短編小説「人工の夕陽に向かって」2024/02/25
「では、インタイムめがけてアジャストの、結果オーライですね。イシューはグッド、アライブです。2860円ですね。ホスピタリティーがプライベートなユーティリティーで、なる早の、」
カタカナ語を多用してくる老け顔の若いタクシーの運転手の発声はまだ続いていたが、2860円をぴったり渡し、ついでに、伸ばしてきた右手の指を五本とも全て、外側へ180°曲げてやった。絶叫して悶絶しているが、カタカナ語を多用する方が悪い。こういう奴が、日本国を劣化させているのだから。
タクシーを出ると満月からやや欠けた美(は)しき月。日付が変わったばかりだ。
暗い街だが、街灯が皆無なわけではない。といっても、月の明るさもあいまって、文明が滅びた後の夜のような雰囲気だ。寒いが、暖冬故に、即死しそうな程の寒さではない。
気持ちよく背伸びをした。……その後で思い出したが、この港には監視カメラどころか、ライブカメラがあるんだった。四六時中、全国に放映されている無料の監視カメラ。倫理も何もあったものではない、嗜虐性の極み。令和のパノプティコンが、残酷に実っている。
そんなことを考えていたら、危うく、臼杵(うすき)港行きの便に誤って乗るところだった。
零時二十分、フェリーは八幡浜港を出た。月は愈々、煌々と、主人たる第三惑星を灼(や)かんばかりに煌(かがや)いている。己を主人だと、或いは、主人公だと思うて驕りて踏ん反り返っておるのは、若(も)しや地球のみやも知れぬ。
午前と粗(ほぼ)同じに始まる船旅は、凡(およ)そ三時間。三時十分には別府港に着く。併(しか)し、五時半までは船内で憩うておってもよいとの配慮が存在しているのは有難い。待ち合わせをするにせよ何にせよ、未明の二時間を闇に沈む別府に彷徨するのは、なかなかに骨を要する計画であるから。
船の音と波の音が、ねっとりと夜を裂いて進むこのフェリーを、皮肉たっぷりに祝福している。
扨(さて)、暫く甲板をぶらつき、月に投げ接吻(キッス)等をした後(のち)、船内空間へ戻った。古い映画館か、或いは、古い空港の待合空間のような椅子に腰掛ける。船内は貸し切りに近い。
体育館程広くはないが、理科室程狭くもないこの空間は、程なくして、ロビーの一角を除いて消灯した。夜食を貪り、無聊を託ち、文庫を読む為のその空間は、スポットライトを浴びた文明の中心のようだ。だが、そこには、人は零人(れいにん)しかいない。レーニンの霊がいるわけではない。
そのロビーの一角から弧を描くように、等間隔に散って陣取る、私を入れた四名。
一人は四十代と思しき男性、痩せた長身のパンチパーマ。光量不足でよく見えないが、枯葉色のトレンチコートを身に纏っているようだ。仮に甲彦(こうひこ)とする。
一人は二十一歳の、この間揉めに揉めた末にドラッグストアを退職した農業高校卒の女性。ポニーテール。桃色のオーバーオールでキメている。私だ。仮称を乙子(おつこ)とする。乙姫の方がよいか? まあここは、乙子(おつこ)としよう。
一人は三十代と思しき手足のすらりとした女性、ショートカット。便宜的に、丙代(へいよ)という苟(かりそめ)の名を贈ろう。黒い服を着ているらしく、闇に溶けかかっている。
一人は三十代後半ぐらいだろうか、背の低い、肥満気味の角刈りの男性。黒か紺か、とにかくスーツを着ており、こんな時なんだから外せばいいのにネクタイをしている。丁郎(ていろう)と呼ぶことにする。
扨(さて)。
何も起きずに、一時間が過ぎた。寝られそうで、寝られない。なかなかに寝つけない。
また一時間が過ぎた。寝られそうで、寝られない。
ふと、
寝返りついでに、例のスポットライト空間を見やると──。
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!」
脳で理解するよりも早く、反射的に、大声を上げていた。
「クスクスだあ!」
人間と同じぐらいの大きさのクスクスが、スポットライト空間で、ゆっくり、ゆっくりと、盆踊りをしている。異様な光景。
舌打ちの後、
「……うっせえわ……。」
と呟いたのは甲郎だ。五月蠅いもくそもない、事態を把握しろ盆暗親父(ぼんくらおやじ)。
私は大声で叫(おら)ぶ。
「皆さん! 皆さん! あれ! あれ何ですかあれ! ほら! オセアニアの動物でしょあれ! クスクスじゃない!?」
丁郎(ていろう)を見ると、クスクスの方を見やって愕然としている。
私は大声を絶やさない。
「フクロギツネ属等を擁する、クスクス科の生物でしょあれ!? なんで船に有袋類がいるの!? しかも、大きくない!? クスクスって普通はもっと小さいでしょ!?」
「ひゃあああああああ!?」
漸く起きたとみえる丙代(へいよ)が、素っ頓狂な可愛い叫び声を上げながらひっくり返る。
流石に甲彦(こうひこ)も何事か、と立ち上がり、そして踊るクスクスを見て、暗がりでも分かる程に顔面蒼白だ。
「双前歯目(そうぜんしもく)だああああああああああ!」
私は、叫んだ。
数十秒後、船員の一人が来て、そして、クスクスを見て恐怖に腰を抜かした。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
五十代ぐらいの男性船員は、悲鳴を上げながら元来た方へ走り去った。
五分もせぬうちに、先程の彼を入れた五名の船員が、スポットライト空間へやってきた。
「……何なんだ……!?」
「……動物……!?」
口々に震え声を連発している。可哀想に!
──と、思ったら、船長と思しき老爺(ろうや)がクスクスへドロップキックをかました!
クスクスの頭部は木っ端微塵に砕け、中から基板やステッピングモーター、ピストン機構の部品等が漏れるように零れ始めた。
あ、あの莫迦爺……! 高かったのに、何という手荒な真似を……!
私は潮時だと思い、マップケースと呼ばれるような類の鞄一つを急いで肩に掛けると、甲板への階段へ急いだ。甲板にあるジュラルミンケースには、折り畳み式のハンググライダーが入っている。携帯ジェット噴射機器も勿論、持って来た。
今回も、逃げ切れる!
「行かせねえよ、デブ。」
低い声に、走りながら振り返ると、丁郎が銃を構えていた。
嘘でしょ!?
再び進行方向へ向き直って、階段へ!
と、その時。
首筋に、無音の激痛……!
「ぐぎぎぎぎぎぎぎぎじゅるじゅるじゅる……。」
私は、唾液を撒き散らしながら、倒れた。
起きた。
「気がつきましたか。」
「ここは?」
「別府警察署です。」
「別府に着いた!」
「あのねえ……。」
警官二名が私の反応に呆れている。ふと自らの手足を見たところ、どうやら拘束されているようだ。鏡も無いし手も伸ばせないので詳しくは分からないが、激痛の走った首筋のあたりに、流血している感触は無い。……麻酔針だったのか?
「大分刑務所では、アーク溶接作業をやらせて下さい! 私、得意です! あ、あと、ブラがきつくなってきたので、新しいのを下さい!」
大声で私は言った!
「それはそれで、アリ!」
数秒の沈黙。
警官二人のうち片方が、溜め息を吐きながら、言った。
「それでは、ルッキズムに一石を投じる顔面をしているおばさん。取り調べをしますんで、聞かれたことにだけ答えて下さい。」
「は!?」
私が大声を出すと、もう一人の警官が、警棒をフルスイングした。
ベギッ、という音と共に、鮮血が噴き出した。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
「鼻が折れたくらいで五月蠅いよ、世の中舐め腐った、永遠に親の脛を齧っているおばさん。痩せようとか、思わないのか?」
「痛いよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
私の血で、電気スタンドの電球が真っ赤っ赤だ。
赤。
あまりにも鮮やかな液体が、光源を燃えるように彩る。
黄昏が焼けている。
火の球同然のこの電球、人気商品になるのではないだろうか。
私は激痛のあまり、ウインクをした。
人工の夕陽に向かって。
2024/02/25(日) 非おむろ
短編小説「人工の夕陽に向かって」
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