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私は人生で三度、初対面の人と寝た。

私は人生で三度、初対面の人と寝た。

1.

 一度目は17歳の12月。鬱になり、引きこもり、高校を退学してすぐだった。何もかもがどうでも良くて、どうせ死ぬならこの余所行きの純潔を守り抜く必要も無いと思った。帰りの駅で、死のうと思っていた。

 当日、私は街中に溢れかえる"淡色女子"に紛れ込むべく、お湯を注ぐだけのインスタントコーヒーのような、ベージュとブラウンの服を選んだ。
 本当はオールブラックコーデの左手にシルバーリングを2つあしらうような服装が好きだけれど、今から死ぬ人間にそんなささやかな個性は必要ないと思った。
 人の記憶に残してもらうなら、ちゃんと意味を持って生きている姿が良かった。そもそもたった一度会って寝るだけの相手に、自分の姿を鮮明に記憶してもらいたいとも思わなかった。 
 インスタントコーヒーのあの手軽さと可も不可もない味。男から見た私が、まさにそんな感じなのかなと思った。
 数時間後、呆気なく事を終えて帰路に着いた。でも、いざ駅のホームに立ってみると足がすくんだ。非通知設定にしている母親から「今日の晩御飯は麻婆豆腐」なんてLINEが来ていて、なんとなく死ねなくて、なんとなく家に帰った。
 帰宅後、とあるツールでハメ撮りが拡散されていた。運営に通報して、消してもらった。

2.

 二度目はそれから2週間後。
 鬱には波があって、私は一度目からの2週間で希死念慮よりも孤独を拗らせていた。人の温もりが恋しかった。

 二度目の人とは、3回会った。
 1回は寝て、もう1回は一緒にゲームを、そして最後の1回は別れ話をした。穏やかで、温かくて、優しい時間だった。
 すぐ隣に人がいること、手を伸ばせばその人に触れられること。優しく頭を撫でてもらえること。会いたいと言っても拒絶されないこと。嬉しくてたまらなかった。
ずっとこの関係で居たかった。

 その人と3回目の約束をした3日後は、17歳の大晦日だった。私はその日、引きこもりから抜け出して大学を受験することを決めた。同時に、このお世辞にも綺麗とは言えない生活とも決別することにした。
 大学受験を機に遠くに引っ越すからもう会えないと、嘘をついた。週末や長期休みだけでも、時々でもいいから会えないかと懇願された。

 自分なんかをここまで必要としてくれる人がいるんだと、嬉しいと同時に寂しかった。

 この人とは、お別れしたくなかった。

 でも、大学生になるのだから、社会復帰するのだから、綺麗な自分にならないといけないと思った。
 「もう会えません。今まで素敵な時間をありがとうございました」と言うと、「出会い方もやってたこともあまり綺麗じゃないけど、でも会えてよかった。こんな綺麗な友達になれるんだってびっくりした。またいつか会おうね」と返された。

 これ以上話したら絶対にお別れ出来ないと思って、その日彼と駅で別れてすぐ、そのまま連絡先を消した。

 彼とはそれ以来、会うことも話すこともせず、私は無事受験を乗り越え大学生になった。

3.

 大学生になった私は、しばらくはすごくまともに、真面目に、社会生活を楽しんでいた。少ないながらも友人に恵まれ、好きな科目を受講し、自分が本当に着たい服を着て過ごした。2人目の彼と別れた時の決意を、ちゃんとまだ固く握りしめていた。
 それが私の手から滑り落ちたのは、大学で出来た友人にホテルに連れ込まれそうになった時だった。改心して真っ当に生きているつもりでも、私みたいにどうしようも無い人間はそういうものからは逃れられないらしかった。
 頭の悪い私は、肉体関係には人それぞれ溶解度があって、それを初めから飽和させておけば良いと考えた。要は、端からそういう目的のためだけに付き合う人間を予め用意しておこうとしたのだ。良い友人だと思っていた人から下心をぶつけられることに、私は疲弊していた。すれ違う度に挨拶を交わし、そのうち食事を共にし、2人きりで出かける。じりじりと距離を詰め、こちらが心を許したと分かった途端一思いに食い物にされる。そんな面倒なことはもう御免だった。どうせ目的が同じなら、過程なんかすっ飛ばしてはやく本題に入って欲しい。この人は私の中身まで理解しようとしてくれるかもしれないなんて、期待させないで欲しい。
 どうせ人と肉体関係を持つなら、少しでも自分に何かが還元される方法が良い。それが精神的な充足であれ、肉体的な快楽であれ、何でも良かった。私は、自分の身体への対価にお金を選んだ。いちばん冷酷で、いちばん明確だから。相手に対して少しでも情が芽生えたら、またやめられなくなると思った。辛い別れはもう嫌だった。

 一度決めたら後が早いのは私の良いところで、同時に悪いところでもあった。数日の間に、私は適当な相手を見つけて約束を取り付けた。
 当日、私は藍色のワンピースを着て、髪に小さなガラスの飾りをつけて待ち合わせ場所に向かった。ただ淹れただけのインスタントコーヒーに高いお金を出す人なんていないことは、よく分かっていたから。余程目の肥えた人間でなければ、原価よりも見栄えを気にする。

 電話でビルの下に呼び出され、少し待つと男がこちらに向かって歩いてきた。ノコノコとやってきた獲物を逃すまいと、男は私の髪のハネから服のシワまでありとあらゆるものを褒めちぎった。なんでお金が欲しいのと訊かれ、私は家族からの解放が目的だと答えた。男は、歓楽街への最短ルートを急ぎながら「可哀想に。僕が助けてあげるからね」と言った。

 結果的に、私はあまり丁寧には扱われなかった。愚かな私への、当然の報いだ。やめて欲しいと言ったことを、全てされた。想定しうる最悪の事態に陥った。
 深刻な事態であることは本能的にわかっていても、それが物理的な反応として出てくることはなかった。汗もかかなければ、涙も出なかった。「今度こそ死に時かな、『いざ』という時が来たのかな」なんて呑気なことを考えていた。
 受け取ったばかりの"お小遣い"を手に病院へ向かった。淡々と薬の説明をするお姉さんのおでこは真っ白で、まつ毛は完璧なCカールで、馬鹿で汚い自分が益々惨めに思えた。成功率50%・¥5,000/78%~90%・¥9,000 /99%・¥18,900 と数字が並ぶ中で、私は真ん中のものを選んだ。こんな時まで命より合理性を採る自分が馬鹿馬鹿しくて、でも、結局私ってこういう人間なんだよな、とも思って、妙にスッキリした感覚と納得に笑いながら病院を後にした。

 薬は無事お役目を果たし、私は今こうしてこれを書いている。
 正直今回でだいぶ懲りたけれど、もうやらないとは言い切れない。色々なことを経験した末に自分がどんな人間なのかは少しずつ分かっても、自分が真に何をしたいのかは全く分からない。分からないし、"分からない問題"があると答えを知りたくなってしまう。

 やりたいことを見つけさせてくれるのは経験した物事の数なのか、生きた時間なのか。
 毎日死にたくて堪らなくて、事ある毎に「いざとなったら死ねばいい」と思いながら死を救いにして、薬に頼りながら仕方なく生きている。
 それなのに、生きているとどんどん知りたいことが増えてしまう。

 生き地獄とはよく言ったものだ。これが地獄か。私はいつまで地獄にいれば良いのか。生きていながらも生への未練を完全に断つにはどうしたら良いのか。それを知るためにも生きて色々なものを見、聞き、経験しないといけないのか。

 生きるということにはキリがない。
 とりあえず、最近気になっている喫茶店を訪ねるまで、生きていようと思う。

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