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「西の旅」企画展、徳田秋聲記念館にて

「もしも、住むとしたらどこに住む?」

この問いに対して皆さんであれば、どう返されますか?

6月に金沢を訪れました。こちらは本来の目的の場所ではなかったのですが、友人のおかげで大変時間の余裕ができたので徳田秋聲記念館に寄らせて頂きました。訪れた時は「西の旅」という企画展が開催されていました。メインは室生犀星についてを知りたくて、行きました。ただ、同郷金沢の文学者であり庭いじりが趣味という友人であり、全くの無関係という訳ではなさそうのようでした。企画のメインが「旅」だったのもかなり惹かれるものがありました。文学に携わる人の旅の考え方とはどういうものだったのか、気になりました。

秋聲の作風としては、彼が作った小説は秋聲が関わった女性がモデルになって出来事をほぼそのまま小説にしているようです。秋聲は金沢の文学者のなかでもあまり知られていないようです。私も文アルで登場するまでは名前さえ知りませんでした。これをきっかけに「あらくれ」を読んだ事があります。今でこそ自分の意見をぶつける、意思を通す女性像というのは言うほど珍しい題材ではないですが、当時にしてはかなり異色の小説だったのではなかろうかと思わされたのが記憶に新しいです。主旨はズレますがシェイクスピア戯曲「じゃじゃ馬ならし」でかなり気が強い女性が描かれていたような気がします。

旅行観

徳田秋聲は「旅行欲がない」「旅行家ではない」「殆ど旅行を為たことがない」と言いました。ですが、その生涯を見返してみるとそんなこともないようです。行きたいけど、家庭があるから考えると面倒だからと億劫になってやる気がでなかったようです。とは言え、友人に、仕事に、親族に呼ばれたらと受動的な事に関しては、方々に出かけていたようです。
わりと消極的な方な印象が受けられますね。随筆「旅行慾」も家にいるのがいいというのを肯定する内容の記事がありました。

周囲が煩くなったとき、私はいつでも人と懸離れた自然を懐ひます。それでなくとも、ふとした雲の布置(たたずまい)や、徹夜した明方の空の色など見て、埃(ごみ)ぶかい山道や、萎えきつた森林や、人いきれのする避暑地の町などが目に浮かんできて、そんな処へ行つて苦しむよりか、家にゐて昼寝をしてゐた方が、適意であるやうな気がします。

随筆「旅行慾」
人いきれのする=人が多く集まっていて、体から出る熱気やにおいでむんむんすること。

庭いじりが趣味でもあった彼にとっての一番の安全地帯で居心地のいい場所は「家」だったからこそのそう思ったのかもしれません。
館内にあった書斎の部屋や庭を見ると、徳田秋聲は結構綺麗好きでシンプルで実用的な物を好んでいたことが伺えます。「埃(ごみ)ぶかい山道や、萎えきつた森林や、人いきれのする避暑地の町などが」という表現から多分、一人でいるほうが好ましかったのかもしれません。
余談ですが、秋聲は犀星に歯朶(しだ)と叡山苔(えいざんごけ)を強請って、昭和3年に歯朶は軽井沢の別荘から、苔は矢竹とともに田端の自宅から株分けされ、徳田家でも元気に育っているようです。

晩年の旅行観についても随筆「病床より」にて、このように書かれています。この作品はタイトル通り病床に就きながら口述筆記によって残された最後の随筆、とのことです。

余り旅行好きでもなかつた私が、不思議に或る因縁かな時々旅に出る事になつてしまつた。
(中略)
去年の夏は北海道まで、遠征したり、またその二月には古里の雪を見に郷里のはうへ行つたり、それからその先年の五月には、伊勢の内宮外宮からずつと紀州のはうへ出て、熊野神社だとか瀞八丁、那智滝、勝浦、白浜の温泉だとか、それから大阪へ出て大阪城を見るとか、これはまったく名所古跡巡りのやうな旅であつた。

随筆「病床より」

結構巡り回っているなって思いました。その後には宗教に根差した大衆的な旅行であって、孤独な旅だったらそこにはいかないであろうと行きはしたけどもという感じで述べられています。普通であったらそうなのかもしれません。この随筆は、太平洋戦時下に書かれています。だから普段とは違う行動に出たことを綴っているように思われます。

ところがかういう時局になると、日々私らは閑散になつてしまふ。戦争といふものが非常に頭にひつ掛かつてゐながら、どうも体は何もすることがない、退屈になつてくる、さういう妙な環境に私達はおかれがちである。それで普段はあまり関心のない山だとか川だとか、名所旧跡に相当興味を惹くようになつた。これは全く隠居気分のやうなものである。

随筆「病床より」

これはある意味で課題そのもののような記録です。戦時下という、特殊な環境下で行動の範囲が狭められ窮屈と感じた、何もできないから退屈で「何か」をしたいとも思った、その刺激のための手段が偶々「旅」だったように思われます。もちろん、危険な場所から離れるのも大事だと思います。ただ、この秋聲のあちこちへ行くのはどちらかと言えば前記の方のがしっくりきます。

皆さんであれば、行動範囲が縮小した、退屈になった、となったらどうこれらをどう受け止めて、どう対処しますか?
私自身も自分にこの質問をしながら整頓を心がけるようにしています。

旅のこだわり

私は汽車は等級を撤廃して全部この式(簡易なつくり)にした方が便利だと思ふ。私のやうな老年でも、別に苦痛を感じないのだから、若い紳士たちには無論十分好いはずである。人間は自分自身の特殊感といつたやうなものから脱けないと、周囲を、理解することは、困難である。

随筆「思ひ出るまゝ」

長男の一穂さん曰く、「何事によらず、多少なりと優越感を持つようなことをしなかった」「物を持つことも、物を見る目が曇る」と言っていた、とのことです。
意外にも物を持つという事に対してストイックな考え方を持っていたのに驚きました。自分の記事でも書いたようなミニマムについてや物の持つという観点からと似ている気がしました。ですが、なるほどと思う点もありました。物を持っていることによっての「優越感」という点は、そうかもしれないと思い当たる点がありました。そしてそれを極力なくすことが肝要なのが垣間見える気がしました。

価値観を対比してみて、若い時分には一人を好み庭いじりや家で昼寝などをするのがいいのではと言っていたのが、晩年の随筆には「まさかこんなに旅行に行くことになるとは思わなかった。」と思い返しています。ここを読んでみると「そこにいって、なにがしたくて、行った」というよりは「(隠居のように)時間があったから、やることがほかにないから、なんとなく行ってきた」という風に聞こえます。もしも、秋聲の行き先に何か目的があって行ってきたというのがあったのなら、それはぜひとも聞けたらよかったのになと微々たるものですが、思いました。
こだわりに関しては物をもたないようにしている所は図らずも自分に似ているのかなと思いました。持つことでの「優越感」は考えもしませんでした。

「もしも、住むとしたらどこに住む?」秋聲この答えはこうでした。
「どこに住んでも一緒。」

そうかもね、と思いました。

入口に飾られていた文学碑

最後にこの企画展で引用されていた一文を書いておきます。もしも、少しでも知る事や旅や文学、この作者などに興味をもっていただければ幸いです。ここまで読んでいただいてありがとうございます。

旅行をしてみると割合面白い。縦に通つて来た長い人生を、横に歩いてみるのである。

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