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「カエシテ」 第29話

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 タクシーが走り去ると、加瀨は気を取り直し病院へ入っていった。大通りに面した中規模な総合病院だ。建物は五階建てで、地域住民が主に利用しているのだろう。左側は駐車場となっていて、七割ほどが埋まっている。脇には駐輪場もあり、数台の自転車が止まっている。
 加瀨は自動ドアを通過し中に入った。内部は吹き抜けとなっているため、とても広く感じる。ロビーのベンチには多くの人が座っているため、評判のいい病院なのかもしれない。廊下にも、看護師や通院に来た人が多く歩き、フロアでは、絶え間なく職員によるアナウンスが流れている。受付は、入り口を左に折れた先にあった。事務員が何人も座り、忙しく手を動かしている。
 加瀨は、受付の前に立っていたスーツ姿の職員に声を掛け、来意を告げた。
 すると、しばらくソファーで待たされた後で部屋に案内された。白壁に長テーブルが二本置かれ、椅子が六脚置かれた簡素な部屋だ。
 加瀨がその部屋で待っていると、ノックの後で人が入ってきた。白髪頭の初老の男と三十代と思われる二人の女だ。二人の女は白衣を着ていることからも看護師とわかる。
「お待たせいたしました」
 白髪頭の男が頭を下げた。眼鏡を掛け、優しそうな顔をしている。白衣を着ていないところを見ると、事務関係の人間なのだろう。差し出してきた名刺には、坂下さかしたとあった。肩書きは事務局長とあったため、話をチェックするために同席しているようだ。
「北見さんに関しての話を伺いたいと言うことなので、同期の二人を連れてきました」
 加瀨が名刺を差し出すと、坂下は二人の看護師を紹介した。隣に立つ看護師は、長身で細身。色白でクールな女性というイメージだ。名前は、小田聖おだひじりと名乗った。その隣に立っている看護師は、目が細いことからもややきつめの印象を受ける。彼女は、立川花江たちかわはなえと名乗った。
「お忙しい中、申し訳ありません」
 お互いの自己紹介が済んだところで加瀨は、突然の訪問を詫びた。
「お二人は楓さんと仲が良かったとのことですけど、事件のきっかけとなったことに関して、何かご存じありませんか。出来れば、報道で出ていないことが知りたいのですが」
 早速加瀨は話を始めたが、同席した坂下の表情が一気に厳しくなった。穏やかな外見とは違い、厳しい人間のようだ。
「あのことに関してでしたら、報道された内容は全てでたらめです。真実は一つもありません」
 顔を見合わせた後で意を決したように花江が答えた。看護師だけあり、声は大きくハキハキしている。
「つまり、借金もなければ、それ以上のこともなかったわけですね」
 複数人から聞いた情報だったが、加瀨は確認を取った。
「いえっ、それだけではありません。犯人と言われている金田に関してもです」
「犯人もですか」
 これは新情報のため、加瀨は顔つきを変えた。坂下の右眉がピクリと上がった。
「はい、これは一切報道されていないので絶対にオフレコでお願いします」
 花江はそう前置きした上で話していった。
「楓をあんな目に遭わせた男は、あの逮捕された金田で間違いないんですけどね。でも、実はその裏にはもう一人男がいたんです。逮捕された金田はその男のために楓からお金を集めていたんです」
 初耳の話に加瀨は慌ててメモを取り始めた。
「私達は楓から聞いていたんです。交際している金田は優しくていい人だけど、知り合いの中に頭が上がらない人がいて、その人に苦労しているって。何とか助けてあげたいけど、お金を要求してきたから別れようと思うって、辛そうに話していましたから」
「そうなんですか」
 そうなると、見方が変わってくる。金田は確かに楓を殺害した。だが、黒幕がいたとなると、ある意味被害者の一人となってくる。
「はい、それで楓は別れる前に貸したお金を返してもらおうとしたんです。でも、その話をしにいった結果、あんなことになってしまったんです。おそらく、口論となってしまったんでしょうね。わりかし、正義感が強かったので」
 聖が辛そうな顔をした。
「なるほど。ちなみに、この裏にいた男のことはご存じですか」
 メモを取りながらも加瀨は質問を続けていく。
「そこまではわからないです。楓は会ったことがあるって言っていましたけど、その時は悪い人には見えなかったって言っていました。だから、見た目は普通な人だったようです」
「そうなると、決して裏社会の人間ではないと言うことですね」
「はい、それは間違いありません」
 聖はキッパリ頷いた。坂下の視線は厳しくなる。
「そうですか」
 頷きながらも加瀨の頭は動く。裏社会の人間ではないとなると、単なるチンピラか、あるいは中途半端に生きている人間のどちらかになる。チンピラであれば、何か事件を起こし逮捕歴があるかもしれないが、中途半端に生きている人間となると、その可能性は低い。縁もゆかりもない新潟で、この手の人間を見つけ出すことは不可能に近かった。
「楓さんには妹さんがいたと聞いたんですけど、居場所はご存じですか。どうもお母さんと共に行動しているようなのですが」
 そう考え加瀨は切り口を変えた。
「わからないですね。私達は楓としか交流がなかったので。会話の中にたまに出て来ましたけど、実際に会ったことはありませんでしたから」
「そうですか」
 あまりにもあっさり答えられたため、加瀨は頭を掻いた。
「楓さんのことを訊ねて、金田という男がこの病院に来たことはありましたか」
 その頭をフル回転させ、何とか次の質問を絞り出した。
「それは、本人は否定していましたけど、実際はあったと思います」
「どうしてそう思うんですか」
 坂下の眉がピクリと動いたが、加瀨は構わず質問した。
「それはやはり、顔つきが明るく変わっていた時があったからです。恋人に会えば、どんなに疲れていても頑張れますからね。そう思った時が何度かありました」
「なるほど」
 女は恋をすると変わるとよく言われている。恋人に会った後であれば、その変化は顕著に現れるのだろう。普段の加瀨には興味のない話だったが、今は引き込まれていた。
「ちなみに、そう感じた事って何回ぐらいあったんですか。覚えている範囲でいいので、教えていただけますか」
「四、五回はあったと思いますよ」
 聖の答えに花江が頷いている。ただし、坂下の顔は険しくなっていくばかりだ。病院は仕事場のため、恋人と密会していたことが許せないのかもしれない。
「そうですか。それなら間違いなさそうですね」
 加瀨はそう思いながら頷いた。
「あと、これはちょっと現実離れした話となってしまうんですけど、楓さんはオカルト好きだったという話は聞いていませんか」
「オカルトですか」
 そのキーワードを聞くと、聖と花江は顔を見合わせた。
「私達はちょっと聞いたことがありませんね。そういう話は」
 視線を戻した後で、花江が答えた。顔からは未だに怪訝な表情は消えていない。坂下も険しい表情をしている。
「そうですか。ちょっと東京でおかしな事が起きているもので。関係あるかと思ったのですが」
 どうやら楓と無関係と判断し加瀨ははぐらかした。
「では、今日はこの辺で」
 そこで坂下がわざとらしく時計に目をやった。どうやら時間を決めていたらしい。
「わかりました。ありがとうございました」
 加瀨は改めて礼を言うと、病院を出た。外に出ると、外はすっかり暗くなっていた。頬にぶつかってくる風も冷たい。まるで肌を切るかのようだ。
 加瀨はコートの襟を立てて歩き出した。
 病院の前では停車中のタクシーが列を作っていたが、目を向けることなく素通りしていく。また田川のようなドライバーに当たったら最悪だ。金はいくらあっても足りなくなってしまう。寒さに挑むように駅まで歩くと、電車で新潟駅まで行き、通りにあったビジネスホテルに入っていった。


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