何のために学校にいくのか
工場と学校はよく似ている。
営業先が製造業の工場ということもあり、色んな工場に足を運んでいるが、行けば行くほどそう感じることが多くなってきた。
工場の中にグラウンドがあったり、購買があったり、教室(会議室)があったり、部室(部署ごとの部屋)があったりといった設備の部分だけではない。
私たちが学校で良しとされてきた概念、文化、道徳は、そのまま工場で働く上で良しとされることだった。
廊下を走らない⇨機械にぶつかって危ない
規則を守る⇨製造ラインで勝手なことしたら危険
個性はいらない⇨決められた規格で正しい製品を製造することが正義。個人で余計なセンスみたいなものを出されたら工程が破綻する。
時間を守る、遅刻しない⇨決められた納期までに製品を完成させて納入する。
五教科満遍なく成績をとるのが優等生⇨別の製造ラインに業務転換した途端仕事ができなくなったら使い物にならない。何かに特化したスキルより、どんなことでもそつなくそれなりにこなせる要領のよさの方が大事。
これは別に間違ったことではない。この製造業と学校教育が一体となった社会システムで日本は一世を風靡していた時代もあるのだ。
高品質の自動車や家電を量産する製造ラインの安定感だけでなく、最終製品を組み上げる親会社を中心とした下請け、孫請け、関連会社のサプライチェーンの強さは世界にも類を見ない。
これは「均一化された教育」を誰もが同じように受けてきたが故の強さだったのだろう。こうあるべき、という「正解みたいなもの」を日本中の誰もが共有していた。
ただなんとなく寂しく思った。
「ああ、僕たちは家電や自動車を作るために学校に行っていたのか」
学生時代は、一歩踏み外したら結構ハードな環境だと思う。
決められたカリキュラムに文句ひとつ言えず「従う」以外の選択肢がなかったり、人間関係がこじれたら人生が終わってしまうという感覚も抱きかねない。
だから何なのか、教育を変えていくべきなのか、と言われたら正直よくわからないし、今の自分に何かできるとは思わない。
ただ、もし今学校で、周りとうまく馴染めない、成績も良くない、といったことで悩んでいる人がいるならば、こう伝えたい。
「今の時代は車と家電作る以外にも仕事がいっぱいあるから大丈夫!」
今の学校教育は戦後から全くといっていいほど進歩しておらず、間違いなく時代についていけていない。
逆を言えばその学校に馴染めていない君の方が時流に乗っているともいえる。学校が君に追いついていないのだ。
工場教育、超えていこう。
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