感情出力がいびつな日もある。人間だもの。
NVC(非暴力コミュニケーション)を学んでいようが、コーチングを学んでいようが、エネルギーについて学んでいようが、感情出力が調子悪いな、不安定だなと思う日は全然あります。人間だもの。
生理前やコンディションが悪い(往々にして余白不足)時は、ついつい人を責めたり、自分を責めたりする思考が湧くことも。
だけども、NVCやコーチングやエネルギーについて学んでよかったことは、そこから戻る力をもらったこと。
例えば、NVCには「嘆く」という言葉がある。
嘆くとは、何か思わしくない出来事が起こった時に
他人を責めるでもなく
自分を責めるでもなく
ただ、そのことが残念だった、と嘆くこと。
私も日夜訓練中だけれど、
往々にして人は「ただ嘆く」ということができなかったりする。
「あの人がこうしてくれれば、こうだったのに!」
「あなたがこんなことするから!!」
と(伝える伝えないはさておき)人を責めてみたり、
「ああ、なんでいつも私はこうなんだろう」
「こんな私はダメだ」
と自分を責めてみたり。
例えば、腹立たしいことが起こったり、思わず涙が出て出るほど悲しい時に、試しに自分の思考をチェックしてみてみると、ほぼ100%自責か他責が紐づいている。
癖というよりも、もはや反応、反射。
他人を責めて
あるいは自分を責めて
状況が良くなるならいくらでもやればいいけれど、残念ながらこの数十年の人生でそこについては明確な「んなわけない」が出てしまっている。笑
だとしたら。
他人を責めている感情の奥底に息づいてる、自分の本当の想いは、ニーズはなんなのだろう?
何が満たされなくて怒っているのだろう、悲しんでいるのだろう、もやもやしてるのだろう??
自分を責めることも同様。
他人を責めるよりも自分責めしている方が人に害がないように感じる?
自分責めは自分が悪いのだから仕方ない?
本当に??
自分を責めている感情は一体どこからきたものなのか?
大体はこれまで生きてきた中での刷り込みが多いように感じます。
例えば、自分に言っているそれを、直接他人に向けていうことは考えられるか?
大体はNOなはず。
それなら他人にも言わないようなことを自分に言い続けていつまで自分を傷つけるは何故なんだろう?
自分自身は、誰にも代われない自分の味方。
そんなこんなで、
だから、ただただ嘆く。感じる。言葉にする。
「そうか、私はそう思ってたんだね。」
そこにたどり着くと、段々不思議と感情の反応は収まっていく。
そのうちに、
「じゃあ私はどうしたいんだ?」
という問いが立ってくる。
自責も他責もしないと、必ずここにたどり着く。
そして、ここに立ち帰れたならばしめたものです。
あとは、その心に沿って行動をする。
これは心の筋トレのようなものだと思う。
心の筋肉がつけば、不安や怒りに踊らされずに済む。
さてさて。
スロー気味な本日、掃除した後のすっきりした部屋でピクミン4でもやろっと♪
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