豊かな孤独

終わった。何とか仕事が納まった。

のんびりとお風呂に入ったあと、好きな音楽をかけ、ハイボールで晩酌しながらパソコンをカタカタいじっている時間はまさしく至福。

営業という極端に人と触れ合う仕事にひたすら従事している反動なのか、ひとりの時間がより一層好きになった。ほどよい孤独が心地よい。

この適度な孤独はこれからも大事にしていきたいと思う。

もちろん、ずっとひとりでいるのはさみしいので、基本的には人と交流していたい。ただ、何かを生み出したり、人生を楽しくする最初の火種は、孤独からしか生まれないと思うのだ。

人と遊んだり、相談したり、チームを組んだりすることで、面白いアイディアが思いついたり、物事がいい方向に進むことは間違いなくある。だけど、それはきっと、「ひとりの時間」に生まれたそれぞれの火種がうまくお互いに作用しあって大きな灯火になっているのだと思う。心に火種を灯してなければ、その場の雰囲気は楽しくても、きっとそこからは何も生まれない。

特に社会人になってから仲良くできている人は皆、私と同様にひとりの時間を楽しめるような人が多い気がする。適度な孤独を抱えている人の方が、自分なりの考えを持っていたり、何かに挑戦していたりして、一緒に話していても面白い。

逆に、そうやってコミュニケーションが取れる相手がいるからこそ、孤独を楽しめるのかもしれない。話し相手すらいない本当の孤独は多分相当しんどい。

そう考えると、もしかしたら、孤独を楽しめるというのは、贅沢とも言えるのかもしれない。自分が黙々と考えたことをぶつけられる相手がいるというのはとても幸せなことだ。そんな人がいると安心できるからこそ、思う存分孤独を味わえるのだ。

現代における最大の贅沢は、そんな「豊かな孤独」のことを指すのかもしれない。


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