自動運転システムとドライバーと責任と義務

最近、小さな子供が巻き込まれる交通事故のニュースが大きく取り上げられています。
心が痛いですね。
また一方では自動運転システムの話題も大きくなっています。
果たして自動運転システムは是か否か、交通安全に役に立つのか、話していこうと思います。

まず大前提である私の主観から申し上げましょう。
自動運転システムは多少の効果は望めるが、言うほどではない

是でも非でもありません。
自動運転システムはドライバーの補助機能に過ぎないと考えているからです。
何故そう考えるのか、書いていきます。

自動運転システムの先駆けとなっているのは航空機でしょう。
ボーイングとエアバスが大型航空機のほぼすべてのシェアを独占しています。
その中でもエアバスは「人間の判断よりもコンピュータの判断を優先する」コンセプトで設計されています。


コンピュータに振り回される人間

航空機は自動車よりも多い搭乗員数、自動車よりも多い各種パーツ、1回の事故による人的金銭的被害の大きさを持ち合わせています。
墜落、もしくは離着陸の失敗により自動車事故よりも大きな損失を被ります。
日本で有名なのは1994年、名古屋空港で起きた中華航空140便墜落事故でしょう。

この事故を簡単に紹介します。
事故は中華航空(現・チャイナエアライン)140便・エアバスA300、台湾から出発し名古屋空港へ着陸進入中に発生し同空港内に墜落。
犠牲者は264名、日本の航空機事故としては1985年の日本航空123便事故に次ぐ非常に多くの人名が失われました。
一番の原因は副操縦士が誤ってゴーレバー(着陸やり直しを機能させるレバー)に触れたことです。
機体は着陸進入中にもかかわらずコンピュータは着陸やり直しを機能させ、高度を上げるために機首を大きく上げ失速し墜落しました。
機長と副操縦士の能力不足の面も大きかったのですが、要因の一つとしてスロットルレバーとゴーレバーが非常に近くにあったのも挙げられます。
着陸やり直しはコンピュータが制御するため、人間の判断とコンピュータの判断で食い違いが生まれます。
簡単に言うとブレーキを踏んでいるのにアクセルが開けられて加速し、人間はパニックに陥るという具合でしょうか。

エアバスはそれ以前から改善支持を行っていましたが中華航空はこれをせず、4年後にはこの事故と非常に似たチャイナエアライン676便墜落事故を起こしています。

コンピュータに助けられた人間

しかし自動運転システムにも功罪があります。
先の事故が罪とすれば、この事故は功に値します。

USエアウェイズ1549便・エアバスA320はニューヨーク・ラガーディア空港を発ちシアトルに向かうところでした。
ところが離陸直後、カナダガンの群れが左右両方のエンジンに激突、所謂バードストライクによりエンジンは機能を完全に失います。
航空機の電力はエンジンから供給されますが、APU(補助動力装置)からも最低限の電力を供給されます。
離陸直後のため高度が足りず、またエンジン出力も高い状態だったためコクピットは空港への着陸を断念、ニューヨークに流れるハドソン川に着水することを決意します。

電力が確保されコンピュータも機能し、パイロットはある程度の操作をコンピュータに任せて自身は着水への操縦に集中します。
結果、同機はハドソン川に着水。
迅速な救助活動もあり、犠牲者ゼロでコクピットは窮地を乗り越えました。

コクピットの判断、コンピュータの補助と迅速な救援活動が組み重なり、この事故は奇跡と讃えられ、後に「ハドソン川の奇跡」という映画にもなりました。

血で書かれた航空機マニュアル

ここでは2つの事例を挙げました。
一つは功罪の罪、もう一つは功罪の功。
しかしそれ以外にも航空機事故は数多く発生しています。

航空機事故は一度で非常に多くの犠牲を払うため、事故調査は大変丁寧になされます。
エールフランス447便墜落事故では4年、ボーイング737での「方向舵のパワー・コントロール・ユニットの不具合」が判明するまでに10年も費やしています。
この不具合により2件の墜落と1件の重大インシデントが発生し、多くの人命を犠牲にしています。

航空機の自動運転システム、オートパイロットは非常に長い歴史を歩んでいます。
オートパイロットが実用化されたのは1930年代、80年以上の積み重ねがあります。
船舶も同様です。

では何故、これほど歴史が深いのか。

陸地ほど不確定要素が少ないから
ということでしょう。

空や海には歩行者も居なければ建造物もありません。
ボールを追いかける子どももいませんし、右折時に飛び出してくるバイクもいません。

空の混雑という言葉もありまずが、実際は1000ft(約300m)の間隔が保証されています。
空中衝突も決して無いわけではなく、日本では民間機と自衛隊機による全日空機雫石衝突事故が発生していますし、世界を見ても数多く発生しています。
また技術が進歩した21世紀以降でさえも4件の大きな空中衝突事故が発生しています。

これらにほぼ共通するのが管制システムの情報混雑。

つまり、空の混雑は空自体が混雑しているのではなく、管制システムが混雑しているのです。

自動車の自動運転システムに降り注ぐ不確定要素

さて、舞台を航空機から自動車に戻しましょう。

自動車は勿論、陸地を走行します。
他車や歩行者、路面状態など非常に多くの不確定要素をはらんでいます。

例えば航空機レベルの完成度が非常に高い自動運転システムが開発されたとしましょう。
走る、曲がる、止まるの全てをコンピュータに委ねられるレベルです。
ドライバーは食事も取れますし、本も読むこともできます。
その中で、とあるイレギュラーなアクシデントが起きるとしましょう。
それをタイアのバーストとしましょう。

タイアがバーストすれば挙動は一瞬で不安定になります。
ドライバーは本を読んでいます。
さて、このイレギュラーなアクシデントにドライバーは反応し、適切な判断ができるでしょうか。
もしかしたら自動運転が瞬時に対応してくれる「かも」しれません。

なぜ「かも」なのか。
陸地には非常に多くの不確定要素をはらんでいるからです。

この状態の最良と最悪のシチュエーションを用意しましょう。
時間帯はGW中の早朝の一番空いている時間。
時速は40km/h、自動車はFF車、アクシデントは左フロントタイアの突然のバーストです。
区間は片側4車線、札幌で例えるならR36の豊平橋から札幌ドームを抜けるまで。
東京ならばR15の品川駅前から京急蒲田駅くらいまでとしましょう。
車線は第3車線(路肩から3番目)、ドライバーは読書に夢中です。

○最良のシチュエーション
 ・歩行者及び他車はいない
 ・路面は完全に乾いている
 ・天候は快晴
ここでアクシデントが発生します。
自動運転システムは完全に機能し、事故を未然に防いでくれることでしょう。

○最良のシチュエーション
 ・歩行者及び他車はいない
 ・路面は完全に乾いている
 ・天候は快晴
ここでアクシデントが発生します。
自動運転システムは完全に機能し、事故を未然に防いでくれることでしょう。

○最悪のシチュエーション
 ・歩行者及び他車は多数
 ・路面はアイスバーン
 ・天候は吹雪
ここでアクシデントが発生します。
果たして自動運転システムは完全に機能し、事故を未然に防いでくれることでしょうか。
答えはYES「かも」しれませんしNO「かも」しれません。

つまり、ここで不確定要素が重なります。

他車や歩行者はアクシデントを察知してくれる「かも」しれませんし、察知してくれない「かも」しれませんし、自動運転システムは完全に機能しない「かも」しれません。
ガードレールに衝突するだけで済む「かも」しれませんし、歩行者の列に突っ込む「かも」しれませんし、対向車と衝突する「かも」しれません。

責任の所在

自動運転システムを搭載した自動車が事故を起こした場合、責任の所在は誰になるのでしょうか。
とっさの判断ができないドライバーか、システムを開発したメーカーか。

ほとんどの交通事故はドライバーに起因しています。
アクセルとブレーキの踏み間違い然り、右直事故の双方の見落とし然り、飲酒や薬物、運転経験の乏しさもしくは老化による判断ミスなど。

メーカーによる事故も少ないでしょうがあります。
その場合、メーカーは直ちにリコールし、無償で問題箇所を修理する必要があります。
しかし莫大な費用がかかるため、リコール隠しという事例もあります。

有名な事件だと「三菱自動車リコール隠し事件」ですね。
このリコール隠しにより死亡事故が2件発生し、三菱自動車の信用はは失墜。
さらに燃費測定の不正問題も起き、名門のスリーダイアモンドの一角であった三菱自動車は日産自動車の傘下に入ることになりました。

通常、軽微な自動車事故は警察が事故検証をし、それを元に民間の自動車保険会社が損失の割合を計算します。
勿論、重大な自動車事故は送検されて検察がより詳しく調査し、司法の判断を待つこととなります。

なので現状は「殆どの自動車事故は保険会社が判断し、稀に司法が判断し解決する」ということです。

ここに新たに「自動運転システム」という要因が入るとしましょう。
現状よりも解決に至るプロセスが複雑になることは明白です。
それは果たして、今よりも便利な時代と言えるでしょうか。

1トン以上の物体を動かす責任と義務

忘れがちかもしれませんが、自動車を運転するということは「1トン以上の物体を動かす責任と義務」を背負ってはじめてなされることです。

もう20年ほど前ですか、R15の品川駅前で全損事故を起こしたことがあります。
所謂、右直事故であり私は直進車でした。
相手は反対車線から、信号のない中央分離帯の切れ目を急にUターン、とっさの判断も間に合わず衝突しました。
双方、大きな怪我はありませんでしたがそれなりの司法の判断がありました。

運転していた日産・サニーのエンジン部は半分ほどに潰れ、シートベルトをしていなければ私は今、こうして文章を書いていないでしょう。
それほどのエネルギーをもって、自動車は走るのです。
非常に大きなエネルギーです。

かつて日本は「交通戦争」の状態にあり1988年には年間交通事故死亡者数は1万人を越えました。
近年では自動車の安全化や罰則の強化などにより、年間交通事故死亡者数は4000人を切るレベルになりました。
それでも交通死亡事故は3000回以上、1日平均10人は亡くなっています。

どれだけ安全性が高められても、1トン以上の物体を動かす運動エネルギーは決して変わりません。
未来永劫、不変です。
繰り返しになりますが、自動車を運転するということは「1トン以上の物体を動かす責任と義務」を背負ってはじめてなされることです。

自動運転システムは銀の弾ではない

自動車の自動運転システムはドライバーにとって、非常に有利で頼もしい味方になることでしょう。
ABSやクルージングモードはドライバーの負担を軽減させ、運転による疲れを少なくさせます。

衝突被害軽減ブレーキ(アイサイト・スマートアシストなどの名称)も日本では乗車定員10人以上の新車のバス(路線バスを除く)に搭載の義務があります。
スバルのアイサイトでは自社発表によると、搭載車の事故件数は非搭載車の6割減、追突事故にいたっては8割減されているそうです。
参照:https://response.jp/article/2016/01/26/268553.html

しかし、未だ4割は搭載車であっても事故は起きているということです。
新しい技術ということもあり成熟はこれからでしょうが、完全に交通事故がゼロになることは無いでしょう。

なぜなら、不確定要素が多すぎるからです。
それを解決するには綿密な事故調査が必要となります。
何が原因で、どうすれば回避できたのか、どこを改善すればよいのか。
現状の警察による事故検証では到底及ばない領域になるのではないでしょうか。

先の項の見出し「血で書かれた航空機マニュアル」とありますが、自動車の自動運転システムの改善もそうあるべきでしょうか。
答えは否です。
航空機事故よりも自動車交通事故は発生割合が非常に高く、必要となる血の量があまりにも多いからです。

技術の発展のために人命を危機にさらしては決してなりません。

航空機パイロットは非常に高度な訓練を受け、健康でなければ操縦桿を握ることは許されません。
最近ではJALとANAともにパイロットがアルコール検知を通過できなかった事例もあります。

オートパイロット機能が自動車の自動運転システムよりも成熟していて、それ以上に安全策としてパイロットの健康状態も重要視しているのです。
「血で書かれた航空機マニュアル」を持ってしまっている以上は。

自動車はどうでしょう。

例えば「より安全な」自動運転システムが完成しました、ドライバーは酔っても眠ってもいいとしましょう。
万が一、事故が起きた場合、ドライバーに責任はないのでしょうか。
被害者の怒りの矛先はどこになるのでしょうか。
加害者の反省はどうなされるべきでしょうか。

自動車を動かすことは「1トン以上の物体を動かす責任と義務」を背負ってはじめてなされることであり、その運動エネルギーに対して最終的な判断を下すのがドライバーの役目だと私は考えます。

つまり、自動車の自動運転システムはあくまでも「ドライバーの運転動作の負荷軽減」のために存在するのだと。

コンピュータは進化の一方でバグとの戦いの面もあります。
バグが全く無いコンピュータはこの世には存在しません。
世の中の事象に絶対はありません。
森羅万象、何か欠けて存在します。

冒頭でも述べた「自動運転システムは多少の効果は望めるが、言うほどではない」というのは「1トン以上の物体を動かす責任と義務を背負ってはじめてなされること、それが自動車の運転」に直結します。

今、私は自動車を持っていませんが運転前には最低限タイアのチェックは行います。
時間がある時にはボンネットを開け、エンジンルームのチェックもします。
シート合わせも重要です。
よく見る「シートを思い切り下げ、寝そべるような体勢での運転」は愚の骨頂です。
自分が一番リラックスと緊張感を維持し、快適かつ安全に運転できる位置に調節します。
JAFに日常点検チェック表がありますので、是非活用してみてください。
参照:http://www.jaf.or.jp/eco-safety/check/daily_check/index.htm

果たせる責任と義務は自分で果たそう

さて、長々と書いてきましたが。
自動車の運転は楽しいものです。
好きな時に好きな場所へ、自分の肉体ではなし得ない運動エネルギーを制御して行けるのですから。

そのためには責任と義務を果たす必要があります。
それを自動運転システムはある程度受け持ってくれますが、全てではありません。
ドライバーがそれらを最終的に果たすのです。

交通事故のニュースを多く見るようになってから久しいですが、恐らくですが「重大な交通事故が減ったから数少ない重大事故を大きく取り上げる」からではないでしょうか。

今から24年前の8月の終わり、高校3年生の夏休みの終わり。
飲酒運転の自動車に撥ねられて同級生2名が亡くなりました。
千葉県の外房、最後の夏休み、思い出づくり。
非常に痛ましく、また人生で初めて見た「遺体」でありました。

また、実家が居酒屋を始めて間もなく、昭和通り沿いに店が在ったのですが眼の前の交差点は死亡事故が多発する場所でした。
すぐに現場に行きましたが、運転手はパニック状態で車を動かしてしまい、人の頭がタイアの下に入ってしまった瞬間を見ました。
この事故で恐らく高校生でしょうが、2名が亡くなりました。

しかし、これらの事故は大きく取り上げられませんでした。
同級生の事故も読売新聞の夕刊の3面記事の片隅に書かれた程度でした。

これが今ならば…取り上げられたかもしれません。

今はこういう事故が起こる度に加害者への「私刑」がなされます。
Web時代の負の面と言えるでしょう。
もっと重要なのは「ドライバーは何をすべきか、各々が真剣に考える」ことではないでしょうか。
かつての頃より安全な時代になりました。
これからはより安全な時代になることでしょう。
だからこそ、1トン以上の物体を動かす責任と義務を忘れてはならない!

交通事故はいつ当事者になるかわかりません。
自動運転システムはあくまでも補助です。
ドライバーの安全意識がより高まることを願ってやみません。