季節の巡りと性格の関係性

あっという間に今年も終わる。

あと二日で仕事納めだ。そのあとは冬休みに入り、年を越し、正月に入り、また日常が始まる。

クリスマス、年越し、正月といったイベントが続くと「またこの時期がきたな」と、少し飽きたような感覚になる。

もっと言うと、この季節の巡り方にも飽きてきた。春夏秋冬を何回繰り返すのだろう。たまには、夏、秋、夏、冬、みたいなフェイントをかけてくる世界も刺激的でおもしろい気がする。

季節が読めないということは、何事も予測がつかなすぎて人間社会どころか生態系が破綻しそうだが。

ただ、日本人の思い切りのなさというか、悪い意味で計画を気にしすぎる気質みたいなものは、この順序だった季節の巡り方にも関係している気がする。

いくら夏の時期が楽しくて能天気に過ごしていても、みるみるうちに寒くなり、必ず冬が来ることを誰もが覚えていく。短パンでは冬が越せないことを小学四年生くらいには誰もが気づくのだ。心意気ではどうにもならない自然環境の力には抗えない。

そうして、私たちは長ズボンをはく、セーターを着る、マフラーを巻くという「生きる術」を身に着ける。夏がいくら暑くたって、タンスの中では冬服がちゃんと畳んであるのだ。季節が変わることを知っているから、そこに抗うことはしなくなる。繰り返しの一年を受け入れるようになる。

同様に、熱帯地域の常夏の国に住む人々の国民性が、どこか能天気で明るい気質なのも季節の巡り方が鍵なのかもしれない。一年中夏しかない環境だ。単純に気温が高くて活動的になりやすいという身体的な面だけでなく、「冬をおそれる必要がない」という精神的な面からも、そのあっぴろげな気質は育まれるのだろう。夏しかないので、用意するのは短パンだけで十分だ。冬に備える必要もない。


楽しく生きるには、繰り返しの季節をそのまま受け入れて、それぞれの時期を精一杯楽しむことを考えるか、過ごす環境そのものを変えるしかないのかもしれない。

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