ふてくされた日も、空が綺麗でいてくれてよかった。
今日は一日、どんよりとした天気だったみたいだ。
みたいだ、と書いたのは、今日はずっと家に篭りきりで窓の外を一度も見ていないからだ。
ただSNSで好きなアーティストがそう呟いていたから、きっとそうなのだろうと思う。
お日様がその姿を隠すとき、私たちは晴れを想う。
曇りの日、雨の日、雪の日、嵐の日。
ちょうど先日、そんな「天気」を題材にした映画を見た。
映画に対する感想として適切な表現かはわからないけれど、とにかく「みずみずしい」と思った。
描かれる水滴の一粒一粒、あるいはキャラクターの心の動きの一つ一つが、震えて、弾けて、やがて溶けていってしまうような、
うまく言い表せないけれど、そんな映画だった。
同時に先日、やけにふてくされていたことを思い出す。
別に嫌なことがあったわけではないのに、なんだかずっと不機嫌で、まるで小さな子どものようにむくれていた。
買い物に出かけた帰り道、何かが不安で、何かが苦痛で、とにかくむしゃくしゃしながら歩いていた。
居ても立っても居られなかった。
けれどふと顔を上げた瞬間、
飛び込んできたその景色に
あぁ、空が綺麗でいてくれてよかった、と思った。
西日を受けて、雲は柔く輝いていた。
大きくて優しい白色のかたまりが、何にもとらわれずただどこかに流れていく。
別の方角では、薄くしなやかな雲が空の色の境目を泳いでいた。
"マジックアワー"と呼ぶには少し淡すぎるその色は、やさぐれた心にちょうどよくてじんわりと染み込むようだった。
映画の中のワンフレーズが、すとんと腑に落ちる。
本当に、ただの空模様にこんなにも気持ちを動かされてしまうのは、どうしてなんだろうな。
私のカメラフォルダには、空の写真が幾つもある。
爽快な青空も、少し物憂げな夕日も、
その時自分が何を感じていたかを少しだけ思い出させてくれる。
誰かに見せたくて撮ったものもある。
空が綺麗だったことを、自分だけじゃなくて誰かに伝えたいと想うのも不思議なことだ。
「空を見れば、自分の悩みがちっぽけだとわかって気が楽になる」と何かの本で読んだことがあるけれど、
空がただそこにあることで、
二度と同じ色はないその景色を見ることで、
人はただ、今そこで自分が生きていると分かるのかもしれないな。
だとしたら、晴れでも雨でも曇りでも、どんな天気も愛おしく思えそうなものだけれど。
今週末はキャンプに出かけるから、どうかどうか晴れでありますように!なんて、思わず願ってしまう自分もいるのだ。笑
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