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100日後に死ぬキャベ子が命日を迎えました





100日後、死ぬとしたら
どんな毎日を過ごしますか?





どうも、しらたま キャベ子です。

まず、100日後に死ぬキャベ子ってなんだ!?いきなり命日!?はっ!?!?という方は、ぜひ上のnoteを読んでからこのnoteを読んでください。



・自粛期間で生活が乱れていく中、立て直すために100日後に死ぬと想定して毎日を生活してみることに決めた。
・やりたいことリストを作って完了させていく
・コロナ禍でできること、できないこともあるだろうと思いながらもやりたいことをやろうとしてみた


キャベ子がnoteを始めてちょうど一か月後の4月23日に始めて、7月31日に100日目を迎えました


どんな100日だったのか、きちんと整理していきたいと思います。

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100日後に死ぬキャベ子を始めた日のnoteから遡る


このnoteを書くにあたって、どういう心や環境の変化があったのか、再度振り返ることが必要だと思い、3月23日の1コト1分から読み返しました。(本当は100日前からにしようかと思ったけれどせっかくだったので1コトめ。から読みました)


自分の文章を読み返すのは結構恥ずかしいと思いながら読み返し始めました。

自分で書いた文章なんですが、不思議なことにそこから感じ取った「しらたま キャベ子」という女の子は、私とは似ても似つかない子に感じました。


投稿する時に、言葉遣いには気を付けています。

オープンに公開しているものなので、ネガティブになりすぎないようにセーブしているつもりではあります。

でも、書いている時は、あぁ~こんな暗くなる文章読みたくないだろうなぁ。でもこの言葉を吐き出さないと私の中にたまっていっちゃうしなぁ。と迷って、最終的には素直な言葉で(多少オブラートにつつんで)投稿していました。

だから、暗い言葉が少ないのは当たり前なのです。

…それにしたって、ネガティブな言葉が多いnoteでも不思議とネガティブさを感じない。


キャベ子自身の書く技術力というものが低いせいもあるかもしれません。

一方で、自分が感じている以上にネガティブさがないというのは才能な気がします。

周りの人に同じ雰囲気を伝染させないじゃないですか。


…もしかしたら、それは明るくふるまえてしまうとか、自分の感情を押させてしまうことの反動なのかもしれないけれど。それでも私が書きたいと思っていたnoteの在り方を続けられていた気がします。

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終わりの言葉、

「明日も、私や読者さんやまだ知らない人たち、みんなが楽しいことして生きていられますように✨」

はnoteを始めるにあたって、どんなnoteを作っていきたいか考えた時の、最終的な目的を表したものです。

確かに、読んでくださった方へのメッセージです。

でもそれ以上に、こういうからにはキャベ子自身も楽しいことを見つけて生きていこう、と思わされるのです。

一番この言葉に救われているのは、きっと私なのです。

今まで100日キャベ子とは関係なく、この言葉を使い続けてきました。
時にはもう最後につけるのやめよう。と思うこともあります。けれど、こうやって読み返した時に、毎回毎回同じ言葉が出てくる安心感を感じました。


そんな私のための言葉だけれど、読んでくださる方の中にもこの言葉に励まされている人がいることを聞いて本当に嬉しくなった。

書き続けてきてよかったです。

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全力で生きると決めても、ダメな時はずっとダメを引きずっているし、

調子がいい時は色んな事に挑戦していたような期間でした。


様々な克服方法を検討しながらよりいい日を生きるために日々を過ごせていたんじゃないかなぁ。と今は思います。

甘々かな。

キャベ子、100日間お疲れ様。


キャベ子が書いたトップ画像たち

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64コトめ。残り73日を超えた頃から、自分のnoteのトップ画像を自分で作ることにしました。

絵に苦手意識があるのなら、それを克服するためにひたすら描くべきだと思ったのです。


始めてから100日を迎えるまで、合計54枚の絵を描きました。


大体同じ描き方をしていたので、似たり寄ったり…


でもそれがキャベ子らしくていいなぁって思い始めました。

時間がなくて描けずに投稿する時は、たとえ自分の文章であってもどこか物足りなさがありました。


絵のインパクトってすごく大きい。


読むnoteと読まないnoteを選ぶとき、初めに表示されている文章とトップ画像が決め手になる。

少しでも、私の言葉と絵でnoteに立ち寄ってくれる人がいたらいいなと思うようになり、続けてきました。


キャベ子の絵は決してうまくない。

1コト1分の画像たちはだいたい10分弱で描かれているものだし。

クオリティーははっきり言って低いものだった。

なんだこの絵!?って言ってそのまま素通りされていくことも多かったのかもしれない。


ただ変わったこともいくつかある。

・自分のnoteにより愛着が湧く。

・その日に書いたnoteをより長く覚えていられる。

・こう見えるためにはこう描けばいいのか、と新たな視点に出会った。

・絵を描く人たちの努力や労力を知った。


そして何より、絵を描くことが楽しいと思った。


苦手意識で描くことから逃げていた時より、多少下手でも描いてやろうって思えるようになった。

絵を公開することにハードルを感じなくなった。


自分で作ったものをできるだけ残したい。

一番簡単に、noteに残せる方法がこのトップ画像たちだったのです。

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100日を終えて、キャベ子にとっての死を考える


このnoteを書くにあたって、新井満さんの『死の授業』という本を読みました。

大切な人やものを思い浮かべて、絵に描く。


そして、それを燃やす…


死の疑似体験です。


残念ながらキャベ子は、火を使って燃やせる状態ではなかったので、燃やす妄想だけ。

炎の熱さや、燃えていく紙の様子、燃え尽きた灰のカス…

色々なものを思い浮かべたら、大切にしたものが零れ落ちていくようで悲しくなった。


嫌だ。


周りの人がいなくなったら、

周りの人と別れなくてはならなかったら、

寂しいことは分かっている。


でもそれを私が死んだ時に他の人がそうなることは想像できなくて。

私が死んでも誰もそんなこと思わないって。


100日前は、そんな風に思うことが良くありました。

100日キャベ子を始めてからはどうせ時間が終わるなら、死ぬも死なぬも気にしないで今日を生きていようってさ、思うようになったんだよ。

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最終日。一番未来を考えました。

皆にはある明日と、キャベ子にはない明日。

今日の1コト1分と少し被るけれど、もう少し詳しく書かせて欲しい。


日中は自分の部屋に引きこもっていて、

好きなものを食べたり、卒論の続きを書いたりして過ごした。


夕方、カメラを持って外に飛び出す。

まだ少し太陽が高い時間だった。

ゆっくりゆっくり目的地も決めずに歩きだす。


条件は一つ。夕暮れが分かる写真を撮れる場所。

あっちの道~こっちの道~とうろうろした。


はじめのうちは人がいるところを避けた。

誰にも見られず無機物を撮ることで、今日が最後…ということをしみじみ感じていった。

次第に人が増え始める大通りへと進んでいく。

人がいる中で写真を撮ることは恥ずかしかったけれど、気にしてもいられない。撮りたいものをそのまま撮った。


目に入ってきたものは、人だけじゃなかった。

枯れた花たち、ペットボトルの山、ゴミ捨て場、歩きたばこの残骸、ポイ捨てされた紙…

私には見えているんだと、証拠として撮っておきたくなった。


ちょっと言葉にするには気持ちがはっきりしていなくて、表現できない。

なんていうか、視点が増えた。小さなものまで見えた。普段気がつかないところまで気がついた。

きっと、余裕が生まれたからだと思う。

生き急ぐこともなく、死を受け入れる。

そのために、私は最後の1日を使いました。

特別じゃない、普通の日。それでよかった。それがよかった。

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全力で生きるって何だろうね?

100日キャベ子を始めた時は、最後の最後まで全力で生きるんだ!って思ってた。

けど、毎日が進むにつれ、全力ではなくなるし、淡々と作業をこなしていくような気もしてきた。


終わりが近づくにつれ、続きの生活を考えるようになった。


だから、本当の意味で全力で生きるなんてことはできなかったんだ。


全力で生きるって何だろうね。

何を捨てて、何を残して、何をして、何をやらなくて。

そんな決断をたくさんすることかもしれない。


もし全力で生きることが全てをすることだったら、100日が終わる前に私はストレスで死ぬ。

私は欲張りだから、やりたいこと次から次へと湧いてきて、全てを経験したくなって、終わらなくって嫌になっちゃう。

そのための取捨選択。

私は間違わなかっただろうか。

間違ってもまた正しい道へと踏み出して行けただろうか。



100日って長いようで短い。


今日でカウントダウンが終了。

命日を迎えました。


改めてありがとうございました。

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これからの話


これで終わりじゃないんか~い!!と思ったあなた!!

まだ続きます笑



100日キャベ子が終了して3つ変化することがあります。

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1.Twitterの雑多垢との連携をする

2.名前が変わる

3.芽キャベ子が卒業

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以上です。

何かまた新しいことするのかな!?と期待していたらすみません。

普通に生きます笑

普通に生きるけど、今日まで感じたことを生かして生きていくのです。


それで変わる3つのことについてですが…

現在しらたま キャベ子のTwitterは @non_interviewer というアカウントで運用しています。

こちらのアカウントは引き続き使っていきます。そしてnoteの投稿も引き続きこちらでツイートしていきます。


ただ、もう一つ雑多垢としているアカウントもnoteの方に公開します。

@sirius10orion です。


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理由としては2つ。

1つ目は、HAFÜNÖKI⁴(はふの木)の活動をnoteを使って宣伝したいからです。このはふの木というのは、キャベ子を含め4人で結成したYoutubeでの朗読配信グループです!!!


ちょこちょこと出てきていた朗読やボイスドラマのお話はこの活動のものでした。

演劇が実際にできなくなってしまった期間に、どうにかこうにかスキルアップをしたり、自分たちにできることは無いのかと考えて始めた活動です。

詳しいことは、別途noteを書いてお知らせしていきたいと思います。

少々お待ちください^^


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2つ目は、一人の人間でいたい、と思ったことでした。

いつかのnoteにも書いた気がしますが…


私は沢山のTwitterアカウントを持っています。

それは、コミュニティーを形成しやすくするためです。

同じ趣味を持っている人と繋がっていたら、情報共有はしやすいし、似たようなポイントで盛り上がることができる。

だから、界隈が変わる度に作り替えてきました。


そういう世界のすみわけをするのは楽しいです。

生きるのが楽です。

新しいアカウントを作れば、新しい自分を演じていくことだってできます。

それが好きな私はこういう女の子で…

これが好きな私はこういう雰囲気で…


ただ、それにも違和感を感じるようになった。

じゃあ、どれが本当の私なんだ?

全部好きなのに、好きなものいっぱいあるのに、

まるでそのうちの1つしか好きでないように振舞っている自分はなんなんだ??


そう思うようになり、最近は雑多垢に絞るように生活しています。

全部含めて私だ…!それをちゃんと見て欲しい!

そう思うようになったから。


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リスクもあります。

雑多垢には私と直接関わりのある人もいます。

ネットだけでつながっている人だっています。

過去の趣味を繋いでつながり続けている人もいます。

それを完全匿名でやっていたnoteに放り投げるんです。


イメージが崩れるかもしれません。

反対に、直接会ったことがある人がこのnoteを見に来る可能性も出てきます。

100日間死ぬために生きていたのかこいつは??

そうバレます。


考えると、恥ずかしい。

だって口には出してこなかった言葉たちをnoteとして書き出しているから。


見られたらねぇ~そんなこと考えてる人だったんだって…

もしかしたらひかれちゃうかもしれない。

怖さはある。


でも知って欲しい。


noteでつながっていた人たちには、普段キャベ子がどんな言葉を使っているのか。

直接つながっている人たちには、普段私がどんなことを考えているのか。


だから、公開することに決めました。


noteで生きていたしらたま キャベ子は、100日で宣言通り死んで、

もとの”私"の一部として、noteに生き返ります。


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名前についてですが…

正直すっごい迷いました。


・しらたま キャベ子の名前は残しておきたい。

・本名を公開する気はやはりない…

・あだ名として残すか、フルネームで残すか。


複雑にしているのは自分なのですが、複雑すぎて困り果ててしまいました…


結果。

しらたま キャベ子 (のん)

にします。


Twitter雑多垢の名前、”める”を残すことも考えたのですが、HAFÜNÖKI⁴(はふの木)の宣伝をここでしていくことを踏まえると、どうしても”のん”という言葉を入れておきたくて、泣く泣く省略しました。


名前は変わりますが、基本的にはこれからもキャベ子としてnoteでは書いていきますので、そのままお呼びいただけたらと思います!


そこは変えないのか~い!って思うかもしれませんが、思った以上に今までのnoteで1人称キャベ子を使っていたため、それらの記事を書き換えることはしたくない、労力的に無理がある、と判断したのでキャベ子残しです。


シンプルに”キャベ子”ってかわいい。(親バカ)


そんなこんなでしらたま キャベ子(のん)をよろしくお願いしますm(_ _)m


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あ~と、note用のTwitterですが、一応ポジティブマン芽キャベ子が投稿している設定でした。

ただ、リプをもらう時に分かりづらさがある、キャベ子と芽キャベ子の差異を作るのが予想以上に上手くできなくて、芽キャベ子をTwitter業から卒業させます。


つまり!ポジティブマン芽キャベ子の代わりに、キャベ子自身もポジティブんマンにならなくてはいけないのです!!!

新ミッション!!


なんとな~く、最近のnoteの感じから、普通にポジティブにふるまっていけそうな気がするので、大丈夫そう!


芽キャベ子は、キャベ子の投稿に対して、第一客観視点だったんです。投稿をお知らせする文章がそう。独りよがりにならないように、タイトルと被って同じことを2度繰り返さないように、気を付けてくれました。

キャベ子のTwitter乗っ取りでいつでもポジティブ!っていうかんじではなかったですが、それでも、noteの垢からツイートする時は、なるべく明るいことを言っていようと意識させてくれる役割をしてくれていました。


卒業しても、キャベ子の中に芽キャベ子はそのまま残し続けるからね。

ありがとう。


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うっひゃ~久しぶりの超大作!

実は1コト1分以外のnoteを投稿するのは実に2か月弱ぶりになります!!!!!


そんなに開いていました。

書き始めても最後まで書ききれずに終わった下書きが山ほど残っています…


ただ、このnoteだけは、絶対に上げたかったので最後まで書き切りました!



100日って長い。

でも100日ってあっという間。


何もしなければ何も変わらず過ぎていくし、

何か行動をすればみるみる変化していく。


後者の100日を過ごせたキャベ子は、間違っていなかった。


最後まで見守ってくださった方、ありがとうございました。

そしてこんな長いnoteを読み切ってくださった方もありがとうございます。


明日も、私や読者さんやまだ知らない人たち、みんなが楽しいことして生きていられますように✨

また明日!

-------- 100日後に死ぬキャベ子 完 -------

よろしければサポートお願いします。心から顔上げて前向いていけるように、できることからやっていきます。見守っていただきたいです。