見出し画像

なんかいいコスプレ大会とは?

プロゲーマーの梅原大吾氏(以降ウメさん)が主催する、DaigotheBeasTVという配信番組がある。この配信番組をボクはもう何年もみているが、なんかいいコスプレ大会はこれまでの配信コンテンツの中で、最もすばらしかったと思う。

今日はこの企画を振りかえるとともに、コミュニティについても言及していきたい。


なんかいいコスプレ大会。この言葉が現れたとき、すでにボクらの(つまりファンの)間では、雰囲気はあったように思う。何かうまくいきそうな、神回がやってきそうな、なんかそんな雰囲気が。

実際この言葉は「なんかいい」というウメさんの言葉から始まり、数日前にそれがコスプレ大会として結実したわけだが、この「なんかいい」には、じつはすべてのコミュニティが考えるべき要素がつまっているように思える。

まず前提としてだが、DaigotheBeasTVは格闘ゲームの配信番組である。基本的には格闘ゲームの初・中級者講座であるとか、大会後の振りかえりであるとか、そのようなことを配信している。

しかし今回のなんかいいコスプレ大会では、格闘ゲームすら行われなかった。コスプレをしてきたいつもの配信番組メンバーが、動画配信のファンのひとたちと、ジェンガや黒髭危機一髪をやる映像を三時間以上も流し続けたのだ。

これは文字にしてみると、何が面白いのかわからないと思う。が、めちゃくちゃ面白かった。なんでこんなに面白いことが起こりうるのか、ここではそれを考察してゆく。


数日前のことだが、某ほにゃららTVで、格闘ゲームのドラフトチーム戦みたいなものをみた。実際はまだ闘いは始まっておらず、ドラフトの様子だけが配信されたわけだが、ボクがこの配信動画を見ていて思ったのは、つまらなそう、というものだった(あくまで個人的意見です。それに対戦が始まったら面白くなるかも)。

そしてなぜこんなにつまらなそうなのかと考えてみると、そこに現代社会が普遍的に抱える、労働の意識が見え隠れするからだということに気づいた。

この某番組はセットにお金をかけ、コマドリみたいに美しいアナウンサーを用意し、盛り上げる力のあるメインMCを用意していた。画面もパシパシ切り替わり、もちろんADの後頭部が画角の中に入ったりはしない。そこでは世に言われるプロフェッショナルな仕事が恐らく行われていた。

そしてボクはこちら側で気づくのだが、「だからこそつまらない」のだ。

つまるところ、この番組を制作している人間が考えているのは、自分の仕事に文句はつけさせない、ということだろう。彼らがもし自分が任されている領域でミスが起きた場合、かならずそれを指摘する人間が社内(もしくは関係者)にいる。

世に言うマウント行為みたいなものがこの番組を制作する全員の頭に刷り込まれているので、だからなんだか緊張感に満ちている。「いつ文句をつけられるか、わかったもんじゃない」そんな雰囲気だ。

思うに、近年の公的な番組がつまらない理由は、この行きすぎた真面目さが、飽和しきっているという点にあると思う。

いや。それは番組だけに限らず、どのような仕事においても、この過度な真面目さからの突き合いみたいなものが飽和している。「こっちはこう言った」「いや言ってない」「いやたしかに言った」なんて言葉の往還がみなさんのまわりでも起きているだろう。

日本人の国民性なのかは知らないが、とにかく仕事となると、みんなこのてのイチャモンと格闘しているようにみえる。そして知らず知らずのうちに体が緊張するようになり、「会社・職場に行く」=「緊張を強いられる行為」、ゆえに「仕事」=「いやなこと」という風になるわけだ。

そして賃金をもらうために厭々ながらやっているクルーが制作した番組はもちろんそのクルーの精神性が満ちたできになるため、見ている側は「ん?」という違和感を持つことになるのかもしれない。

つまりこういうことだ。テレビ番組制作が愉しかったのは、恐らく黎明期の段階だろう。まだどうやってやればいいのかわからず、みんなが彼方此方(あちこち)でミスをする。それはもうミスの連続につぐ連続で、目も当てられない。

いや、実際のところ、目は当てられないわけではない。じつは人間社会というのはファジーさの塊だから、それはむしろ普通なのだ。ごくごく普通のこと。だから古い番組には独特の柔らかさとアットホームさがあり、それが見ている側を安心させていたのではないだろうか。

それがもうテレビ番組を作れることが当たりまえになると、より確度を上げようとする。

つまりボクら(30後半~20後半)は確度世代だ。確度を上げることだけに終始し、ミスを指摘されつづける世代。そして気づけば相手のミスをおたがいに指摘し合う螺旋の中に取りこまれている。

え? 働くって、そういうことなんだっけ?
……。


話は「なんかいいコスプレ大会」に戻る。冒頭でも述べたが、これはプロゲーマーのウメさんや、ふ~どさん、ハンサム折笠(彼は運営が仕事かな?)さんの手作りの番組だ。

ADのひとも画角にめっちゃ入るし、最後には一緒に出演者と写真を撮ってウェーイ。


画像1


ボクはこのような仕事の仕方こそが、人間存在にとっての正しい仕事の仕方だと思う。べつに誰も誰かのことを責めない。配信に隙間があったり、ADさんが画角に入ったり、途中でどうやって番組を進めていくか会議する様子も配信する。

それは手探りで番組をつくる行為で、誰の検閲も入っていない。監査機関もない。評価機関もない。ただ愉しんでいるだけのなじみの出演者。同時通訳しているアンドリューくん。一緒にみているコメント欄のみんな。全員が会ったこともないけど紛れもなく友だちだ。

だからこそ、なんかいいコスプレ大会は、見ていて心から愉しいと思う。そこにはひとを思いやる気持ちとか、人間本来のファジーさとか、そうしたものが許容されている。だってこれは仕事じゃない。なんかいいコスプレ大会なんだから


近年、オンライン・サロンというのがでてきた。ボクの仮説はまだ推論を積み重ねている途中だが、これは仕事観の再構築につながるはずだ。

ミスを指摘する、確度を上げる、なんて意味不明の概念はもう時代遅れだ。その能力はAIの方が圧倒的に高いのだから、人間は本来のファジーさの再獲得・再インストールに向かう。

弱いリーダーが「リーダー2.0」だといわれているのも、そう考えると納得がいく。

というわけで、確度をインストールされてきたボクら世代から、逆襲の旗が上がる。真面目は終わり、新しい時代が始まる。それは戦後に何もないところから物をつくってきたひとたちが得ていた生きる歓びを、ボクらが取りもどすという行為だ

たぶん時代はこれからいちばん面白くなる。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?