすいんですけれども、「特殊」って考えると、「そうじゃない領域がたくさんあるんだよ」っていうことがより見やすくなると思います。要するに、ゲームっていうことで考えるならね、テレビゲームでも『スーパーマリオブラザーズ』から『ゼルダの伝説』から『ロックマン』まで、いろんなゲームがあるわけですよね。そういう世の中にいろんなゲームがある中の「恋愛」というゲームがある、ということを私は言いたいっていうことです。いろんなゲームがある中で「恋愛」っていう特殊な、でもとりわけ皆にプレイされているゲームがある、っていう認識で私はいるわけです。

 3番目として、

③恋愛以外でも、人とつながる方法って無数にある

わけですよね。別に「恋愛」をとりわけしようと思わなくても、さっき言った『スーパーマリオブラザーズ』のファンなんです、みたいなね、任天堂ファンなんです、みたいなね、そういうことで人とつながる方法だってあるわけですし。
 前回ね、「まずは友達から」っていうことには罠が潜んでるよって話もしましたけど、もちろん「友達」っていうことでも人とつながることはできるわけですから。「友達」っていうのも一つのゲームなので。「友達」っていう関係性それ自体には何かしらの意味があるわけではないんですけれども、「友達」になることによる副産物っていうものは、「恋愛」という関係を得ることによる副産物と同等か、それ以上の価値のあるものを手に入れることはもちろんできるわけです。可愛い子って思って、まずは友達からって付き合い始めたら、友達でいる方が心地よく感じちゃった、でも、「恋人」ってなるとちょっと関係性が変わって……というところで迷ってらっしゃる時に、
「『恋人』になった時に生まれる付加価値は、今の関係性で生まれるものよりもちょっとワンランク上のものなのか、それともそんなに価値のあるものではないのか」
っていうことは、一つ考える必要があると思うんですね。 要するに、別に友達でよければ友達でいいんじゃね、っていうことですよね。
 とりわけ「恋愛」するっていうことにしたからといって、その先に結婚とか、婚約関係とか、「生涯のパートナー」ルートとかね、そういう選択をしたからといって、その選択によって失ってしまうものもあったりするわけですよね。あるいは、(そういう選択をすることによって却って)うまく相手とつながれなくなる、っていうことも実はあったりとかするかもしれない。
 そうことを考えると、恋愛とか結婚とかそれ以外で人とつながる方法ってやっぱり無数にあるわけですよね。「同じアーティストのファンです」とかね、そういう感じのファン同士のつながりだとかね。そういうことであれば「知り合い」っていうふうなね、ちょっと距離はありますけれども、それでも十分だったらそれでいいですよね。「仕事上でのパートナー」とか、それでも満足するならそれでいいじゃないですか。
 世の中には、やっぱり「恋愛」以外で人とつながる方法は無数にあって、それはそれで満足を得る方法っていうのは沢山あるわけです。むしろ、
「なぜ『恋愛』っていう特殊なゲームを、あなたはその人との関係の中で選ぶのか?」
っていう、そういうことが逆に問われてきたりとかするんじゃないかなって思うんですけれども。
 ともかく、ゲームであることには変わりがないので、「恋愛」自体にはやっぱり意味はないです。『ゼルダの伝説』とか『スーパーマリオブラザーズ』とか、それくらいの、カセットの名前、タイトルくらいの意味しかないんじゃないかなって思ってます。それでも、「恋愛」というゲームの中で勝ち残っていく方法みたいなことをね、一生懸命世の中の大多数の人は考えてらっしゃると思うんですけど、私はそういう攻略法にはあまり興味がないので、そういう攻略法みたいなことは他の人に任せるとして、とりあえず「恋愛」はゲームだよ、ゲームだからこそ意味はないんだよ、っていうことを私はお伝えしたいです。
 では。


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