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理論篇0:理論化するにあたっての原則

 これから『恋愛=ゲーム論』の理論を記述しよう。

 まずは、理論化するにあたっての原則を明らかにしていく。

何のために理論生成をするのか

  1. 言葉にならないものを言語化するため

  2. 差異の生成のため

  3. 社会から浮くため

  4. 対話のたたき台を用意するため

  5. 社会をハッキングするためのコードを執筆するため

 私にとって理論生成とは、私自身の営みとしては、自分自身の内の深いところでまだ言葉になっていない感情や感覚にアクセスすること、そこから何かしらの新しいタームや新しい表現を創造していくプロセスのことを言う。
 そのプロセスは同時に、精神面ではこれまでの(ある時点での)自己自身、もしくはある関係性の中の自己自身から切断され、離脱し、漂流する、言い換えれば明確な差異が生み出されるプロセスでもある。
 そしてまた、「切断→離脱→漂流」のプロセスが進行するということは、必然的に社会から「浮く」というプロセスも経験する。なぜなら、未だこの社会の多くの人にとっては、自らの頭でものを考え、理論を形成するよりは、既存の理論の島に住み着き、島の居心地がいい場所から漂流者を眺めては「かわいそう」「ああはなりたくないわ」と言うことだけが関の山だからである。
 しかし、だからといって、既成概念、既製品、既存の権力の島にいる人達と仲良くなれないわけでもない。(数は少ないかもしれないが)私と同様に自分の頭でものを考え、理論生成のプロセスを楽しんでいる漂流者と仲良くなれないわけでもない。むしろ理論生成のプロセスは、既存の島にいる人や別の漂流者との間の「対話」を開くためになされるプロセスである。
 以上みてきたようなプロセスは、純粋な享楽・遊びとして執行されるプロセスであり、また経済上は知的労働生産というプロセスでもある。目的はあってもなくても、どうでもいい。ただ、あえて目的を語るなら、ただ、社会に登記され、また派生的に産出され続けているところの社会のコードのプログラムをハッキングし、まったく別のコードに書き換えたり、機能不全のコードを停止させたり解体したり……という作業を、実質的な効果を伴って遂行するために、言葉にならないものを理論化し、構築した理論を他者との間で作動させている、ということになろうか。

理論生成のプロセスに関する原則

  1. たった一人で考える

  2. 1つの《主張》に対して《目的》《原理》《効果》だけを記述する

  3. (上三項目を記述するためなら)何を考えてもよい

  4. (原則)何も参照しない、文献の引用をしない

  5. 議論のゴールを「この考え方がいかなる《効果》をもたらすか」だけに置く

 私は『恋愛=ゲーム論』も含めて、これ以降のシリーズにおいても、徹底的に「モノローグ」でありたい、と願っている。自分自身と深く向き合うため、社会から「浮く」ために、私の内なる理屈の中だけで通用することのみ、話す。他人の余計な入れ知恵は、極力参照しない。
 ただ1点だけ、《効果》について考えるときだけは例外的に、他者との関係性・社会全体における位置のようなものは視野に入れるかもしれない。
 徹底的な「モノローグ」である本論が、他者との関係性の中で正常に作動するか、通用するかどうかに関しては、次の「理論の正当性に関する原則」を参照してほしい。

理論の正当性に関する原則

  1. 問いであって、答えではない

  2. 問題解決をゴールにしない

  3. 自分自身を含め誰からも、正しいと評価されたり、賛同を得たりすることを一切期待せずに、書く

  4. 「正しいかどうか」「真理かどうか」を放棄して、書く

  5. 私がした主張に対して、3人以上、反駁してくれる人を見つけなければならない
     

書いたとおりである。それ以上補足的な説明はない。


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